EP19:妨害
男は長い石段をゆっくりと上る。最初は運動不足で上り切る頃には息も絶え絶えだったが、少しは慣れてマシになってきたようだ。
間もなく山へと消えていく夕日と藍色の空を見ながら、男はふぅ、と息をついた。
「今日は綺麗に見えるといいな」
そうつぶやきながら、双眼鏡を準備する。以前から準備しておいた、高価なものだ。遠くの物がはっきりと見える。
男は街が一望できる場所まで行くと、双眼鏡で街中を見渡す。そして、目的の建物を見つけると、よし、とつぶやいた。
「さて……そろそろか……」
ふと左手の腕時計に目をやり、時間を確認する。そして、すぐに双眼鏡へと戻す。しばらくすると、遠くからドン、という音が聞こえた。
双眼鏡の先には、崩れていくビルが見える。それを見ながら、男はにやりと口元を緩めた。
しばらくビルの様子を眺め、完全に倒壊したことを確認すると、男は満足げな顔で神社の階段を降りてた。
その階段を降りた先のことである。不意に、どこからかいい匂いが漂ってきた。どうやら、カレーのようだ。男は思わず唾を飲みこみ、匂いのする方へと歩いていった。
しばらく歩くと、小さな公園が見えた。明かりが灯るその公園のど真ん中に、会議室にあるような長テーブルが置かれており、その上には火が着いた携帯ガスコンロ、そして鍋が置かれている。どうやらここから匂ってくるようだ。
男は、この世界に来てからというもの人間の姿を見ていない。これは明らかに不自然だ。しかし、おかしいと思いながらも、食欲には抗えなかった。
この世界に来て数日は、元々家にあった食料や手元にあった金でなんとか食いつないできた。しかし、そのうち食料も金も底をつき、食うのに困っていた。食い逃げしようにも先払いだし、スーパーで万引きや強盗を働こうにも小心者の男にはそれができなかった。一度万引きを試みたが、警備システムに見つかり、すっかりビビってしまったのだ。
「……うまそうだな……」
男はゆっくりと鍋に向かって近づく。久々の食糧だ。しばらく建物の爆破計画だけで空腹を紛らわせていたからだろうか、何も怪しむことなく、男は鍋の蓋を開けようとした。
「うわぁ、こんなにあっさり引っかかるなんてねぇ」
「まったく、バカバカしいと思っていたが、間抜けはいるものだな」
不意に、奥から声が聞こえてくる。公園の奥を見ると、白いシャツを着た眼鏡の男と、アニメイラストのシャツを着た男が立っていた。男は驚き、思わず倒れそうになった。
「お前が爆弾魔だな? 残念だけど、大人しくしてもらおうか」
公園の入口から、ロープを持った真玄が男に近づく。男はどこか逃げ場はないかと辺りを見回す。
「無駄だ。逃げようとしても、その先には仲間が待ち構えている。走っている姿を見たが、あれでは到底逃げられんだろうな」
眼鏡の男、寒太がそう言いながら、男に近づく。男は真玄と寒太の姿を交互に見ながら、逃げる隙を伺う。逃げられそうなのは、公園の入口くらいしかない。周りは建物の壁やフェンスがあり、逃げるのに手間取りそうだ。
仕方なく、男は入口がある真玄の方に向かって突進した。真玄はロープを構え、男の確保を狙う。しかし、男のフェイントに引っかかり、うまく捕まえることができずにその場で転んでしまった。
「ちっ、待て!」
真玄はすぐさま男を追いかける。日が落ちて辺りは徐々に暗くなっていくものの、動くものをとらえるには十分だ。男はこれでも必死で走っているのだろうが、ふらふらとして力強さが感じられない。やはり、空腹で力が出ないようだ。
立ち上がるまでの時間のハンデはあっという間になくなり、もう手を伸ばせば届きそうな距離になる。その時だった。
「コーノルー! ここから先は行かせんぞー!」
突然、わき道から猫耳の人間が現れた。思わず真玄は立ち止まってしまう。男も同様に立ち止まったが、真玄が追ってこないのを察知すると、すぐさま別の道へと走り去ってしまった。
「こ、コノルー!? 何で邪魔するんだよ!」
「コーノルー! この人間、捕まえさせないぞー! マスターの命令、絶対! それより尻だ! 尻を揉ませろ!」
コノルーは両手で何かを揉むような態勢をとり、真玄を追いかける。真玄は思わず、来た道と反対側へと逃げ出した。
