十分間
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ベッドの上でうなされていた。九月に入り、だいぶ涼しくなっていたのだが、俺はよく悪い夢を見る。しかも明け方だ。仕方ないと思い、快眠を妨げる方法を考え続けていた。昼間はずっと残暑の中、部屋から歩いていける場所にある郊外型量販店の前の駐車場で警備員をやっていたのだし……。仕事が終わると、帰りに量販店で売れ残った弁当を一つとアルコールフリーのビールを一缶買い、帰っていく。俺も疲れていた。毎日仕事が続くのだし、疲労が溜まれば住んでいる狭い木造アパートの部屋で食事を取り、風呂に入って眠る前に大好きな音楽を聞きながらゆっくりする。大抵午後十一時過ぎに眠り、翌日午前七時前には目が覚めて、一日をスタートさせていた。比較的健康体だ。近くの掛かり付けの内科で一年に一度血液検査をしてもらうだけで、後は何もなかった。だがあの悪い夢を見るのは一体なぜだろう……?しかも見ているのはいつも十分間でとても短い時間だ。なのになぜあんな悪い夢を……?俺も心配だった。いくら体が健康でも、心が不健康だとまずいのだし……。だが仕事は毎日午前九時から始まり、合間の食事休憩を挟んで午後五時まで続く。いくら日雇いとはいえ、疲れは溜まる。この疲労が原因かもしれないと思い始めた。まあ、確かに夏場の疲労は今の初秋という時季にドッと出てくるのだが……。決まって十分間なのである。何かしら問題があるものと思われた。脳や神経などに。もちろん放っておいても治ると感じていた。病院にはあまり行きたくない。医者にいろいろと言われるからである。お酒やタバコは程々にとか、食事は三食バランスよくきちんと取りなさいなどと。そういったことが俺には野暮に思えていた。これでも二十七年間生きてきている。別にそういった体の健康などに関し、ほとんど意識はない。そんなことばかり考え続けていた。あの十分間が実に恐ろしいだけで……。
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またその夜も眠る時間が来た。寝付きはいいのだが、明け方見る十分間の夢に怯えている。何かしら恐ろしい類の物を。俺もさすがに眠る時間が恐ろしくなってきた。ただ、部屋でテレビを付けていても、設定したタイマーで自動的に切れるから安心している。普段ずっと外にいるので、この夏もすっかり焼けてしまった。ベッドに入る前、冷蔵庫から取り出したミネラルウオーターのボトルのキャップを捻り、軽く一口呷ってからベッド脇に置き、眠った。少し気分が落ち着く。さすがに俺も夜が怖かった。あの夢は一体どこから来ているのだろう……?訝しげに思っていたのである。だがすぐに眠りに落ちてしまった。明け方に一度目が覚める。トイレに行って用を足し、ベッドに戻ってまた眠った。時計を見るとちょうど午前五時前だったので、もう少し寝ていようと思う。枕に顔を埋め、薄手のタオルケットを体に掛ける。すると、その数分後に例の夢が始まった。一番見たくない類の代物だ。俺もまずいと思いながらも体が硬直した状態に陥る。半分意識はあった。だが体がガードされたように全く動かない。硬くなっていて。金縛りのようなものか……?そしていつもの少年が出てきた。右手にダガーを持っている。そして彼方から走り、俺のいる方へとやってきた。「止めろ!」と言った瞬間、ハッと眠りから覚める。じっとりと汗を掻いていた。なぜ毎晩似たような夢を見るのか分からなかったが、俺も一度この十分間の恐怖の謎を解くため、行きたくもない病院にいく羽目になる。確かにストレスや過労などが原因で、こういった事態が巻き起こると思われたのだが……。
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「この薬を飲んでしばらく様子を見てください。また何かあれば、いつでもご相談を」
