三題噺:『チャイム』『鍋』『青春』
授業が終わり、チャイムが鳴ると同時に僕は教室を飛び出す。
教室に残った友人達からの生暖かい視線にも、もう慣れたものだ。初めのうちの、毎回のように狼狽していた自分を思い出して、少し気恥ずかしくなる。
屋上へ通じる扉を開けると、すでにそこで待っていたらしい彼女がこちらに顔を向ける。
「遅いよ」
言葉と裏腹に、僕の顔を見て笑顔になる彼女に謝りながら、僕らは腰を下ろした。
「これでも、チャイムと一緒に出てきたんだけどな」
「じゃあ、もっと早くでるしかないね」
そういって笑う彼女に対して、僕は思わずため息を吐き出した。
「そもそも階が違うだもん……わかってるんでしょ?」
「うん。大変だね。毎日ここまで登ってくるの」
文句を言ってみても、笑顔のままでそう返されては、僕はもう何も言えなくなる。
僕は、この笑顔に惚れてしまったのだから。
「ね、それより、はい。今日のおべんと」
「うん、ありがとう。今日は何かな?」
「開けてみてのお楽しみ。ね?」
彼女に促されるままに弁当箱を開けて、僕は少し面食らってしまった。
「これ……なに?」
「ん?お鍋だよ?」
僕の疑問に、彼女は当然とばかりにそう返してきた。
「弁当に、鍋を入れたの?」
「うん。お鍋は嫌い?」
「嫌いではないけど……」
少し傾けただけで汁があふれそうになる弁当を前にしばし固まる僕を見て、彼女の顔がみるみる歪んでいく。
「ごめんね。おべんとにお鍋って、変だよね……」
そう言って、ついに泣き出しそうになってしまう。
「いや、そんなことないよ。ありがとう、僕、鍋好きなんだ」
「本当……?」
少し潤んだ目で僕を見つめる彼女を前に、僕は慌てて弁当をかきこむ。
「あ、おいしい。おいしいよ!」
半ば本気の驚きとともに僕はそう口に出す。
「そ?良かった」
それだけでまた笑顔になる彼女を見て、僕も釣られて笑ってしまう。
「こんな毎日が、ずっと続いていけばいいのに」
ふとそんなことをつぶやいてしまって、自分で驚いてしまう。まったく意識せずに出た言葉だったから。
でも、ずっと心の中で思ってきたことでもある。彼女は僕より年上だ。どうしたって彼女は僕より先にこの学校を卒業するし、そうしたら僕たちの関係も今まで通りではなくなってしまうだろう。
「ね、あなたは、わたしのこと好き?」
僕の言葉が聞こえたのか否か、彼女は急にそんなことを聞いてきた。
「どうしたの?急に?」
「いいから答えて?」
「そりゃ……好き、だけど」
自分で顔が赤くなるのがわかる。こういう直接的なのは、いつになっても慣れるとは思えない。
「そ、ありがと。わたしも、あなたが好きだよ?」
「う、うん。ありがとう」
笑顔のままそう言ってくれる彼女に、僕はそう返すのが精一杯だった。
「だから、続くよ。こんな日々が」
その言葉が、僕のつぶやきに対する返答だと気付くのに、少しかかった。
「あのね、誰でもね、こうやって、好きって言い合うだけで嬉しくなれる時期があるの。なんだかわかる?」
「ううん。なんのこと?」
「青春。みんなね。若い頃は、それだけで嬉しいの。でもね、みんなね。大きくなるにつれて、それだけじゃ物足りなくなっちゃうの。そうするとね、相手と自分の気持ちの違いに気付いて、仲良しじゃなくなっちゃうこともある」
「そう……だね」
彼女の言葉に、少し寂しい気持ちになる。
「でもね、わたし達は大丈夫だよ」
しかし彼女は、笑顔を一層強くして、そう言った。
「ただお互いに好きって言ってるだけじゃないもん。わたしだって、それにあなただって、まだまだ何も知らない、青春時代の子どもだけど」
そこで一呼吸置いて、彼女はまた話し出す。
「わたしにはわかるもん。あなたの気持ちは本物だって。あなたにもわかるでしょう?わたしの気持ちが本物だって」
「うん……わかるよ。ちゃんと伝わってる」
「ね?だから、大丈夫なの。わたし達もこれから大人になって、環境は変わってしまうのだろうけど。わたしたちの気持ちが本物である限り、わたし達の関係は変わらない」
「だから、続くよ。こんな日々が」
そう言って彼女は、僕の大好きな笑顔をまた向けてくれる。
「うん」
それしか言えなかったけど、彼女は優しく頷いてくれる。
気持ちが、伝わっているから。
彼女と僕の幸せな日々は、ずっと続いて行くのだろう。
お互いが、それを望んでいるのだから。