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HERITERS  作者: 井本康太
15/20

二〇四四年八月十一日(木) 二十三時○○分十五秒 特設自衛軍大宮駐屯地

「庵……克二……ッ!!」

「それにしても安心したよ。二十年経って容姿は変わろうとも、内面はあの時のまま。相変わらず堅物のようで何よりだ」

 万智改め、克二は笑いながら浩一郎に再開の挨拶を交わす。

「しかしまぁ、こんな美人と一つ屋根の下で暮らしておきながら手の一つも出さないとはね。せっかく僕が硬派な君の為に用意したというのに、勿体無い事を。君の言うことならば、彼女はなんだって聞いただろうに。一心のじーさんならいざ知らず、君が枯れるにはまだ早かろう?」

「……お前には聞きたい事が山ほどある。答えてもらおうか」

 ケラケラと楽しそうな笑顔を浮かべながら言う、克二の下世話な冗談を無視して、浩一郎が感情を押し殺し克二に問いかけた。克二の額に向けられた銃が、小刻みに震えている。

「何かな? 何なりと聞いてくれ。あぁでも出来れば一つずつで頼むよ?」

 銃を向けられているとは思えない程、余裕綽々で克二が了承した。浩一郎はそんな克二を睨みつけながら、問を投げた。

「お前が地天海と特設自演軍の両陣営にもたらした、特殊素材「E」とは……いや、Eチケットとは一体何だ? 何故、あれほどの力が出せる?」

「ほほう」

 克二が感心したような声を上げた。

「いきなり核心を突いてきたね。いやー本当は徐々に種明かしをしていくつもりだったんだけど。まぁここに来て余計な引き伸ばしをする必要も無いか。さてどこから説明するべきかな、ハハハ」

 克二はわざとらしく困った笑みを浮かべる。

「んーそうだな。特佐殿、君はエントロピーという言葉を知っているかい?」

「エントロピー? 物理学や情報学で出てくる、あのエントロピーのことか?」

 浩一郎は学生時代を思い出して首を傾げる。

「うん、大まかに言えば乱雑さの度合いを示す物理量。あのエントロピーだよ。大きほど無秩序で小さいほど秩序がある。身近なもので言えば、コーヒー牛乳なんかはエントロピーが高い飲み物だね」

 冗談を交えながら克二は語る。

「ならばこれらも知っているだろう? 『熱力学第二法則』と『エントロピー増大の法則』だ」

「不可逆性について定義した法則だろう」

「おおまかに言えばその通りだ。熱水と冷水を混ぜれば、均一に交じり合いぬるま湯になるが、ぬるま湯が熱水と冷水に自然に別れる事はない。熱水は周囲に熱を放出してぬるま湯になるが、ぬるま湯が周囲の熱を吸収して熱水になることはない。物理など習わずとも、人間なら常識的に知っている法則さ」

 スイッチが入ったのか、克二が饒舌になっていく。

「この世界ではエントロピーは増大するが減少はしない。これは熱力学創始以来守られ続けた常識だ。熱力学は全て、この基盤の上に成り立っている。神が作った法と言い換えてもいいだろうね。だが、時は一九世紀。偉大な先人の一人が、その神の法に『待った』をかけた」

 浩一郎はこの時点で何か嫌な予感を感じた。Eチケットの正体を無意識の内に、心の何処かで察してしまったのだ。そしてその強大さにも。

「先のぬるま湯の話に戻ろう。ぬるま湯は温度の高い原子と低い原子が均等に混じり合った、すなわちエントロピーが高い存在だとしよう。当然ながらこの原子達は勝手に温度が高いものと低いものに別れてグループを作ったりはしない。一つの教室で赤組と白組の園児が組を気にせず、無邪気に遊び回っている状態だ」

 克二のが掌を突き出すと、その上で無数の赤い玉と白い玉が現れ、飛び回り始めた。

「だがここでその幼稚園児達に声を掛けられる先生が居たとしたらどうだろうか。その先生は園児に指示を出し、園児達を赤組と白組に組分けすることが出来る。遊びまわる園児たちは先生の指示に従って、教室の右と左に分かれていく。結果として先生は園児に触れることなく、園児を二つに分別してしまった」

