二〇四四年八月十一日(木) 二十ニ時四十八分二十六秒 特設自衛軍大宮駐屯地
「ふぅー」
マオリとの交戦についての後始末が一段落した万智は、一旦基地に帰還していた。
「品揃えが微妙だなぁ。ま、これでいいか」
誰もいない廊下で万智は小銭を取り出すと自販機でジュースを購入する。
万智は取り出し口からジュースを取り出すと、近くのベンチに腰掛け「んー」と軽く背伸びをし、缶を開けた。
「万智」
背後から名前を呼ばれて振り向くと、複雑な表情をした浩一郎がこちらに向かって歩いてきていた。
「ああ、浩一郎さん。こんばんわ」
万智が笑顔で浩一郎に挨拶をする。その笑顔は先程までマオリと戦っていた女性とは思えない程、無邪気な笑顔だ。
「こんな夜遅くまで仕事ですか?」
「あれだけの被害だからな。事後処理だけでも寝られそうにない。遠山二尉の所へはもう行ったか?」
「いえ、二尉も今患者の相手で忙しそうだったので、行っていません。身体に異常は感じられないので、私の検診は又の機会にしようかと」
「そうか。だが、二尉の所に行ったわけではないのなら、何故ここにいる? もう報告は終わった筈だが?」
「あはは……いや、皆が動いているのに自分だけ休みを取るのが落ちつなくて。フラフラしている内にこんな時間になってしまいました」
万智は頬をかきながら苦笑いをする。
「君は既に仕事を済ませている、何も気にする事はない。それに君にとっては休息も仕事の内だ。万全の状態で出動出来るよう、休むべき時には休むように」
「ふふ、浩一郎さんがそれを言っても説得力がないですね。もう若くはないんですから、無茶はいけませんよ?」
万智が上目遣いで、浩一郎を下から除き込みながら更に苦笑する。。
「そうだな。だがデスクワークとはいえ軍人として職務に就いている以上、年齢は言い訳にならない。これが命を左右する可能性がある以上、無理も無茶も承知の上だ」
「ふふ、そう言うと思いました。でもそうですね、確かに私は前線に出る身ですから身体が一番の資本、大人しく休む事にします。それでは」
そう言うと万智は飲み終わった缶をゴミ箱に捨て、敬礼をすると浩一郎に背を向けた。
「待て」
「はい?」
だが背後から浩一郎に呼び止められる。その声には今までとは明らかに違う、殺気とも怒りとも言い難い複雑な感情が込められている。
「話ついでに一つ質問に答えてくれ」
「なんですか?」
浩一郎はしばらく万智を静かに見つめた後、意を決したかのように、一言万智に告げた。
「――お前は誰だ?」
いつの間にか、その手には拳銃が握られていた。
「……おかしな事を聞きますね。それとも私をからかっているんですか? ふふっ、浩一郎さんらしくないですよ? 勿論、洲崎万智に決まって……」
「違う」
浩一郎はきっぱりと断言する。
「深読みのし過ぎだ。洲崎特曹はこの基地内にいる限り、職務中であろうとなかろうと、たとえ二人きりであったとしても、私の事を『浩一郎さん』とは呼ばない。お互いが軍服に身を包んでいるのなら、尚の事だ」
万智は自分の軍服を一目し、無言になる。
「同じように、私に『万智』とは呼ばせはしない。育ての親と子供という都合上、私と彼女の間では、そこの線引は意図的に厳しくしている」
「いやですね。連隊長につられて、ついそう言ってしまっただけですよ。どうも想像以上に戦闘で疲労が溜まっていたみたいですね。公私混同申し訳ありません。以後、気を付けます『粕谷連隊長』殿?」
万智が何処か貼り付けたかのような笑顔で言い訳をする。
「……最後に一つ。お前が万智であるならば、その態度はありえないんだよ」
「どういうことですか?」
完全に確信を持ったという顔をする浩一郎に、万智がわざとらしく首をかしげる。
「私に銃を突き付けられて、平然としているわけがないんだよ」
「……そうですか」
万智の表情が変わる。
「それは連隊長としての考察ですか? それとも――」
「父親としての勘だ」
浩一郎は即答した。
「父親の勘か。成程ね。確かにそれはあらゆる状況証拠を凌駕する絶対の確信だ。そいつを持ちだされると、もう説得はできないな」
万智は観念したかのように振り向いて、再びベンチに腰を下ろした。
「お前は何者だ?」
浩一郎は再度確認するように、銃を万智の眉間に向けながら同じ問を投げかける。
「粕谷連隊長。私の苗字はなぜ『洲崎』だと思いますか?」
「なに?」
浩一郎の問には答えず、万智が問を投げ返した。
「私は庵克二が作ったクローン体です。名前の方ならいざ知らず、家を示す苗字に付けるのは『庵』が順当なものになるのではないですか?」
「……彼は自分は父親が出来る性分ではないと言っていた。だから自分の名字を付けようとはしなかった」
浩一郎はかつて研究室で交わした、克二との語り合いの記憶を思い出しながら答えた。
「本当にそうでしょうか? 連隊長の記憶にある庵克二は、そんな殊勝な考えをするような男でしたか?」
「……ッ!」
浩一郎が黙る。
「仮に百歩譲って彼がそんな殊勝な考えに思い至ったとしても、貴方に託すつもりであったなら『粕谷』と名付ければいいはずですし、預ける先が不明であれば名字を付けなければいいだけのことです。『洲崎』と名付ける理由はどこにもありません」
押し黙る浩一郎に構わず万智は話を続ける。
「彼に限らず科学者というのは多かれ少なかれ傲慢な所があるものです。発見したものや作成したものに自分の名前を付ける、なんてのはその最たる例ですね。彼とて科学者、例外ではないはずですよ?」
万智はまるで手品の種明かしをする子供のように、クスクスと笑いながら楽しそうに話を続ける。
「お前は……」
その様子に浩一郎の頭の中で、ある男の面影が掠めた。
「ふふ、あんなふうに鎌をかけてきたという事は、私の正体については初めから当てが付いていますよね? そして恐らくそれは正解です。ですから答え合わせをしましょう」
そう言って万智は右手を連隊長に向けて差し出した。
すると「ボッ」という音と共に右の掌から炎が上がる。掌の上で炎は揺らぎながら四つに分裂し、やがてそれぞれの炎が文字の形を取った。
『洲崎万智』
掌の上で万智自身の名前が浮かび上がる。
「ふふっ」
万智は左手をパチンと鳴らす。手の上に灯った四つの炎が更に分裂し、違う文字になる。
『SUZAKI MACHI』
そして「CHI」の部分に息を吹きかけた。
『SUZAKI MATI』
宙に浮かぶ名前が訓令式のローマ字表記に代わる。
「もうおわかりですよね?」
万智は更に左手を鳴らす。炎の文字が移動して別の言葉になる。
「やはり……」
それと同時に、その炎の文字を読んだ浩一郎の顔が歪んでいく。
「ふふ、結構ヒントも出したし、そんなに難しい暗号にしたつもりはなかったんだけどね。やっぱり難しかったかな?」
「やはり……お前だったか……ッ!!」
浩一郎が苦虫を噛み潰したような顔をする。
「ああ、そうだよ。久しぶりだね粕谷一等陸尉……いや今は一等特佐殿とお呼びするべきかな?」
「――庵克二ッ!!」
『I AM KATSUZI』
万智の掌の上で炎はそう燃えていた。




