EP6:神社
この世界では珍しく、今日は曇り空だ。空を見上げると厚い雲が、辺り一面を覆い尽くしている。
薄い灰色が徐々に暗くなっていく。そんな気がした。いつもは強い日差しが差しているのに、今日ばかりはそれもなく、風が少し冷たく感じる。
外に出ようと思った真玄は、ドアを開けた瞬間冷たい風が吹いていたので、薄手の長袖を一枚重ねることにした。
「……急に季節が変わったみたいだな」
自転車をこぎながら、辺りを見渡す。景色はあまり変わっていないが、陽が差していないだけで随分と違うものだと思った。いつもは少しこぐと汗ばんでいたが、今日はそれが無い。
シフト上アルバイトは休みのため、今日はサイクリングをしてみることにした。一人暮らしを始めてからというもの、あまりあちこち行ったことが無かったので、どんな場所があるのかきちんと把握しきれていない。
実際にいろんな道を走ってみると、思いがけない発見がある。近くに川が流れていたり、小さなお店がいくつもあったり、知らないことだらけだ。
「近所にも、結構いろいろあったんだな」
ほとんど大学周辺と大通りくらいしか行かない真玄にとって、いろいろと新しい発見があってペダルをこぐ足に力が入る。この先には何があるのだろう、ここはどうなっているのだろう……用事が無い狭い道にもついつい入ってしまう。
途中行き止まりになっていることを知らずに進み、何度も苦労して折り返すこともあった。どこかにつながっていると思ったら民家に突きあたったり、よくわからない店にぶち当たったりする。こういうことも、人がほとんどいない世界だからできることだ。
あちこち自転車で回っているうちに、長くて急な階段を見つけた。入口には、大きな鳥居がある。
「神社かな。ちょっと休憩がてら行ってみよう」
自転車を入口近くで停め、ゆっくりと階段を上っていく。風が吹くと、いくつもあるイチョウの木の葉が揺れ、ざわざわと音を立てる。
神社の階段は意外と急で、歩くのも一苦労だ。少し汗ばみながらも、真玄はようやく階段を上り切った。
境内には手水舎はあるものの社務所のようなものは見当たらない。小さな地元の神社のようだ。
ふと境内を見渡すと、イチョウの木に寄りかかって社殿を見ている人影が見えた。
「……アマミヤ?」
フードを被った少年の正体は、案内人の一人であるアマミヤだった。
「……ああ、シロサキマクロか。こんなところに来るなんて、どうしたんだい?」
イチョウの木から離れると、アマミヤは真玄の方に向かって歩き出した。
「アマミヤこそ、どうしてここへ?」
「僕が大好きな場所でね。ここに来るとなんだか落ち着くのさ。木々のざわめきしか聞こえないし……最も、人がいないからどこに行っても静かなんだけど」
アマミヤは真玄の数メートル手前まで来ると、立ち止まって後ろに振り返る。真玄がその視線の先を追うと、イチョウの木の隙間から、街の風景が見えた。
「ここから見える景色もいいよね。ここの住人だったら、この中に住んでいるのかっていう……なんていうか、不思議な気分になるよね」
「そうなのかな。俺はそうは思わないけど」
それほど高い場所にある神社ではない。しかし、ここから見る街の風景は、真玄が今までみたことのない世界だった。今まで自転車で走ってきた道が迷路のように絡み合い、いくつもの家がその間にひしめき合う。特別高い建物はないが、その中でもビルや病院など少し階数がある建物は目立つ。
「ああ、実際住んでいるとまた感覚が違うよね」
「まあ……」
旅行に行ったとき、もしここに住めたならきっと素敵な生活が送れるだろう、と考えることがある。しかし、実際住んでいる住民は特別そんなことは思わないのだろう。真玄とアマミヤの感覚も、住人か旅行者かの違いに似ている。
「……そうだ、アマミヤ、聞きたいことがあったんだ」
真玄に言われ、アマミヤは真玄の方へ振り返る。
「聞きたいこと? なんだい?」
「マスターのことなんだけど」
マスター、という言葉を聞き、真顔だったアマミヤの表情が険しくなる。
「……シロサキマクロ、マスターにはかかわらない方がいい。マスターは危険だ」
「そうはいかない。マスターについて知ることが、この世界から脱出する近道だからね」
「なおさら教えられるわけないじゃないか。そもそも僕たちが実験のために君達を連れてきたんだ。そんなに簡単に向こうの世界に返すわけにはいかない」
「なるほどね。つまり、アマミヤたち案内人は、俺たちをこの世界に呼び出した。そして、返す方法も知っているってことか」
語気を強める真玄に、アマミヤは目をつぶってため息をつく。そして、階段の方へ向かっていった。
「……たしかに、僕たち案内人は、君達を元の世界に返すことができるよ。でも、さっきも言った通り、君達はマスターの実験のために連れてこられたんだよ? どうしてそんな立場なのに、連れてきた人間がすぐに元の世界に返してくれると思ったんだい? 誘拐犯が何もせずに人質を解放すると思うのかい?」
「……やっぱり駄目なのか?」
アマミヤは階段の手すりに手を掛け、一段だけ降りる。そして、思い出したように、肩を落としている真玄に向かって言った。
「心配しなくても、マスターの実験が終われば元の世界に返してあげるよ。もっとも、リア充になって爆発していなければ……だけどね」
「その実験……いつ終わるんだ? 人殺しの実験ばかり続けて、一体何が目的なんだ?」
階段を降りようとしたアマミヤを止めるように、真玄は大声で叫ぶ。
「さぁ、いつだろうね。君達が余計なことをしなければ、すぐに終わるかもね。でも、それはマスターの機嫌次第だと思うよ」
「余計なことって……俺達はただ……」
「元の世界に返りたければ、大人しくすること。今出来るアドバイスは、それしかないよ」
そう言って、アマミヤは階段を降りていった。
「おい、アマミヤ、ちょっと待てよ、おい!」
真玄は慌ててアマミヤを追いかける。しかし、既にアマミヤの姿はどこにもない。長い階段の先には、停めてあった自転車が見える。
「……いつのまに……一体どこに行ったんだ?」
あの時間で階段を降りきったとは考えにくい。やはり案内人は、普通の人間とは違うのだろうか。
階段を降り、辺りを見回す。すると、来た道とは逆の道に、角を曲がる人影が見えた。
「いたっ! 待て!」
すぐさま自転車に乗り、後を追う。しかし、なかなか追いつけない。一体どうなっているのだろうか。
「……おかしい。いくら何でも自転車で追いつけないなんて……」
必死にペダルをこぎ続ける。汗が目に入って仕方ない。時々手で汗をぬぐいながら、人影の後を追う。
途中いくつも交差点があり、一応そのたびに確認はしている。しかし、もしかしたらどこかで曲がってしまったのかもしれない。真玄が諦めて引き返そうと思った時である。
「うわ……なんだこれ。すごいな……」
まっすぐいった先の突き当りに、巨大な廃工場が現れた。