 克二の掌の上の赤い玉と白い玉が、右と左に分別されていく。

「さて仮にこの現象がぬるま湯の入ったコップ内で起きたとしよう。するとどうだろうか、外部からコップに熱や冷気を加えていないのに、コップの中の水は温度の高い原子の集合体と温度の低い原子の集合体、すなわち熱水と冷水に分かれてしまった。つまり何もしていないのにエントロピーが下がってしまったわけだ」

「まさか……」

 得意気に微笑みかける克二に対して、浩一郎は信じられないという顔をする。

 もう完全にわかってしまった。この男がこれから何を話そうとしているのか。

 完全に気づいてしまったのだ。Eチケットの正体に。

 その領分にそこまで詳しくない自分でも、名前ぐらいは知っているほどに有名な思考実験の一つだ。

「あり得ない。お前は……」

「唯の仮定に過ぎないと言ってしまえばそうだ。あるいは声をかけることにエネルギーを使っているのかもしれない。まぁそのエネルギー量はどれだけ小さくてもこの過程は成り立ってしまうが。ともかくこの先生の行動は間違いである、という事を証明出来ない事は、神の法である『熱力学第二法則』と『エントロピー増大の法則』の崩壊、ひいては熱力学そのものの崩壊に繋が……」

「蘇らせたのか!? マクスウェルの悪魔を!?」

 話を続ける克二に思わず浩一郎は割って入ってしまった。

「なんだ知っていたのか」

 克二がニヤリと笑う。

「その通り、俺は現代に蘇らせたのだ! 誕生より一世紀以上の長きにわたって神の法を犯し続け、二〇世紀の後半にようやく葬られた、熱力学第二法則を超えて、永久機関すら実現させてしまうこの悪魔をな!」

「なんてものを……」

 浩一郎はあまりの衝撃に硬直してしまった。

「この悪魔に掛かればエネルギーなど無尽に生産出来る。発電の仕組み? エントロピーを下げた熱エネルギーを利用するだけの火力発電だ。特殊素材「E」? 空気反応発電システム? そんなもの、企業秘密の名のもとに学者や識者共を騙す為の隠れ蓑にすぎんさ!」

 克二は興奮しながら語る。

「その切符を持てば、本来くぐれない改札をくぐり、エントロピーの下り列車に乗ることができる。故にEチケット。正式名称『第二種永久機関及びエネルギー万能変換放出器内蔵高速演算記憶回路』」

「あの人並み外れた力や再生能力は全てその力の恩恵と言うわけか……」

「そうだ。生み出した熱エネルギーを、光、電気、運動、その他ありとあらゆるエネルギーに変換し、特殊相対性理論に従って、物質さえも作り出す! 運動エネルギーを与えれば物を弾く事が出来き、あらかじめ記憶していた質量から変化した分の物質を補充、換装すれば肉体も寸分違わずに復元する。無限のエネルギーによって自己保存を続ける、Eチケットこそがこの肉体の本体。脳など最早、肉体を効率よく動かすために存在する、CPUと揮発性メモリに過ぎない」

「こいつの使い方はまだまだ下手くそだがな」と克二は自分を指さしながら笑う。恐らく、万智の事を言っているのだろう。

「この『Eチケット』を効率良く運用する為に、体内器官の一つとして、予めチケットを組み込んだ上で、その出力に耐えられるよう、身体機能を強化し調整したクローン強化人間、それが彼らだ」

 もはや浩一郎など目に入っていないのか、独白に近い勢いで克二は捲し立てる。

「もっとも奴らが体内に持っているEチケットや、世界で特殊素材「E」として流通している物は全て、特定機能のみに特化し生産性を上げた模造劣化の量産品だ。――例えば、熱エネルギーの放出のみに特化、とかな」

「まさか――」

 にやりと笑う克二とは逆に、浩一郎の頬に冷や汗が流れる。

「くっくっく、その通り! ならば、あるはずだよなぁ? 模造元『全ての規範となったEチケット』が何処かに!」

「……」

 浩一郎が言葉を失う。それがどこにあるのかなど、今更聞くまでもない。

「ご明察! それは俺の中にある! ……まぁ正確にはその半分だがな」

「半分だと?」

 思わず引き金を引いてしまいたくなる衝動をなんとか抑えて、浩一郎が問いかけを続ける。

「そうだ、残りの半分は奴らの総帥『伊舞理緒』が同じように所持している。故にこれでもまだ本領の半分も力を出しちゃいないのさ」

「っ!?」

 劣化模造品と称する三闘衆のチケットですらあの力だった。なのに、それを凌駕するこいつですら、まだ半分も力を出していないと言う。

「この完全なるEチケット――地天海の奴らはを『PEチケット』と呼称しているが――こいつは、模造品には存在しない特別な機能を持っている。只の人間を、世界の支配者に変えてしまうほどのな」