その週の土曜日、仕事が休みだったので病院で検査を受けた。結果は異常なしということだ。さすがに安心していたのだが、かと言って油断はならない。根本的な治療を受けたわけじゃないからだ。単に一時的に薬で抑えるだけだからである。気にしていた。やはり不安は残る。夜眠る前に服用する薬で、飲んでからなるだけ体を休めるつもりでいた。秋は何かと病みやすい。多分、脳も疲れているのだろう。そう割り切って、その日の夜から早速薬を服用し始めた。主治医は軽い安定剤だと言っている。安定しない気持ちをわずかに抑え込むだけらしいので、副作用などは特になく、気にする必要はなかった。そう感じている。ずっと警備員の仕事があり、朝から夕方まで汗みずくになって働く。その代わり仕事が終わると、自炊する気もないので、店で弁当とビールを買い、自宅までゆっくりと歩いた。ずっと立ち仕事できつい。だが仕事を休めるような余裕は今の俺にない。一口に警備員などと言っても単にずっと立っているだけで、せいぜいするのは車の誘導ぐらいだったが……。薬を飲み始めてから三日間ほどは明け方の十分間の夢を見ずに済んだのだが、四日目辺りからおかしくなり出す。また悪夢が再発し、妄想のようなものに取り付かれ始めたからだ。そのとき、別にこれぐらいの恐怖なら構わないと思っていたのだが、明らかに何かが狂っている。一度きっちりと噛み合っていた心の歯車が、また変貌し始めた。夢におぼろげに出てくるのは、また例の少年だ。しかも決まって右手にダガーを持ちながら……。それにその日は俺に向かい走ってきて、右脇腹にざっくりと突き立てた。とても鋭利なダガーで、俺の肉が見事なまでに切られている。抉られた。そして俺自身「ハッ」と言って夢から目覚める。何もなかったかのように覚めた。だが次の瞬間、俺の右脇腹からドッと血が溢れ出てくる。トマトジュースのような色をした血糊がべっとりと付いていた。ふっと見ると、ベッドのすぐ近くにいつもの少年の霊が立っていて、次の瞬間持っていたダガーを俺の脇腹ではなく、心臓部に突き立てた。
「うっ……て、手前……なっ、何すんだ?」
「せいぜい苦しんで死ぬんだな。じゃあな」
「ま、待て……俺が一体何したって言うんだ?」
「別に。これは単なるお遊びだよ。霊界に来い。楽しいことが待ってるからな」
少年はニヤリと笑い、立ち去ろうとする。俺も必死になって追おうとしていた。だが無駄だったようである。俺の命はそこで尽きた。同時に少年の霊がスゥーと消え去る。もがき苦しんでいた苦痛も死へ向かうと案外楽になるものだ。俺もそんなことを感じ取っていた。同時に思う。シャバでの命は短かったなと。ゆっくりと霊界へ召された。何もなかったかのように……。今回ばかりは十分間じゃ済まなかったのだが、いつも見ていた悪い夢はきっちり十分だった。あのガキの霊が俺を殺しやがったんだなと思いながら……。だが何もかもがすっきりとした。俺の次の人生は霊界から始まる。昔からあの世など信じていなかったのだが、やはりあったのだ。死んだ人間の霊が集まる場所が、である。そして行き着いた先にはいろんな人間たちがいた。もちろんもうシャバにはいない人たちである。俺を刺し殺した少年が言った。
「ここじゃ、ゆっくり出来るよ。もう現世に用がない人たちが集まってるからね」
ニンマリと笑う。最初俺も抵抗を感じていたのだが、もうここで暮らすしかないのだ。与えられた椅子に座り、三度出る食事を取りながら、しばらくゆっくりとし続けていた。もう二度とシャバには戻れないと感じながら……。そして霊界の主から命じられる。「悪夢で人を襲え」と。考えてみれば、俺を刺し殺した少年は刺客だったのである。俺を殺すための。次の刺客になるのは紛れもなく俺だった。誰かを呪って殺すしかない。そう思っていたのである。まるで連鎖反応のように続く。現世と霊界の間でいろんなことが……。
(了)