第13話 誠一と真 その1
誠一が真と雪緒に絶縁宣言をしてから、2週間がたった。朝も、昼も、夜も。誠一は真と雪緒に会っていない。
日曜日、家から一歩も出ず、1人でのんびりと過ごす。
誠一の母親はバリバリのキャリアウーマンであり、休日返上で働いていた。誠一がのろのろと起きだしてきたときには、家の中は静まり返っていた。
だから今日は誰とも口を利いていない。誰かの行動に気をもむことも、叱りつけることもしないで済んだ。誠一は自室でくつろぎながら、しみじみと1人の時間に感じ入っていた。
携帯電話は電源を落としたままだ。もともと連絡が来る相手は限られている。
静かだった。
買ったはいいがページを開かないままだった手芸雑誌を広げ、コーヒー片手にページをめくる。と、誠一の目にとまるものがあった。春先に使えそうな、簡単な手編みのニットマフラーだ。細身で伸縮性があり、使い勝手がよさそうである。つまり、多少乱暴に扱っても大丈夫ということ。力任せで大雑把な真にはちょうどいい。「もう暦では春だ! 寒いなんて軟弱なこと言ってられるか!」と薄着で飛び出そうとするバカを押さえつけるのは自分の役目で、動きをとめたスキに雪緒がコートやマフラーを装着させる。そんな毎年恒例のやり取りが思い出され、ふっと誠一の口元がゆるむ。
次に気になったのは、手芸にまったく関係ない『冬の手荒れ対策特集』だ。専用のクリームや絹の手袋、保湿剤といった様々なものが紹介されている。そういえば、雪緒の手はどうなっているだろうか。ぱっくりとひび割れた小さな指を見るのはあまりに忍びない。澄ました顔で我慢して、耐え切れなくなってからビービー文句を言う雪緒の顔が頭に浮かぶ。しかし、小さなことはまったく気にしない真では雪緒の痛みに気づいてやれないだろう。
「………いやいやいや。もう関係ねーだろ」
誠一は熱いコーヒーを一気に喉に流し込んだ。
たった2週間だ。まだそれしか時間は経過していない。
それなのに、なんだってこんなに落ち着かない!
苛立ちを抑えるように雑誌を放り投げた誠一は、何か気を紛らわそうと立ちあがった。しかし、何をしたらいいかわからない。料理だって食べるのが自分とあってはやる気がでない。雑誌も読んでいられない。やりたいこともない。どういうことだ。
なぜかと言えば簡単だった。真と雪緒が勝手に寄ってきて、散々振り回し、誠一は後始末に追われる。それが誠一のいつもの過ごし方だ。自分からこれといった行動を起こさない誠一1人では時間をもてあますばかりだ。
学校がある間はよかったが、休日では何もすることがなくなってしまう。
自分という人間のつまらなさにはつくづく嫌気がさす。
そしてふと、真が自分に言ったあの言葉がよみがえってきた。
『お前は今以上に後悔する』
いや、違う。俺は後悔しないためにこうする道を選んだはずだ。納得したはずだ。
今、俺が後悔していることとは?
そこへ、来客を告げるチャイムが鳴った。いつもなら居留守を使うのだが、この際時間つぶしになればなんでもいい。勧誘だろうがセールスだろうが出てやろうではないか。そう思って誠一はインターフォンも確認せずに玄関を開けた。
「よう」
「……」
そこにはいつもと変わらない真の姿があった。
誠一は無言で扉を閉めようとしたが、悪徳セールスよろしく真は靴の先をつっこみ、無理やり体を押しこんできた。
「いきなり何をする。さっさと入れろ」
「何してんだよ、お前はよォ……!」
「しばらく我慢したからな。もういいかと思って」
「もういいとかじゃねえっつの! 何しに来た!」
「お前に会いに来たにきまってるだろう」
悪びれた様子もなく、というか悪いとはまったく思っていないのだろう。真は真顔で誠一に「何を言ってるんだコイツは」という視線を向けた。
「来るなっつったろーが!」
「だから来なかっただろう、2週間も」
「ずっと来るなって意味だよ! 通じてねーのか、お前は!」
「何、ずっと? なんだそれは。期限をキチンと言わないお前が悪い」
眼鏡のズレを直しながら淡々と言ってくる真には殺意を覚えなくもない。しかし、こんなバカげたやり取りに安心している自分がいる。
真はさっさと2階の誠一の部屋にあがりこむ。誠一はその背を追いかけるしかなかった。
認めたくない。だが、確かにこれは誠一が望んでいたことだった。いつも突飛な行動をしてくる真がいなければ、誠一は動けない。何もできない。だが、真がそばにいるならば、誠一は真の心配をしていればそれでいいのだ。誠一はさきほどまでの悩みが一気に吹き飛ぶのを感じた。
そして、はたと気づく。
真の言っていた『後悔』の正体とは、自分の価値の喪失?