「世界の支配者に変える機能?」

「ああ、それこそPEチケットをPEチケットたらしめる絶対の力。全ての模造劣化Eチケットに対して行える『リモートアクセス機能』だ。厳密にいうならば世界各国全てのチケットの検索、そしてチケットの設定変更が行える」

「なっ!?」

 浩一郎の顔から血の気が引いて行く。

 Eチケットは発電設備等、精密かつ繊細が操作が求められるものにも数多く利用されている。そんなものの設定が勝手に変更されれば大惨事は避けられない。

「ふふっ、生憎だがね特佐殿。大事故が起きる程度じゃないぞ? 出力を極限まで上げることで、世界各国のEチケットを動力とする全ての製品を戦略兵器にすることだって出来る。あるいはその逆、全てのチケットを凍結して、エネルギークライシスを起こすことが出来る」

 浩一郎の内面を読み取ったのか、克二が得意顔で説明を補足する。

 もう浩一郎は言葉すら発せない。事は余りにも、個人の手でどうにか出来る範囲を超えていた。

 今、全世界のエネルギー供給の七割はEチケットに依存している。それはつまり――。

「エネルギー掌握による、世界の恒久的支配。それが『地天海』の最終目標だ」

「世界のシステムそのものが人質。なんてことだ……」

 ――つまりはそういうことだ。知らず知らずの内に世界はここで追い詰められていたのだ。

 しかもそれが分ったところで、もはやどうしようもできない。世界はもうEチケットを手放すには、余りにも深く、余りにも強く、その恩恵に依存してしまっている。

 そして何より、この男を止める術がない。今ここでこの銃の引き金を引いて、奴の頭を吹き飛ばした所で、克二は痛くも痒くもないだろう。

「人質と言えばその通りだが、安心してほしい。半分の力しか持たない今の俺と理緒にそれは出来ない。まぁそんな芸がない事を早々にするつもりもないがな。とにかく、奴らが俺を狙う理由はわかっただろ?」

 克二は得意げに答える。

「……何故そんなリスクがあるものを世界は受け入れてしまったんだ。何故誰も疑問に思わないままその利便性を享受してしまったんだ……」

 浩一郎が悔しさに震えながら、絞りだすような声で口を開いた。

「強いて言うなら、人間がそういう習性を持った生き物だから、だろうな。粕谷一等特佐」

 行き場のない怒りに震える浩一郎を軽く流し、克二はさらりと答えた。

「疑問に思う「個人」はいたろうさ。だが「人間」ではそうはかない。そしてそれは、何の不思議な事でもない。例え仕組みの分からないブラックボックスでも便利ならば人は使う。パソコンしかり、電話しかり、大多数の人間はその詳しい仕組みなど知らないまま、何の疑問も抱かずに、その利便性を享受している。ごくありふれた、そして身近な常識だ」

「発電施設や大規模エンジンと、日常品では抱えるリスクが違う。そんな簡単に受け入れられるはずがない!」

「受け入れられるさ。特佐殿」

 噛みつくように否定する浩一郎を、これまた克二はキッパリと否定仕返す。

「つい最近まで、事故が起きれば数十キロを数万年に渡って死の荒野にしかねないリスクを持った発電システムが、当たり前のように稼働していたじゃないか。事故が起きた際の的確な対処すら不十分な状態にあってもだ。それでもなお、そのシステムが多少の批判はあれど受入れられていたのは、それを補って余りある、莫大な利点を持っていたからだ。莫大な利益の前には、多少のリスクや疑問は無視される。これもまた人間の常識が俺に教えてくれたことだ」

「それは……」

 反論しようとして言葉に詰まる。

「技術の進歩に人間側が追いついていない。だから何時だって人の想像を超えたところで致命的な事故が起きる。それを愚かと笑うなら、笑えばいいさ。俺……と言うよりカツラギエネルギーグループか。彼らはそれを徹底したに過ぎない」

