第16話 雪緒と愛梨 その2
愛梨は紅茶で喉を潤すと、ぐっと雪緒に身を乗り出してきた。
「や、やっぱりその前にユッキーに聞きたいんだけど!」
「うん?」
「ユッキーって、好きな人いる?」
そうくるか。
雪緒は意識的に出来うる限り口角を上げ、目を細めた。
「――――――いるよ」
愛梨は気押されたかのように目を見開いたが、すぐに気を取り直して言葉をつなげた。
「それって、それって宮田センパイ!?」
じらすようなゆっくりとした動作で紅茶を口に含む。これを、愛梨は無言の肯定とみなした。人の恋愛話はおもしろい。愛梨は年頃の娘らしく胸を高鳴らせた。
「告白しないの?」
「別に」
「もったいないよ、絶対両想いなのに!」
「どうしてわかるの」
切羽詰まったような様子の愛梨に、雪緒はカップで口元を隠したまま問いかけた。
「わかるよ! だって2人はずっと一緒にいたし、センパイはあんなにユッキーに優しいし! 本人にはわかんないかもしれないけど、センパイはすっごく優しい目でユッキーのこと見てるよ。間違いないよ」
「大橋さん、ちょっと抑えよう」
「あ」
店内の注目を集めてしまっていたことに気付き、愛梨はようやく口を閉じた。
「大橋さんには、真さんがそう見えるんだ」
「うん!」
愛梨は勢いよくうなずく。そんな彼女に、雪緒はこの前学校で別れ際に見せた、艶やかすぎる視線を送った。
「じゃあ、誠一さんはどう」
「え?」
雪緒は意識的に作った微笑みを崩さずに言った。
「誠一さんは、私のことどう思ってるかな」
「……え?」
愛梨の心が大きく揺れるのがわかった。
雪緒はそれに満足感と自分への嫌悪感の両方を覚えた。
「せ、誠一センパイ?」
「そう。私、誠一さんが好きなの」
愛梨は耐えられない、といったように顔をひきつらせた。
「う、うそ! じゃあ宮田センパイは!? 好きじゃないの!? それなのにあんなにいつも一緒にいるの!?」
「真さんも好き。勘違いしないで」
雪緒はさらりと言った。
「な、にそれ。おかしいよ。どっちが好きなの? もうやだな、ユッキー。友達として、じゃなくて恋愛の話だってば。は、はっきり言ってよー」
愛梨は唇を震わせながら、雪緒の言葉をなんとか冗談に持ち込もうとした。彼女の価値観からすれば信じられないのだろう。雪緒にしても理解してほしいとはまったく思っていない。
「私は、誠一さんと真さんの両方が好きなの。ずっといっしょにいたいと思ってる」
雪緒が愛梨の望み通り「はっきり」と言ったことで、愛梨はさらに体を震わせる。
「そんなのひどい、二股じゃん! ユッキー、それはまずいよ」
「なぜ?」
「不誠実だよ!」
雪緒はわざとらしく首をかしげてみせた。
「どうして? 私は3人でいたいだけなのに」
「でもそれって宮田センパイと誠一センパイを裏切ってる」
愛梨はじっと雪緒を見つめた。
雪緒はこれから愛梨の愛の価値観について講釈を受けるものと思っていた。誠実に誰かを愛するということ。互いに想い合うことの素晴らしさ、大切さ。そんなところか。
しかし愛梨は驚くべきことをした。少なくとも雪緒の想定外。慈悲深い聖母のような表情を浮かべたのだ。
「ね、ユッキー。もしかしてユッキーの気持ちって、恋じゃないんじゃないかな。ユッキーはただいっしょにいたいだけでしょ。それは宮田センパイの気持ちを無視してるんじゃない?」
「無視?」
「ごめん。あたし、ようやくわかった」
愛梨は痛ましげに目を伏せた。
「ユッキーは嘘ついてなかったんだね。本当に2人はつきあってなかった。宮田センパイがユッキーに片思いしてたんだ。でも、ユッキーは誠一センパイとの関係も崩したくなかったから、応えられなかったんだね。あたし、本当に無神経なこと言ってた。ごめんなさい」
愛梨はぺこ、と頭を下げる。今までの激情はどうしたのか、というほどしおらしくなっていた。
「誠一センパイは、そんな宮田センパイを見かねてわざと怒ったフリして離れようとしてたんでしょ? ユッキーはそれがイヤなんだよね。わかるよ。だって、すっごく仲良かったもんね」
「………」
