EP6:失態
「おーい、大丈夫か!?」
真玄は声がする方に向かって大声で叫ぶ。自転車をこぐスピードは、どんどん上がっているような気がした。
住宅街をしばらくまっすぐ進んでいると、「助けて!」という声が聞こえる。その声を頼りに、細い道をどんどんと進む。
途中角を左に曲がり、少し進むと身長百八十センチはあると思われる大男が刃物を持ち、倒れ込んでいる高校生ほどの女性に向かっていた。
「お、おい、やめろ!!」
自転車を止め、大男に声を掛ける。しかし、真玄の声など聞こえなかったのように、大男は真玄を無視して女性に近づいていく。
真玄は走って止めに行くが、距離が遠い。大男は刃物を振り上げると、周囲の目もくれず女性に向かって振り下ろした。
「きゃぁぁぁぁ!」
真玄の助けも間に合わず、刃物は深々と女性の心臓を貫いた。真玄は思わずその場で立ち止まる。
大男は満足げな顔をすると、素早く刃物を抜く。女性から噴き出す鮮血が、道路と男の壁を赤く染めた。
「くっ……ひどいことを……」
凄惨な状況に、思わず顔をそむける。しかし、そんな真玄の姿を見て、大男はすぐさまこちらに向かってきた。
「くそっ、まだ満足してないのか!」
直感的に分かる。こいつは犯罪者予備軍だ。いや、正確にはもはや犯罪者だが、とにかく早く逃げなければ。
自転車に乗っている暇はない。とにかく走り続ける。しかし、途中ふと麻衣がこちらに向かっていることを思い出した。
「しまった、麻衣にも知らせないと……」
そう思った矢先、右の角から麻衣が顔を見せる。
「ま、マクロン、待って……って、え、え?」
「麻衣、早く逃げろ! 殺人鬼だ!」
「え、さ、殺人!? い、いやぁぁぁ!」
殺人鬼、という言葉を聞き、麻衣は元来た道へ急いで引き返す。真玄は麻衣の後を追うが、思ったよりも麻衣の足が速い。
「くっ……撒けるのか!?」
ちらりと後ろを見ると、大男が刃物を持って迫ってきた。距離が近くなっている気がする。このままでは、追いつかれるのも時間の問題だ。
どこかで戦うしかないか……そう思った時である。
「マイちゃん、こっちよ! シロサキマクロ! あんたはまっすぐ走りなさい!」
麻衣の前に長髪の少女、クロミナがこちらに手を振って立っていた。麻衣がクロミナの元にたどり着くと、クロミナは麻衣の手を引いて建物の中に入り込んだ。
「……人の家に勝手に上がり込んでいいのかよ」
真玄はぼそりとつぶやいたが、そんなことを考えている暇はない。とにかく、今はクロミナの言う通り、まっすぐに走って逃げる。
生ぬるい風が当たり、噴き出る汗を飛ばしていく。ここが日陰で助かった。もし日向だったら、どれだけの汗が出ていただろう。
もうすぐ大通りに出る。大男は麻衣の存在を知らないのか、相変わらずこちらに向かってきていた。
もう距離は十数メートル。もう何秒も持たない。
「はぁ……まったく、コノルーもめんどくさいことしてくれるな」
必死に走る真玄の前には、青いジャケットを着た少年、アマミヤが立っていた。
「シロサキマクロ、左に逃げて。ここは何とかするから」
「何とかするって……」
意図は分からない。罠かもしれない。しかし、考える余裕はない。真玄は仕方なく、アマミヤの言う通り大通りに出てすぐ左に曲がった。
「……ダミーヒューマン……」
真玄がアマミヤとすれ違う時、アマミヤがそうつぶやいているのが聞こえた。少しすると、アマミヤがいたところに少女のような人間の形をした物体が現れた。
「……!? あれは……」
逃げながら振り返ると、その人間の形には見覚えがあった。沙羅が襲われた時に見た人影と、そっくりだ。
アマミヤは少女のような物体を出した後、すぐさま真玄と同じ方向に走った。同時に、少女のような物体は、真玄と反対側に逃げる。
少しして、大男が姿を現した。大男はこちらに向かってくるかと思いきや、少女のような物体の方へ向かっていった。それを見て、真玄は思わず立ち止まる。
「アマミヤ、あれは一体……」
「説明は後だ。とりあえず、今は逃げて」
走り抜けるアマミヤの言う通り、真玄はひとまず大男と距離を取るためにその場を離れる。
「……もういいだろう」
アマミヤは走るのをやめると、大男の方へ振り向いた。同時に、真玄も足を緩める。