「そこまでの事が出来ながら……」

「ん?」

「そこまでの力を持っていながら……。お前はなぜこんな回りくどい事をする? お前の目的は一体なんだ!?」

 絞りだすような声で浩一郎が克二に問いかける。

「それが二つ目の質問か? そうだな、なかなか難しい質問だ。だが強いて目的を答えるなら、夢を叶えることかな」

「夢だと?」

「ああ。世界征服、或いはその防衛の過程を見届けること」

「世界征服の過程? 防衛?」

 わけがわからないと浩一郎は混乱する。

「それがお前の夢なのか? 世界征服ではないのか?」

「まぁそれも夢と言えば夢だが、それはあくまで付加価値に過ぎない。俺が真に欲しているのはその過程、ストーリーなのさ。この現実を舞台とした、悪と正義の一大戦記。その為に全てを用意してきた」

「……それは地天海のことか?」

 浩一郎は恐る恐る問いかける。

「勘がいいな、でもそれじゃ半分だ。ここも、そしてお前もだよ粕谷連隊長」

 克二は笑顔で答える。

「シナリオはこうだ」

 克二は立ち上がる。

「ある所に一人の科学者がいた。その科学者は一つの革新的な技術を開発した為、世間で注目されていた。だがそれが災いして、ある日突然その技術を狙う、悪の秘密結社よって拉致されてしまったのだ! 組織で技術の悪用を強いられていた科学者は、一瞬の隙を見てその組織の切り札の一部を奪い取り、逃亡に成功する。だが既に組織は圧倒的な戦力を保持しており、世界が滅ぶのも時間の問題になってしまった! 科学者は考えた末に、奪い取った技術を持って、彼らに対抗出来る組織を作る事を決めた!」

 そして両手を広げて、舞台のナレーションのように語りだした。

「だがその対抗組織が完成する直前、科学者は不運な事故に巻き込まれて命を落としてしまう! 万事休すかと思われたが、なんとその科学者はこんなこともあろうかと、自身の研究成果を残していたのだ! 多大な苦労の末、不完全ながらも研究成果は無事引き継がれ、なんとか敵の襲来を前に、防衛組織は完成したのだった」

 克二は一息つくと、大きく息を吸い込み再び語りだす。

「そして時は流れ二十年後、遂に秘密結社『地天海』は世界を掌握せんと動き出した! 二十年かけて準備を整えた彼らの戦力は凄まじく、各国の軍はなすすべもなくやられていく。そんな中、科学者の意思を継いだ、一人の女性軍人、洲崎万智が彼らを止めるべき立ち上がった! 『地天海』は彼女が二十年前に奪われた切り札を持っている事を知ると、それを取り戻さんと刺客『三闘衆』を差し向ける!  万智は勇敢に戦うがその圧倒的な戦闘力を前に追い詰められていく! まさに絶体絶命のその時、突如として現れた謎の人格が、三闘衆を迎撃した! その後も万智は謎の人格に困惑しながらも、次々と送られてくる三闘衆全員を倒すことに成功する! だが三闘衆全員を倒された地天海は遂に本気になった! 地天海の総帥が切り札を取り戻す為、万智の前に直々に現れたのだ! 地天海の真の目的とは何か? 万智の中の凶悪な人格は何者か? Eチケットとは何なのか? 全ての謎を抱えたまま、今ここに地球の命運をかけた最終決戦の幕が切って落とされ……」

 一発の銃声が克二の語りを遮るように鳴り響いた。

「ふざけるな! 真面目に答えろっ!」

「――くくっ。仮にも娘の身体なのに容赦がないな」

 構えられた銃口から煙が上がっており、克二の右耳から血が流れていた。

「どうやらこの答えでは君のお気に召さないようだ」

 克二は撃ち抜かれた右耳を手で軽く撫でる。一瞬で血が拭われ、傷が塞がった。

「Eチケットの強大すぎる力は人では扱いきれない。人類は必ずその力を持て余し、どこかで致命的な過ちを起こしてしまうだろう」

 克二が今度は真剣な表情で語りだした。

「だからそれを防ぐために、人類を一つに纏め上げ、恒久的に管理する必要があった。その為には人を超えた、圧倒的力を持つ絶対のリーダーが必要だ。そのリーダーに相応しいのは誰か、それを決める為に、二つの組織を作り、互いの陣営を競い合わせた。最終的に生き残った方が優秀なリーダーという訳だ」