「やはりここは落ち着くな」
「人の家でくつろいでないで帰れ!」
真は腕を組んで言い放った。
「これでも俺と雪緒は気を遣っているんだぞ。お前が近づくなと言うから!」
「何ィ?」
真は「誠一のワガママに付き合ってやるか、しかたないなァ」というスタンスを崩さないつもりだ。
誠一が苦々しく聞き返すと、真はフンと鼻を鳴らした。
「俺が1人で来たことが何よりの証拠だ」
誠一の頬がひきつった。図星だ。
実はこの絶縁宣言で、何よりも恐れていたことは雪緒の襲撃だった。誠一は雪緒との接触を徹底的に避けていた。それが功をなしたのか、と思っていたが、なんと自重していたらしい。
「雪緒もわかっているから、我慢しているんだぞ。それなのにお前ときたらメールも電話もしないで。雪緒がスネてグレてどうしようもない。俺のところに来てグズグズグズグズ言っている。いい加減にしてくれ」
「……お前がいるんだからいいだろうが」
「よくないに決まっているだろう。俺が煮詰まる。この前なんか頬叩かれたぞ」
「はァ? 雪緒が?」
やれやれ、と芝居がかった動きで肩をすくめる真に、誠一は思わず尋ね返した。雪緒はすぐヘソを曲げるが、真や誠一に対して暴力をふるうことはめったにない。つーんとそっぽを向いてすねるのが関の山だ。
「ま、俺が無理やり押し倒したのが悪いんだが」
ガタン、と何かがひっくり返る音がした。真が座っていた椅子だ。真の顔はなぜか誠一の眼前にあり、形のよい眉をひそめている。
それからようやく気付いた。
誠一は、反射的に真の胸倉をつかみ上げていたのだ。
「真……。お前!」
ぐっと締め上げようとしたが、その前に真は誠一の手首をつかんで力をこめた。真の体は細身だが、それは無駄なものが一切ついていないからだ。体格では多少劣るが、力勝負では互角といっていい。
「誠一。なぜ熱くなっている。離れるなんて言わずに口出ししたくなったか」
「口出しとかじゃねー。常識的な問題だ。女に無理やりなんて、何考えてやがる。お前はそこまでバカだったのか! 雪緒はどうしてる!」
真は誠一の手を引き離すと、軽く笑って言った。
「落ち着け。あいつはいたって健康だ。誓って言うが、何もしちゃいない」
「あァ!?」
「あいつがお前のことでグダグダ言うから、俺が少しばかり怒ったんだ。だが、お前もわかるだろうが、あいつ相手じゃどうにも怒っていられなくなる。それで気を抜いたとたん間髪いれずに平手打ちされた。さすが雪緒だ」
「……そーかよ」
最悪の事態が起こったのか、と頭の中でとんでもない想像をしてしまったが、よくよく考えれば単純な真としたたかな雪緒だ。どちらが強いかなんてわかりきっている。
「安心したか」
「バカ野郎」
気が抜けて、大きなため息が心の底からこみあげてきた。そんな誠一に、真は言った。
「だから後悔すると言ったんだ」
「なんだと?」
「お前、気になって仕方がなかっただろう。落ち着かなかっただろう」
真の得意げな顔にイラついて仕方ない。誠一は口元をひんまげて真を睨みつけた。
なぜならそれは真実だからだ。
何をしているか。面倒は起こしていないか。バカなことをしていないか。
今だってそうだ。真のとんでもない発言に対して瞬間的に誠一は思った。
もしも自分がそこにいれば、真の憤りを歪みなく受け止めてやれたのに。雪緒を助けてやれたのに。
それはまぎれもない『後悔』だった。
「2週間は耐えた。俺たちも、お前も。だが、もう破たんしそうだ。バランスが悪くて仕方がない。落ち着かないんだ。わかるだろう。お前は耐えられるのか、これからずっと?」
挑戦的な笑みだ。
誠一は何も答えられなかった。
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