雪緒は作り笑いを消した。そして愛梨のポニーテールをじっとみつめている。
「でもさ、やっぱりそれって不自然な付き合い方になっちゃうよ。大丈夫、宮田センパイと付き合ったとしても、誠一センパイはいなくなったりしないんだから。大事な幼馴染でしょ? 案外、それで十分だったりするんだよ。今のままじゃ宮田センパイも、気を遣ってる誠一センパイもかわいそう。ユッキーだって身動きとれなくなっちゃう。よくないよ、そんなの」
愛梨はいきなり腕をのばし、テーブル越しに雪緒の手を握った。
「ちょっと落ち着いて考えてみてよ。ね?」
愛梨は幼子をなだめるようにうなずいてみせた。
そして再び凍りつく。
雪緒の瞳の、あまりの冷たさに。
「話を聞かないのね、大橋さんって」
「……え?」
雪緒は優しいともいえる仕草で愛梨の手を引き離した。
「私は恋愛感情込みで誠一さんと真さんが好きなの。その上で3人でいたいと思っている。大橋さん、もう一度聞くけど、誠一さんは私のことどう思ってると思う?」
愛梨は目を大きく見開いた。
「大橋さんは相手の感情の機微に敏感だから、本当はわかってるんでしょう。それでもわからないフリをするなんて、やっぱり大橋さんて器用」
いつでも天真爛漫、周囲に笑顔と愛をふりまく人気者が、苦しんでいる。愛梨が少女漫画の主人公なら、自分は主人公をいじめるイヤな女のポジションにいるのだろう。
「私はわかってる。でも誠一さんは残念なことにアナタ寄りの考えで、恋愛は1対1でやるもんだと思ってる」
雪緒はふっと息をついてから続けた。
「だから私は問題を先延ばしにしていた。幸い真さんは鈍感だし、誠一さんは繊細すぎて何も行動を起こさない。このままいれば、もうしばらくは3人一緒にいられたのに。それなのにアナタが邪魔をした」
雪緒は自分で話しながら、再び愛梨への怒りがこみ上げてくるのを感じた。
自分に害をなすものを。
自分たちの素晴らしき三角関係を崩そうとするものを。
「ねぇ、大橋さん。アナタのアドバイス通りに私が真さんと恋人同士になったら、アナタはどうするつもりなの? 誠一さんに告白しようと思った?」
愛梨はかあっと頬を染めた。走ったからでも寒いからでもなく、見透かされたことの羞恥心だ。
「ずるいね、大橋さん」
「ちがう! ずるくない! あたしは、誠一センパイが好き。あたしはユッキーと違うもん。誠一センパイだけが好き!」
「だから自分のほうが誠実だって言いたいの?」
「………」
愛梨は雪緒の視線から逃れるようにうつむいた。
「でも、誠一さんは大橋さんの気持ちには応えない」
「なんでそんなこと言うの!?」
悲痛な声をあげる愛梨。感情が高ぶったせいか、テーブルの上にぽたりと目からしずくが落ちるところが見えた。
こんな風に気持ちをストレートに表現できたら。雪緒はぼんやりとそう思った。見えているのに見えないふりをして、終わりを迎えるのが怖くて気付かないフリをして。望んでその場にとどまって、自分の気持ちも相手の気持ちも無視している自分とは大違いだ。
「絶対、あげない」
雪緒は唇をかんだ。これではおもちゃを取られるのがイヤな子どもだ。だが、心境としては似たようなものだろう。子どもにとっておもちゃは数少ない宝物だ。雪緒にとって2人は、絶対に失えない宝物なのだから。誰にも触られたくない。
「大橋さんには、真さんも誠一さんもあげない」
「……それでも、あたしは誠一センパイが好き」
愛梨は顔をあげて雪緒に向かい合った。目には涙がいっぱいにたまっているが、全身から雪緒に対する敵愾心が燃え出ていた。
雪緒はそれに少しばかり安心した。やたらと親しく好意を向けられるより、よっぽどましだった。
「大橋さんの気持ちは大橋さんだけのもの。私は口出しできない」
「だったら誠一センパイだってそうでしょう。口出ししないで!」
「イヤ。だって―――――」
私の、だもん。
そう言いかけたとき、カバンに入ったいた雪緒の携帯電話がブーッブーッとうなり始めた。
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