EP2:喫茶店
午前九時五十分頃、真玄は沙羅と出会った公園の入口に自転車を停め、ベンチで沙羅を待つことにした。
今日も空は気持ちの良いくらい晴れている。この世界に来てから、晴れが続いているのはいささか気持ち悪い。本当に雨の日などというのが存在するのかと思うほどだ。
コンビニのアルバイトの休みは月に何日かあるのだが、普段は引きこもってネットサーフィンばかりだった。そんな真玄にとって、外でゆっくり過ごしている今を、本当に休んでいると実感している。
「たまにはこういうのも、いいかもな」
そう思い、思いっきり深呼吸をしていると、公園の入口で誰かが手を振っているのが見えた。薄いピンクのTシャツに黒いベスト、それに黒いスカートがよく似合っている少女だ。
真玄が歩いて近づくと、それが本頭沙羅であることがわかった。
「へぇ……」
真玄は沙羅の前で立ち止まると、沙羅の服をじっと見つめた。沙羅はそんな真玄の様子を見て、首をかしげる。
「……真玄、そんなに私をじろじろみて、どうしたの?」
「え、いや、結構似合うなぁと思って」
「……外出着、これくらいしかなかったから。外、あまり出ないし」
そういうと、沙羅はその場でくるりと一回転して、真玄に背中まで服を見せた。
「かわいい、かな」
「うん。とてもかわいいよ」
「……うれしい」
沙羅は真玄から視線を外し、もじもじしながら言った。そして、真玄のTシャツの脇腹部分をつかむと、
「じゃあ、行こう」
と引っ張って歩いた。
「え、ちょ、ちょっと、そこ引っ張っちゃダメだって」
「……じゃあ、手、つなぐ」
「え、手? うーん、それは別に構わないけど……」
真玄がそう言い終わる前に、沙羅は真玄の右手を取って歩き始めた。
「ま、待って、慌てないでよ!」
「真玄がいいって言ったから、手、つなぐ。はやく、行こう」
「わ、わかったから」
途中でこけそうになりながら、真玄は沙羅についていく。思ったより速い沙羅の歩くスピードに、真玄は振り回されそうになっていた。
「沙羅ちゃん、普段もこんなに早く歩いてるの?」
「え、そんなに速かった?」
沙羅は真玄がついて来れていないことに気づくと、歩く速さを緩め、真玄に合わせた。
「……ごめん、緊張すると、早足になるみたい」
「緊張?」
「緊張したり、逃げたい時だったり、怖い時だったり、早足になっちゃうから」
「ああ、そうなんだ。それで……」
真玄と出会った頃の沙羅は、公園から出るとすぐにどこかに消えてしまった。きっと真玄から離れるために、早足で帰ったのだろう。
「今は、大丈夫。逃げたりしないから」
「さすがに今の状況で逃げられたら、ちょっと寂しいかなぁ」
「……私がいないと、寂しい?」
「え、うん、そりゃせっかく会えたんだし、いなくなったら寂しいよ」
「……よかった」
沙羅はそう言いながら立ち止る。後ろをついていた真玄も、それに合わせて立ち止った。
「え?」
「何でもない。真玄、行こう」
首を振りながらそう言うと、沙羅はさらに手を握る力を強くし、真玄を引っ張って歩き始めた。
「ま、まってよ、歩くの速いって!」
先ほどの倍くらい出ているのではないかと思うスピードで歩く沙羅に、真玄は首輪を引っ張られるペットのように慌ててついていった。
****
真玄が住んでいるアパートや働いているコンビニがある場所とは、住宅街を挟んで反対側にある大きな道路。その脇には、飲食店や専門店といったお店がずらりと並んでいる。
もともとは田園地帯であり、狭い国道を通らずに大型車を通すために作られた、大型のバイパスであった。しかし、利便性の高さと周囲の住宅建設が進んでいくにつれて、商業施設が増えていったのだ。
沙羅が言う喫茶店は、商業施設の並ぶ道路脇に、焼き肉チェーン店とスーパーに挟まれるように建てられていた。
「へえ、おしゃれなところだね」
避暑地の別荘を思わせるログハウスのような木造の建物で、小さな看板には「クレストリア」と書かれている。よく手入れされた観葉植物が入り口に飾られているが、誰か世話をしているのだろうか。
メニューが書かれていたと思われるブラックボードが置かれているが、今は何も書かれていない。従業員がいないからだろう。
「……しばらく来てなかったけど、あまり変わってない」
「どのくらい来てないの?」
「一ヶ月くらい」
「そりゃ変わらないよ」
「そう。とりあえず、入ろう」
そういうと、沙羅は真玄の手を引いて入口に向かい、ゆっくりと引き戸を開けた。
店内は二人掛けのテーブルが五つとカウンター五席で、それほどスペースは広くない。ところどころに飾られた手のひらサイズの観葉植物と、ここの店主の趣味なのか、塩ビの人形がいくつか飾られている。
静かに流れるクラシックの音楽が、より店内の静けさを引き立てる。足音一つすら、店内に響き渡った。
一応「すみません」と声を掛けるが、店内には誰もいない。カウンター席の奥が調理場になっているのだが、まるで閉店時のようにきれいに片付けられている。
「やっぱり誰もいないか。どこに座る?」
「真玄、ここじゃない。こっち」
「え?」
沙羅は真玄の手を引くと、店の奥にある扉に向かった。その扉を開けると、木の手すりと床板で作られたデッキが現れた。
デッキには店内とは別に三つほど円形のテーブルが並んでおり、同じく木造の屋根がその上を覆っている。
目の前には、バイパス脇の建物の裏に広がっている田園と、山々の風景が広がる。この風景を見ながら、ゆっくりとお茶ができるというわけだ。
「へぇ、カフェテラスかぁ」
「うん、喫茶店に来るときは、いつもここで本を読んでる」
「確かに、風通しがよくて涼しいし、夏場はちょうどいいね」
「ドア閉めると、向こうの音、聞こえない。車の音も気にならないから、静かに過ごせる」
そういうと、沙羅は「いつもここに座ってる」と言って、真ん中の席に座った。真玄は残った二つの席のうち、沙羅の左側にある席に座った。
テーブルの上に置いてあるアルバム型のメニューを広げると、ケーキやパフェ、軽食のメニュー、そしてドリンクのメニューが写真付きで紹介されていた。
「ここ、ケーキセットが有名。私、いつもそれを頼んでる。」
沙羅は最初のページに書いてある、「ケーキ&ドリンクセット」を指さした。日替わりのケーキと、指定された中から選べるドリンクのセットだ。
「じゃあ、それにしようか。えっと……」
「そこの小窓から、店員さんを……あっ」
沙羅はそこまで言って、店員が誰もいないことを思い出した。
「多分、ファミレスと同じかな。ほら」
真玄は、メニューが立てかけてあった台と一緒のところに入れられていたマークシートを手にして、沙羅に見せた。ファミレスと同様、メニューと数量が書かれており、そこにマークして機械に通すことで注文をするようだ。
ただ、ファミレスと違い、テーブルごとにマークシートを入れる機械があるわけではない。店内入口の近くに読み取り機があり、その隣に料理が運搬される箱がある。
「……知っているのと随分ちがう。やっぱり、一ヶ月のブランクは大きい」
「いやいや、ここは別の世界だから」
がっくりと肩を落としている沙羅の頭を、真玄はなでながら言った。




