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第7話 ある日の真と雪緒



 購買のパンと誠一の弁当で腹を満たした後は、眠りたがる雪緒の相手をして食休み。それが真の昼休みの過ごし方だった。

 しかしある日を境に、昼休みは最も落ち着かない時間になってしまった。


「宮田センパイって生徒会の副会長だったんですね! すごいなァ、頭もいいし、運動神経も抜群だって聞きましたよ!」

「あ、あァ……、ありがとう」

 真は珍しく言葉につかえながら、なんとか礼だけ言った。しかし、だからなんだというのだ、という思いがこみ上げて口元がゆがみそうになる。

 大橋愛梨という少女は、雪緒のクラスに転入してきた女生徒だ。最初は「お邪魔します」と雪緒の後について来たのだが、今では雪緒を引っ張ってくる勢いだ。愛梨は物おじしない性格らしく、ぐいぐいと突っ込んでは自分の居場所を確保していく。無邪気な満面の笑みは、拒絶や嫌悪といったあらゆる負の感情を跳ね返すばかりでなく、避けようとしたとたんこちらに罪悪感をもたらす。ある意味で最強無敵だ。

 おかげで、真はまったく落ち着かない昼休みを過ごすこととなっていた。


「宮田センパイって何かスポーツやってるんですか?」

「いや。体を鍛えることは好きだが」

「おおー。見た目細いのに、実は筋肉がっしりって感じですもんねっ」

 愛梨はおどけて細い腕で力コブを作ってみせた。

 こういうところだ、と真は豚バラのキャベツ巻きを口に放り込むことでごまかした。

 愛梨は人をよく見る。何を好んでいるか、何を嫌っているか、そういったものを見透かしたように相手の心に入ってこようとするのだ。

「ユッキー、どうしたの? あ、このほうれん草の胡麻和え、甘くておいしいよ! さすが坂上センパイだよねー」

「ありがとう」

 雪緒は、愛梨が差し出した誠一の弁当から素直にほうれん草をつまんだ。だがそんな態度とは裏腹に、雪緒からは冷え切った空気しか流れてこない。愛梨も気づいているからこそいろいろと気を遣っているのだろうが、効果はない。愛梨は困ったように笑うだけだ。そして次、とばかりに愛梨は誠一のほうへ向きなおった。

「坂上センパイ、このキャベツのってどうやって作るんですか?」

「あ? これは、キャベツをまず茹でてだな……」

「一タマ?」

「どんだけ食う気だ、バカ。一枚ずつはがすんだよ。この弁当の量だと8枚くらいだ」

 誠一は得意分野の料理について珍しく饒舌に語っている。眉間のシワがうすくなっているのは気のせいではないだろう。愛梨はうんうん、と身を乗り出して話を聞いていた。真の位置からは、体の大きな誠一が小柄な愛梨を受け止めているように見えた。

 隣の雪緒が発する冷気が一層冷えたのを感じ取り、真はやれやれとため息をつく。愛梨が来るようになってから雪緒はすこぶる機嫌が悪い。

「雪緒」

 とんとん、と肩をつつき、振り向いた雪緒の口に卵焼きを突っ込んだ。

「しっかり食べろ」

「……」

 もごもごと咀嚼しながら、雪緒は真の目をじっとりと見返した。


「わ、もしかして、宮田センパイとユッキーって付き合ってるの!?」

 愛梨のはしゃいだ高い声が室内に響く。

「何?」

「違うけど」

 聞き返す真を無視し、雪緒は口の中のものを飲み込んで返答した。

「え、違うのー? お似合いだと思ったのに。ね、坂上センパイ?」

 今まで何度となく言われたことだが、本人たちを前にして、誠一を前にしてここまでハッキリと言ってのけた人はいなかった。

 残念そうな愛梨の背後にいる、誠一の目を真は見た。いつもどおりの重みと凄みのある視線だ。真は目をそらさずに言った。

「彼女のわけない」


 そう、雪緒が俺の彼女のはずはない。

 真は自分でハッキリと言いながら、心の中で確認作業を行っていた。俺と雪緒は幼馴染であって、恋人のように男女として関わったことはない。

 雪緒はそもそも、そういった恋愛事に興味をもっているのだろうか。雪緒は自分と誠一以外の他人には通じない無表情を維持しており、まともな友好関係が作れているのか、ということにすら真は疑問を抱いている。