大男の方を見ると、先ほどの少女のような物体をとらえたのか、その場で押し倒しているように見える。そして、持っている刃物をその物体に何度も刺している。
「……」
「心配することはないよ。それより、多分もうすぐ……」
真玄は目をそらそうとするが、アマミヤの一言で再び大男に目を向ける。すると、大男はぐったりとしている少女のような物体を見て、大きな声で笑い始めた。
しかし、しばらくすると、大男は刃物を落とし、両手で顔を覆い始めた。
「あ、あれって、まさか……」
「そうだね、君の考えている通りだよ」
遠くからでも分かるほど、だんだん顔が赤くなっていく。そして、しばらくすると男の頭が吹っ飛び、そのまま倒れ込んだ。
もうこの世界では見慣れた光景とはいえ、やはり人の死の瞬間を見るのは気分が良いものではない。
「……さて、死体を片付けるか」
アマミヤはひどく冷静な様子で、男の方へ向かう。
「ちょ、ちょっと待て、なんでお前はそんなに冷静でいられるんだ? いつもそうだが、人が死んでいるんだぞ?」
「そんなの気にしてたら、案内人なんてやっていられないよ。あ、一応今回の件は説明しておいた方がいいと思うから……そうだなぁ、落ち着いたら、君たちがいつもいるファミレスに来てくれないか?」
「え、ま、待てよ、おい!」
止めようとする真玄を無視するようにアマミヤは男の方へ向かう。
「おーい、マクロン、大丈夫だった?」
真玄が呆然としていると、麻衣が息を切らせてこっちへやってきた。クロミナが一緒にいるからか、大男が爆発したことは知らないようだ。
「……ああ、アマミヤのおかげで助かった」
「もう、急に殺人鬼なんて来るから、びっくりしたじゃない。まあ、私もクロミナちゃんのおかげで助かったけど」
そう言ってクロミナの方を見ると、クロミナは「ふっふーん」と無い胸を張った。
「マイちゃんを危険な目に遭わせるわけにはいかないからねぇ。これもナビゲーターの仕事の一つよ」
「そ、そうか……」
人が一人死んでいるのだが、と突っ込もうと思ったが、麻衣がいる手前言うのはやめておいた。
「そうだ、さっきの殺人鬼について、アマミヤから話があるって。寒太と太地も呼んで、一度ファミレスに集まろう」
「さっきの大男? うぅ、なんか嫌な予感がするなぁ……」
「嫌なら来なくてもいいぞ。もしかしたら、気分の悪い話が続くかもしれないからな」
それを聞いて、麻衣は「うっ」と一瞬言葉が詰まったが、すぐに首を横に振った。
「だ、大丈夫大丈夫。私だって、非リア充同盟の一人なんだから!」
「そうか? まあ、無理はするなよ」
「よーし、そうと決まれば……暑いし、一回シャワー浴びてくるわ。走って汗かいちゃった」
麻衣はそういうと、大男がいた方へ向かっていった。
「あ、そ、そっちは……」
「え、何?」
真玄に止められ、辺りを見回す。しかし、特に変わった様子はない。
「……あ、あれ?」
「なんだ、何もないじゃん。じゃ、マクロン、後でね」
そう言うと、麻衣は真玄に手を振って行ってしまった。
「……どうなっているんだ? さっきまで死体があったのに……」
「シロサキマクロ、私たちの死体処理能力を舐めてもらっちゃ困るわよ。これくらい出来なきゃ、ナビゲーターはやってられないんだから」
クロミナは「ふっふーん」と言いながら長い髪をかきあげる。
「そうか……さっきはありがとな」
「う、うな、何を急に!?」
「麻衣に残酷なところを見せずに済んだ」
「ああ、そういうこと」
クロミナは「当然でしょ」と付け加え、腕を組んで胸を張る。
「ま、そういうところを気に掛けるなんて、あんたもいいところあるじゃん」
「そう考えるのがが当然だと思うけどな」
「できない人間なんて、たくさんいるものよ」
「あぁ……確かに、心当たりはある」
誰とは言わないが、真玄ははぁ、とため息をつきながら頭にとある人物を思いうかべた。
「さて、私もいろいろ仕事があるし、後はアマミヤに聞いてよね」
「ああ、分かった。クロミナも、気をつけてな」
「ふっふーん、気を付けるのはあんたたちでしょ? 私が気を付けるって……んなー!」
いつも通り、クロミナは自分の髪を踏んづけてその場で転んでしまった。
「……いい加減、地面に付かない程度まで髪を切ればいいのに……」




