第3話 ある午後の3人組
伏せたまつげが物憂げな影をつくり、青白いともいえる肌とあいまって無機質な印象を与えている。熱の感じられない表情が、それを余計に増長させていた。
だがぽてりと赤い唇が、彼女が人形でない証となって奇妙な色香をかもしだしていた。一部の乱れもなく城山学園高等部の女子制服に身を包んだその立ち姿は、愛しい者に手折られるのを待つ可憐で儚い一輪のスイセンのようである。触れると消える儚い幻のような、それでも手をのばさずにはいられないような、淡い存在。
雪緒がかわいらしいのは周知の事実だ。真も誠一も、とっくの昔から知っている。
だが、淡い幻どころか濃すぎる実態を持っていることも2人はよく知っていた。
「しまったな、こんなに混むとは思わなかった」
真は両手に持ったドリンクカップをしっかりと持ち直した。右は自分のホットコーヒー、左は雪緒の紅茶。どちらも人にぶつかってこぼしたら大惨事になる。
「平日だってのに、ヒマなもんだ」
「俺らも似たようなもんだろうが」
自分用のコーヒーとバケツサイズのポップコーンカップを持った誠一は、宇宙船の内部のような光の飛び交う薄暗い映画館のロビーを見渡した。
チケット売り場と売店前は長い行列ができている。そこからようやく抜け出した2人は、ほっと一息ついたところであった。
定例職員会議のため午前中だけで授業が終わった城山学園高等部の学生たちは、一斉に街へ飛び出した。
普段は何もせずだらだらと過ごすことが多い3人であるが、出無精代表のような雪緒が珍しく「見たい映画がある」と言い出したのだ。それならば、と電車で数駅離れた街へ繰り出してみれば、平日の昼間にも関わらず映画館は人でにぎわっていた。
飲み物を買いに行っただけなのに、思いのほか時間をとられてしまった。
「雪緒、じれて動き回って迷子になっていないだろうか」
「不吉なこと言ってんじゃねーよ」
雪緒は女子の平均身長からみても小柄だ。人並み以上に体格の良い誠一からすれば、つぶれても仕方のないサイズに見える。何も考えていない真の発言とはわかっていながら、誠一は心配になってきた。
「おとなしくしてろとは言っておいてが……」
迷子を心配する母親の如く、誠一は雪緒を探す。そして言いつけ通り、映画予告が流れる大型テレビ画面の横に立つ雪緒の姿を見つけてホッと胸をなでおろした。
だが、誠一はその隣にいる余計なものまで見てしまった。
見知らぬ若い男が雪緒の手をつかんでいるのだ。そしてそれをからかうように見ている男が3人。
雪緒はいつもと変わらぬ冷めた顔で、目元一つ、口元一つ動かさない。これでは本気で嫌がっているとは伝わりにくいだろう。だが、内心かなり苛立っていることが誠一にはよくわかる。ふりほどこうと細い腕を左右に振っているが、男はにやけた笑みを浮かべながらなおも雪緒に話しかけていた。男同士で来ていたところ、1人たたずむ雪緒に目をつけたのだろう。
通り過ぎる人々は多いが、誰も助けようとはしない。
「あの野郎……」
誠一は静かに怒りを吐き出した。
「雪緒!」
真もようやく事態に気づいたらしく、眼鏡の奥の瞳を険しくさせる。
それを確認した誠一は、真に「行くぞ」とアイコンタクトを取ろうとした。両手の荷物を放り投げ、ダッシュついでに飛び蹴りでも食らわせりゃあの命知らずも退散するだろう。誠一は手に持っているのが熱々のコーヒーとぶちまけると大変面倒なポップコーンであることも忘れた。
だが、しかし。真は誠一の視線に気づきながらもそれを無視した。そしてあろうことか、
「外側に立って手を引け!」
と叫んだのだ。
こいつ何言ってやがる、本気で頭おかしくなったか? と誠一が思ったその瞬間だ。
雪緒はハっと顔をこちらに向けると、すぐさま行動に移した。流れるように鮮やかな動きだった。相手の左手によって右手首をつかまれていた雪緒は、男の体の外に向かって一歩踏み出し体を反転させた。その体制をとることで男は手首を返される形になり、力が入らなくなるのだ。そして雪緒はするりと手を引き抜くと、そのまま男のわき腹に裏拳を叩きつける。ぐえっと顔をひきつらせて体を半分に折ったところを、雪緒は手のひらで押し上げるように相手の顎を下から突いた。
男がひっくりかえる瞬間が、まるでスローモーションのように見える。