「貴様……」

「――とでも俺が言えば満足かな? 特佐殿」

「!?」

 ようやく真面目に語りだしたと思っていた克二の顔が、再びニヤリと歪む。

「演出が不足だったか? 伏線が足りなかったか? それとも俺が、荘厳な衣装に身を包み、玉座に座って、傲慢な態度で人々を見下しながら、全世界に向けて演説の中継でもしていれば、君も信じてくれたかっ!?」

「何を……」

「物事の良し悪しや善悪、優先度に対する価値基準がどこかずれている! 常識や良識を持ちあわせていながらも敢えてそれらに囚われない! 時に真っ向からそれらを踏み躙る事も良しとした! 庵克二をそう評したのは君ではないかっ!?」

「それは……」

 克二は言葉に詰まる。

「俺を何だと思っているんだ? その庵克二だぞ! 俺はそんな、君が納得するような、合理的な考えを持つ男だったかっ!?」

「ふざっ……」

「ふざけるな、か?」

 克二が笑いながら、先回って浩一郎の言葉を代弁する。

「ハハハハ! 遅い、遅いぞ、遅すぎる! 特佐殿ぉ!! その台詞は二十年は言うのが遅いぞ!」

 克二が最高にハイテンションで、余りの理不尽に震える浩一郎をあざ笑う。

「本当に……」

「うん?」

「本当に、それが……事実だというのか……」

「ああ、そうだ。自分の書いた脚本通りに世界を動かす。こんなやりがいのある娯楽が他にあるか?」

 克二はキッパリと即答した。

「そんなふざけた……」

 浩一郎の腕から、観念したかのように銃がズリ落ちる。

「そんなふざけた事の為にお前は……世界に混乱をばらまいたのか……。そんな事の為に多くの人々を……。いや……自分自身さえも殺したというのか……。どうして……どうしてそんなことを躊躇いもなく実行出来るんだ! お前はっ!」

「――試さずにはいられなかったからだよ」

 そんなこと、と言われた克二の顔から一瞬だけ笑顔が消え、そしてすぐに元に戻る。

「くくく……カカカ……ヒヒ……。新たな技術を前に世界はどうなるのか……人格の移植とはどういうものか、どうなるのかを知りたくて……知りたくて……知りたくて……知りたくて、知りたくて、知りたくて、知りたくて、知りたくて、知りたくて! 知りたくて! 知りたくて! 知りたくて! 知りたくて! 知りたくてっ! 知りたくてっ! 知りたくてっ! 仕方なかったんだよ!!」

 前髪を掻き上げながら、狂気に満ちた笑顔と声で、壊れたからくり人形のように語り出す。

「他ならぬ自分自身で体感したかったのだ! その空気を! 温度を! 真に世界が変革する場面とはどういうものか! 人格が移動するとはどういう感じなのか! 身体か意志が抜けるとはどういう感じなのか! 魂の! 死後の世界にすら通じるかもしれないという事実を前に、この私がっ! 堪えることなど出来るものかっ!? ――二十年前、俺は……」

 そして興奮を落ち着かせるように大きく深呼吸すると、一気に冷静になり、話を自身の計画に戻した。まるで別人かと思える程に激しい、テンションの切り替えだ。

「……俺は全ての役者と舞台を揃えた後、他の誰にもEチケットの真の力使えないよう、俺自身の遺伝子情報をセキュリティキーとして、秘密裏にロックを掛けた。以後に続く全てのEチケットがこのロックを内蔵した状態でコピー、量産される事を見越してな」

(だから他国の軍は、地天海に勝てなかったのか……)

 Eチケットは各国の軍にも採用されている。勿論それを利用した兵器もごまんと存在し、その力は既存の兵器を過去にする程絶大なものだ。

 それは同時に数で劣る地天海側が、Eチケットのぶつけ合いで世界側に勝てない事を意味する。

 いくらチケットの本家本元、葛城エネルギーコーポレーションの高性能なEチケットであっても、覆せる戦力差には限界がある。

 多少出力で劣っても、戦いにおいては、圧倒的な数を運用出来る側が有利なのだ。

(それを見越してこいつはチケットにロックを掛けた。シナリオ通りの戦果を出す、ただそれだけの為に……)

