EP2:記念日
レストランに入ってきた女性は、身長百五十センチほどで小柄で、少し幼い顔立ちをしている。
ただ、薄いグリーンのワンピースに黒いハンドバッグ、そしてイヤリングなどの装飾品を見る限り、学生というわけではなさそうだ。
女性は真玄たちをみると、少し驚いたような顔をした。
「え、あれ、やっぱり人がいたのね」
そう言って戸惑っている女性に、千草は立ち上がって声を掛ける。
「あなたも、この世界に連れてこられたのね。どう? 私たちと一緒に食事をしながら、話をしない?」
「あ、でも、私、人を待っているので……」
「じゃあ、その人が来るまででもどうかしら?」
「えっと……じゃあ、それまでは……」
そういうと、女性は千草の隣の席へ着いた。
「私、姫束珠子と言います。みなさんも、この世界に連れてこられたのですか?」
珠子はコーヒーを注文すると、真玄と千草に尋ねた。
「俺たちはこの世界、『試験世界』に、リア充の爆発実験のために呼び出されたんです」
「リア充の爆発?」
「リア充、つまりリアルで充実すると、爆発して死んでしまう。そういう世界なんですよ」
「……」
真玄が説明しているうちに、注文していたホットコーヒーが台車に載せられて運ばれてきた。珠子はそれを自分のテーブルに運ぶ。
「だから、誰もいないっていうことですか?」
「この世界には、実験のために呼び出された人たちしかいないんです」
「そう……ですか。私の彼氏も、この世界にはいないのかもしれませんね」
そう言うと、珠子は飲んでいたコーヒーのコーヒーカップをコースターに戻した。
「今日は、彼氏と付き合ってちょうど一年の記念日なんです。それで、この場所でお祝いする約束をしていたんですけれど、おとといくらいから連絡が取れなくて。外に出てみたら誰もいないし、会社に行っても誰もいなくて……」
「じゃあ、どうしてここへ?」
「もちろん、彼との約束を守るためです。今日は、ここでお祝いしようって決めてましたから」
「でも、この世界にはその、彼氏さんはいるとは……」
真玄が言いかけると、珠子はバン、と両手でテーブルを叩いて立ち上がった。同時に、持っていたハンドバッグが床に落ち、中身が零れ落ちた。
「何でそう決めつけるんですか? 私がここにいるんですから、彼もどこかにいるかもしれないじゃないですか!」
「珠子さん、落ち着いて。この世界は特殊なの。私も最初はこの世界に驚いていたけれど、ここにいる以上どうしようもないの」
千草は珠子をなだめて座らせると、ハンドバッグと床に落ちた中身を拾った。そして、真玄に代わってこの世界について説明を始めた。
この世界には真玄たちのような非リア充、千草や珠子のような近リア充、犯罪者予備軍の人間が呼び出されていること、そしてリア充になると爆発するということ。
最初はまじめに聞いていた珠子だったが、話が進むにつれて徐々にあきれたような顔になってくる。しまいにはため息が漏れていた。
「あの、そんなこと言われて、信じられると思いますか? きっと、彼だって何か事情があって、連絡が取れないだけなんです」
「だったらこの状況、どう説明するのかしら? 私たち以外誰もいないし、お店も店員なしで開いてるのよ?」
「それは……」
珠子は言葉に詰まると、千草たちから視線をそらした。
「と、とにかく、もう一度彼を探してみます。もしかしたら、どこかにいるかもしれませんし」
「じゃあ、俺らも探すの手伝います。写真か何か、ありませんか?」
「いえ、私一人で探しますから。ある程度、心当たりありますし」
それでは、と珠子は飲みかけのコーヒーを置いて、レストランを後にした。
「困りましたね。せっかくまた一人仲間が増えると思ったのに」
「……彼女、恋愛に一生懸命で、周りが見えていないようね」
「え?」
ようやく来たメインディッシュのローストビーフを口にしながら、千草はつぶやいた。
「ほら、恋は盲目っていうじゃない? 好きな人がいると、その人しか見えなくなっちゃって、冷静な判断が出来なくなるのよ。本来なら、誰も人がいないっていう状態を異常だと思うでしょうし、せっかく見つけた人、つまり私たちに助けを求めるはずじゃない。ましてや、事情を知っている人間よ?」
「千草さんだって、最初そうだったじゃないですか」
真玄がそう言うと、千草はナイフの手を止めて「まあ、確かにそうね」と返した。
「私の場合は、別に一人でもなんとかなると思ったからよ。でも、珠子さんは彼氏さんを見つけるっていう目的があるのに、人の手を借りようとしない。それはおかしいんじゃないかしら?」
「もしかしたら、何か理由があるかもしれないじゃないですか。だからあんまり深入りは……」
「真玄君は、珠子さんを助けたいんじゃないの?」
「それは、もちろんそうですよ」
「だったら、彼女の手伝いをするべきじゃないかしら?」
そう言うと、千草はブレッドを手に取って付属のバターを塗った。そして、それを一口かじって真玄の返事を待つ。
「……そうですね。食事が終わったら、まずは珠子さんのその、彼氏さんを探しましょう。もし見つかれば俺たちのことを信頼してくれるでしょうし、いないならそれを証明すれば、納得してくれるはずです」
「そんな悪魔の証明、出来るのかしら」
「わ、わかりませんけど、とりあえずやってみましょう」
そういうと、真玄はがつがつと料理を食べ始めた。それを見て、千草は思わずクスリとする。
「そんなに慌てなくてもいいでしょ? それに、珠子さんの彼氏さんの顔、わかるの?」
「あ……」
「それに、たとえそれらしい人が見つかっても、連絡する手段は考えてるの?」
「うぅ、確かに」
真玄は食べる手を止め、一度水を飲んで食べている物を流し込む。そして、腕を組んではぁ、とため息をついた。
ふと床に目を移すと、何かが落ちているのが見えた。真玄はそれを拾う。
「……ペンダント?」
金色の鎖の先に、ハートの形の飾りがついている、首飾りのようだ。
「ロケットね。珠子さんのかしら。もしかしたら、彼氏の写真が入っているかも」
千草に言われ、真玄はロケットペンダントの飾りを開けた。
中には、長い髪の顔立ちが整った、おそらく四十代の男性の写真が入っていた。
「もしかして、この人が珠子さんの?」
「可能性は高いわね。この世界にいるかわからないけれど、探してみましょう」
「あとは連絡先だけど、珠子さんって、この駅近くに住んでいるのかな」
「その点はご心配なく」
そう言うと、千草は胸ポケットから一枚の紙を取り出した。
「彼女の名刺よ。さっきハンドバッグを落としたときに、こっそり拾っておいたの」
「……抜け目ないですね」
「彼女が教えてくれるとは思えなかったから、念のために、ね。ロケットを返したいからという口実で、もう一度彼女と話してみるのもいいと思うわよ」
「そうですね。明日、もう一度話してみようと思います」
「ええ、今日の所は、食事を楽しみましょう。せっかくの機会だし」
千草がそう言っていると、デザートと食後のコーヒーが運ばれてきた。千草はまだサラダを食べている真玄をしり目に、食べあげた皿を台車に載せた。