「ちょ、ま、待て、な、何で俺を追いかけてくるんだ!」
「もちろん尻だ! 尻を揉むためだ!」
「尻はともかく邪魔をするなよ!」
気が付けば公園まで逃げていた。目の前には、呆れた顔をした寒太の姿が見える。
「はぁ……お前たちは一体何をやっているのだ?」
走ってくるコノルーの前に立ち、長い手を使ってコノルーの顔を押さえる。コノルーは「うおー」とうめきながら、手をジタバタさせた。
「……すまない、こいつに邪魔されて、逃げられてしまった」
寒太はコノルーの相手を、近くにいた太地に任せる。太地は尻を揉もうとするコノルー相手に、逆に尻を揉み返そうとしていた。
「……まあ、相手もヘロヘロだろうし、あっちで待っている風野には連絡しておいた。入り組んでいる道だが、地図もあるし、足音で分かるだろう。いくら女とて、あんなひょろひょろの男なら、風野一人でも十分……」
「ああ、トモミちゃんと麻衣ちゃんなら、私が眠らせて休んでもらってるよ。まったく、こんな暗い道で、女の子を二人きりにするなんて、ここの男たちはデリカシーないわねぇ」
公園の入口から、「ふっふーん」と言いながら髪の長い女が近寄ってくる。
「く、クロミナ!? お前まで邪魔をするのか」
「当然でしょ、シロサキマクロ。あいつが捕まっちゃったら、実験にならないじゃない。そりゃ、私たちの邪魔をするあんたたちの邪魔をするのは当然でしょ?」
「な……でも放っておいたら……」
「被害が増える? どうでもいいことでしょ。大体、人間に被害がないんだし。それに、この世界を作ったのは、私たちなんだから」
「それこそおかしいだろ! 自分たちが作った世界が壊されて、何で平気なんだよ!」
「はぁ……そんなの、別にいいでしょ。マスターは実験している。その実験には、この世界と被験者が必要。で、あんたたちは邪魔者。それ以外に、何かある?」
「そ、それは……」
真玄が言葉に詰まっていると、太地とじゃれていたコノルーが割り込んできた。
「コーノルー! 案内人、実験のサポートする。それだけ。邪魔しなければ、何もしない。だから、お前たち、邪魔せずに尻を揉ませるべき」
「あんたはちゃんと仕事しなさい! この尻マニアオタンコナスが!」
クロミナはコノルーにげんこつを一発食らわせる。コノルーは「ひ、酷い」と涙目になった。
「……そうだ、コノルー、だったか。一つ気になることがあるんだが……」
寒太がコノルーに尋ねると、コノルーは頭を押さえながら首をひねる。クロミナも、寒太の質問が気になるようで、「何かしら」と割って入った。
「いつもなら、犯罪者予備軍を呼び出すなら、近リア充も一緒に呼び出されているはずだ。しかし、今回はそうではないようだ。我々が見落としているだけかもしれないが……その人物はどうした?」
寒太に指摘され、コノルーもクロミナも一瞬凍りつく。
「あ、そういえば、今回トモミちゃんみたいな子を見なかったね。今回の犯罪者予備軍が爆弾魔だから特殊なのかな?」
太地は一応つじつまが合う仮定を提案してみるが、クロミナとコノルーはどうも何かやってしまった顔をしている。
「あー、えっと、その……」
「え、まさか、呼び出し忘れた……とか?」
真玄が突っ込むと、コノルーが何故か「コーノルー!」と叫び声をあげる。
「な、く、クロミナ、手配、してくれたんだよな? な?」
「……近リア充は呼び出した犯罪者予備軍に対して適切な人選が必要だし、そもそもあんたが呼ばなきゃいけないんでしょ?」
「そ、そんなこと言われても……」
「アホ! あんたがさっさと動けばよかったものを……」
「あっ、ちょ、ちょっと待って、あ……」
クロミナがコノルーを怒鳴りつけていると、突然コノルーが頭を押さえてクロミナの言葉を遮った。
「……え、す、すまねぇマスターアサート、今度はちゃんと……え、用がない? そ、そんな、せっかく仕事したのに……ま、待ってくれ、ちょ、ちょっと!」
頭を押さえたまま、一人呟き続けるコノルー。一体誰と話しているのかと、真玄たち三人は首をかしげる。
しばらくすると、青ざめた顔でコノルーが真玄たちの方へ顔を向けた。
「……あの犯罪者予備軍、もう、用がないって……」