 改めて浩一郎は克二の、シナリオに掛ける執念を思い知る。

「その後、俺は自分自身の全人格、全記憶と共に完成したEチケットに移植し、身体を破棄し眠りに就いた。これは勿論先述の通り、俺の個人的な欲求もあるが……それ以上に、裏設定を知る人間が、何かの拍子に本格始動する前のシナリオに、余計な干渉をしないようしたかったからだ。そして本格的にEチケットが力を開放しなければいけない程、宿主が追い詰められるか、指定したタイムリミットを迎えた時、ロックが解除され俺が復活するようプログラムした」

「――だが、それでもし貴様が負けたらどうする? 三闘衆ならいざ知らず、向こうのトップは同じ力を持っているんだろう。お前が負ければシナリオを見届ける事は出来ないぞ」

「良い質問だ!」

 克二が嬉しそうに浩一郎を褒め称える。

「さっき言っただろう? 庵克二自身の遺伝子情報をセキュリティキーにしていると。そしてEチケットを体内に宿しているのは、全員が調整されたクローン人間だと」

「っ!」

 浩一郎が息を呑む。

「向こうのトップもお前の遺伝子を持ったクローンならば……」

「そうだ。仮に向こうが勝ち、Eチケットを奪い、自らに取り込んだとしても、今度は同じ遺伝子情報を持つ『伊舞理緒』の肉体でロックが解除され、俺が蘇る。分かるか? どっちが勝っても俺は勝者側のトップなるのさ。そして奴らはその真実を知らない。俺が残したレポート通りにEチケットを奪取しにくるだろう」

 克二は笑う。

「よく考えればひどい茶番だな。原作、監督、脚本、構成、演出、デザイン、キャスト、そして視聴者すらもこの俺。一人芝居ここに極まりだ」

 くくく、と克二が意地悪く笑う。

「――全てがお前の思い通りになるわけがない。世界はそんなに単純ではない。必ずどこかでお前の脚本は破綻するはずだっ!」

「ああ、そうだな。だからそれを防ぐために俺が『こいつ』を見張る事をシナリオに盛り込んだんだ。最序盤で主人公に戦死されたら話にもならんしな」

 克二は自分を指差す。

「それに完全に放任しているわけじゃない。ちゃんと登場人物にはキャラ設定をしている」

「キャラ設定だと?」

「そうさ、俺が自分の人格をEチケットに組み込んだように、奴らにもキャラクターとして性格の指標をチケットに組み込んだ。最低限の舞台ルールと一緒にな。そう例えば、一話に登場する敵は一人だけ……とかな」

 ニヤリと克二は笑みを浮かべ、浩一郎は三闘衆の行動を思い出してはっとする。

 何故か三闘衆は単独行動しかしてこなかった。同じ力を持っていると分かっていたならな、皆で袋叩きにすればいいはずなのに、彼らは何故かそれをしなかった。

「『お調子者で自信家の典型的な小物』『主に恋心を抱いてしまい忠義と恋心に苦しむ部下』『命令に忠実だがどこか情を残す武人』『総帥の自覚が薄いおてんば娘』『その娘に翻弄される苦労人な執事』『彼らと戦うことを運命付けられた悲運な少女』『使命感にあふれる少女の上官』全て俺が見出し揃えたものだ。――数人は天然物だがね」

 ケラケラ笑いながら克二が目の前にいる『天然物』を見やる。

「まぁ少々台本の棒読みが過ぎるところもあるがな。多少はアドリブも入れて欲しかったよ。あれじゃ大根役者の集まりだ。思い通りに行き過ぎるのも考えものだな」

 やらやれと克二が手を振りながら溜息をつく。

「お前の夢は……こんな事をすることだったのか? 巨大ロボットに乗る事ではなかったのか?」

 浩一郎はかつてこの男が目を輝かせながら語った夢を思い出す。

「無論それは今でも変わらない。その為の第一章でもあるわけだしな」

「一章だと?」

「覚えているか? あの時、俺は言ったろう? 建造資金と施設は何とかなるってな」

「っ!?」

「これが終わったら権力をフル動員して、Eチケットを動力源とするスーパーロボット、グレートコロナの建造を行う。そして建造が終わり次第、第二章のスタートいうわけだ。悪役側のロボットか味方側のロボットかはまだわからんがね」