 雪緒のことは愛しいと思う。誠一にさえ言ったことはないが、雪緒の微笑みにドキリとさせられたことは一度や二度ではない。

 だが、雪緒は真の恋人ではない。

 雪緒が誠一の恋人でないのと同じように。




 雪緒は今日もタンクトップにジャージという、気の抜け切った格好で真の部屋に訪れていた。親ぐるみで気心の知れた仲であるから、家に来るのも顔パスだ。

「いいなあ、コレ。私も買おうかな」

と以前そう言いながらパンチボールで遊んでした雪緒に、「俺のを貸してやるからいつでも来い」と言ったのは真だ。

 今日もいい音を立てながら遊ぶ雪緒を、真はベッドに座りながら眺めていた。基本的に後悔というものを知らない真であるが、今回ばかりは軽々しく雪緒を自室に入れることを許可したことを悔やんでいた。

 拳を出すのと戻すスピードが同じ、軌道もブレがない。理想的なフォームだ。ボクシング部に入っていないのが本当にもったいない逸材。だがやはり体が開きがちになるのは教える自分が我流のせいだからだろうか。そういった冷静な分析を行いながらも、真は頭の一部が少し熱をもっていることに気づいていた。

 軽いフットワークでしなやかに動く体。首筋を伝う一筋の汗。普段は真っ白な、少し色づいたほほ。下唇がぽてりと赤い、口元からもれる乱れた呼吸。

 真が男だとわかっているのかいないのか、雪緒は無防備に軽装で来る。運動するのだから当然と言えば当然。しかしそれにしても警戒心がなさすぎる。

 これを信頼と呼ぶか、なめられているのか。

 誠一も最初はとめていたが、今では呆れながらの黙認状態だ。しかしどうしてもっと強く止めてくれなかったのか、とお角違いな恨みを抱かずにはいられない。8畳の部屋は十分広かったというのに、なぜ今になってこうも狭く感じるのか。


 もし今。

 俺がこいつに触れたとしたら。

 雪緒はどう思うだろう。

 誠一は?


「は―――」

 急にこちらを見た雪緒に、真は思考停止におちいった。

「真さん、何にも思わないの」

「何がだ」

 体が震えそうになるのをなんとかこらえる。

「誠一さんのこと!」

 なんというタイミングで誠一の名前を出すのか、こいつは。

 真はこめかみに銃口をつきつけられたような気持ちになった。

「大橋愛梨さんをどうにかしないと、誠一さんが取られる」

 雪緒は乱れた呼吸を整えながら、吐き捨てるように言った。

「大橋さんみたいな人は危険だよ」

「危険?」

「今まではあんな風に誠一さんに接する人はいなかった」

 雪緒はグローブをはずし、いらだたしげに真にむかって投げた。

「誠一さんはもともと世話焼き体質。ああいった子は気にせずにはいられないはず。自分におびえたりしないってわかったらなおさらだ。 そうしたら!」

「そうしたら?」

「誠一さん、私たちじゃなくてあの子ばっかりかまうようになるよ。大橋さんのための手袋、大橋さんのためのお弁当、大橋さんのためのあれやこれや……」

「そうだろうか」

 真は必死な様子の雪緒に首をかしげてみせた。今までどんなに迷惑をかけても離れなかった誠一だ。今更大橋愛梨が出てきたところで、自分たちの関係がどうにかなるとは思えなかった。

「真さんはノンキなんだから。よく考えてよ。誠一さんにベッタリで面倒みてもらうことに慣れきった私と真さんと。笑顔炸裂でちょっと天然っぽくてまっすぐでイイ子の大橋さん! 大橋さんは絶対『ありがとう、誠一さん! 優しくて頼もしくってかっこよくて最高! 大好き!』みたいなこと平気で言ってのけるよ! どっち可愛がるかって言ったら私たちは完全敗北です! 知ってるでしょう、誠一さんは恐竜怪獣よりも犬猫、犬猫よりもリスやハムスターが好きなんです!」

 雪緒は悲愴な顔をして言った。


 誠一が自分たちから離れる? いつもの風景がふっと真の脳裏をよぎる。そこからぽっかりと自分と並ぶ人影が一つ消えるなんて。


「……そいつは困るな」

 真は小さく首を横に振った。

「ちょっと視察が必要だ。俺は今から誠一のところへ行ってくる」

「ようやくわかってくれたんだね」

 雪緒は鋭い眼差しをいくらかやわらげてうなずいた。 

「いってらっしゃい。私、もう少し遊んでていい?」

「ああ、好きに使え。水分補給を忘れずにな」

 真はそそくさと部屋を出ると、扉をしめてから大きく息を吐き出した。 


『ありがとう、誠一さん! 優しくて頼もしくってかっこよくて最高! 大好き!』


 真は扉を背にしてずるずるとしゃがみこんだ。耳の中でさきほどの雪緒の妙なモノマネが響き渡っている。

「……よからぬことは考えるべきではないな」

 どうにか平静を取り戻そうと、誠一の家へ行く前に15分ほどランニングをすることにした。

 このままでは、誠一の顔も雪緒の顔もまともに見れそうにない。



 それは前から知っていた変化に、真が初めて向き合ってみた瞬間のことだった。




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