雪緒は哀れな敗者を冷え冷えとした目で見下ろした。
「よおっし、よくやったぞ!!」
「何やってんだお前はァあああ!!!!」
カップを持ったままガッツポーズをつくる真をしり目に、誠一はポップコーンをまきちらしながら突進した。小さな飲み口からコーヒーがこぼれ手を濡らすが、熱さなど感じていられない。その勢いに、他の客たちは一斉に飛びのいて誠一の道を作る。
「おいコラ雪緒! お前今何やった!!」
「あ、誠一さん。お帰りなさい」
「おう、待たせて悪かった……じゃねえっつの!」
誠一が作った人波の切れ目を悠々と歩いてきた真は、誠一の怒鳴り声を無視して晴れやかな笑みを浮かべた。
「雪緒、さっきの良かったぞ! 練習した甲斐があったな」
「あんなのどこで使うのかと思ったら、案外役に立ったね」
ぐっと親指を立て会う2人を、誠一は苦々しい思いで睨みつける。
「てめーだな、真!? 雪緒に妙なこと教えたのは!」
「妙なことじゃない、ちょっとした護身術だ」
真は何を言ってるんだお前は、という目で誠一を見た。
話にならん、こいつは何にもわかっちゃいない! 先ほど自分は飛び蹴りをしようとしたことなどすっかり棚にあげ、誠一は幼馴染2人の奇行に首を横に振った。
「あ、あんたらなァ、そこの女の子とどういう関係かしらないが、いったいなんなんだ!? 非常識にもほどが……!」
ようやくショックから回復したのか、わき腹を抑えながら男は顔を上げながら抗議してくる。固まっていた仲間の3人も彼に続いて向かってこようとしたが、その威勢の良さも長くは続かない。
それもそのはずだ。言いようもない怒りにかられ、薄暗い照明の下でにぶく光る誠一の目に射抜かれたのだから。
「………お、お連れさまにたいへん失礼しました……」
「……わかりゃいいんだよ」
それだけ言ってさっさと退散した男たちを背中で送り、誠一は少しだけカサの減ったポップコーンを雪緒に渡す。
「雪緒、いつあんなの習ったんだよ」
「この前俺が教えた。いざというとき身を守ることくらいできたほうがいい」
真が満足げに鼻をならした。最近真の部屋によく雪緒が出入りすると思ったら、案の定ろくでもないことをしていたらしい。誠一は自分の監視が甘かったことを若干後悔した。
だが、と誠一は自分の腹あたりにある雪緒を見下ろした。
さっそくポップコーンをほおばる今の雪緒は普段よりずいぶんと幼く、危なげに見える。普段は近寄りがたい雰囲気をしているくせに、妙な連中を引き付けやすい少女であることは事実だ。真の言うとおり、身を守る術を心得ている分にはかまわない。だが、誠一の予想斜め上を走ってくれるのがこの幼馴染だ。
「だからってフィニッシュまではいらねーだろ、真ォ!!」
「雪緒、手は痛くないか?」
「平気」
「聞け!」
お前らいい加減に怒るぞ、と誠一が怒鳴りつけようとしたとき、2人は示し合わせたかのようにそろって口に指をあて「しーっ!」と言った。そしてわざとらしく周囲を見回す。
「うるさくしちゃうと迷惑になるよ、誠一さん」
「そろそろ時間だ。3番シアターだったな、行くぞ誠一」
「お前らなァ……」
この騒ぎで今更「静かにしろ」も何もない。この場の視線は全て3人に注がれている。にぎやかだった空間にぽっかりとした穴があき、今ではこちらを指さしながらのひそひそ声ばかりが聞こえてくる。
「はい、誠一さん」
ギリギリと歯ぎしりをする誠一の口元に、雪緒は細い指先をあてがった。ポップコーンがつままれている。
「……」
それを無言で口で受け取ると、雪緒は口角をほんの少し上げるだけの笑みを浮かべて見せた。それは雪緒にとっては満面の笑みに等しい。表情筋のあまり発達していないと思われる小さな顔であるが、内面の喜怒哀楽は激しい。
雪緒はこれから見る映画にはしゃいでいる。真もそれをわかっている。
誠一はキャラメルのフレーバーがついたポップコーンを苛立ちとともに飲み込み、雪緒の背中を押しつつ真の後に続いたのだった。
だらだらと変わり映えのない日々をおくる3人ですが、次回から少しずつ変化が訪れます。
どうぞお付き合いください。
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