 克二は意気込んで答えた。この男はこんな事をまだ続ける気なのだ。

「最後に一つ答えてくれ……」

 浩一郎はその場に崩れ落ちたい衝動を抑えて最後の質問を投げる。これだけは絶対に確認しとかねばならなかった。

「ん? どうしたんだい? 急に改まって?」

「お前が目覚めたのは分かった。では今、ま……!?」

「お?」

 突然床が砕け、そこから現れた岩の棘が克二の胸を貫いた。

「なんだ!?」

 そして同時に大きな地震が発生する。

「最後の一人か」

 克二は落ち着いて、自分の胸を貫いている棘を砕いて立ちあがる。

「意外と早かったな。まぁあれだけ派手に暴れれば捕捉もされるか」

 再び棘が床を突き破り、四方八方から克二を貫く。

「全く……、少々逸り過ぎだな。まだ顔合わせもしてないってのにって……っ!? 後ろ!」

「え?」

「くっ!」

 克二は浩一郎を庇うように突き飛ばした。

 直後、浩一郎が立っていた真下から棘が突き出し、克二を串刺しにする。克二が突き飛ばさなければ浩一郎がああなっていた事だろう。

 克二は素早く棘を砕くと、傷を修復する。

「ちっ!」

 克二は再び浩一郎を刺し貫こうと地面から伸びる棘を、蹴りで粉々に粉砕する。

 そして流れるように浩一郎のそばに寄ると、庇うように優しく抱きかかえた。

「おい、克二!?」

「その歳で女にお姫様だっこされるのは屈辱だろうが、まぁ我慢してくれ。聞きたいことはまだあるだろうが、それはまた後にしよう。とりあえず広い所に出るぞ」

 そう言うと、ホバーのように克二の身体が浮遊し、床を滑るように一気に加速した。不思議な事に急加速に伴う衝撃をほとんど感じなかった。

 若い女性軍人が初老の男性軍人を抱えてホバー移動する、という極めてシュールな絵が展開されるが、そんな事を気にしている場合ではない。

 先程の棘が移動する克二を追いかけるように、襲い掛かってきているのだ。

「やはりな。地面全てが奴の索敵範囲ということか。理論上は地球のどこにいても攻撃が可能。だが地表からの距離に比例して正確さが欠けていく」

 克二の分析通り、先程とは違い確かに棘の動きに正確性が掛けていた。見えない標的を狙って我武者羅に暴れている感じだ。

「さて、出るぞ。適当に安全な所に放り投げるから、君は君の仕事に戻れ。付近住民の避難指示とかがあるだろう」

 棘から浩一郎をかばいながら、克二が前方に手をかざす。触れてもいないのにドアが開き、外までの道が確保される。

「じゃ、しばしのお別れだ」

 そして克二は更に加速し、勢い良く外に出ると文字通り、浩一郎を放り投げた。

「なっ!? おい!」

 いきなり宙に放り投げられ浩一郎は驚愕するが、予想とは違い、身体は綿毛のようにゆっくりと宙を舞い、優しく地面に着地した。

「こんなことが……」

 身をもってEチケットの力の片鱗を体験し、浩一郎は改めてそのデタラメさに驚愕する。

「そうだ、敵は!」

 浩一郎は慌てて克二の方を見ると、克二の前方に見慣れない女性らしき人影が見えた。

 二人は何か会話をしている。内容は遠くて分からないが、恐らく殺伐としたものだろう。

「あれが最後の……」

 もう少し近くで会話を聞こうと浩一郎は身を乗りだそうとする。

「いや」

 だが、克二の言葉を思い出して踏み留まった。

『君は君の仕事に戻れ』

 頭の中で、先ほどの克二の言葉が復唱される。

 例え戦おうとしている者の中身が万智でなかったとしても、今はそこを追及する時ではない。今の自分には、それ以上に優先すべき責務がある。 

 浩一郎は黙って彼女達に背を向けると、自分の指示を待っているであろう部下達の所へ、一目散に駆けだした。 

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