第11話 さらにその夜の真と雪緒
誠一から絶縁を言い渡され、愛梨から笑顔爆弾を落とされた日。
雪緒は今夜も真の部屋にいた。幸いなことに、今日は大き目なパーカーにキュロットパンツといった格好なので真もヒヤヒヤせずに済んだ。そんな真の気も知らず、雪緒は真のベッドに寝転がったままピクリともしない。ストレス発散のパンチングボールには見向きもしなかった。
よほど衝撃だったらしい。
真は仕方なく床に直接腰をおろし、ベッドに頬杖をついていた。
「雪緒」
返事はない。
「おい、雪緒。返事くらいしろ」
体をゆすると、雪緒はぼんやりとこちらを向いた。
「真さん、お腹がぐるぐるする」
「腹が減ってるのか」
「減ってない」
雪緒はまたぷいっとそっぽを向いてしまった。さきほどからずっとこの調子で、会話が成立しない。真は雪緒をあやすようにゆすった。
「雪緒。俺はちゃんと言ってくれないとわからない」
俺は誠一ではないのだから、と暗に伝えたつもりだ。
「……ごめんなさい。スネてたの。でもお腹がぐるぐるしてるのは本当。私ってこんなに嫉妬深かったんだ」
「嫉妬? あの1年女子にか」
「うん。誠一さん、私たちとじゃなくて大橋愛梨さんとお昼食べるんだって」
雪緒はそれだけ言うと、また枕に顔をうずめてしまった。真は、なんとなく雪緒の腹のぐるぐるとやらがわかるような気がした。だが、雪緒のそれよりも少々複雑だ。なにせ自分の腹の中の渦は2つある。雪緒の手前表には出さないが、内心では忸怩たる思いを抱えていた。
誠一は、自分たちよりもあの1年女子といたほうがいいというのか。これまで17年間ずっと一緒にいて、今更何を言うのだ。
そして雪緒。お前は俺がそばにいるというのに、どうして誠一のことばかり気にする。もしも俺がそばを離れたら、今と同じように嫉妬してくれるのか。
これは真のプライドの問題だ。軽々しく口には出せない。こんなにグチグチと悩むのはガラではないが、考えずにいられないのが辛いところだ。また走りこみにでも行こうか、と腰を上げかけたところで、思いもよらない言葉が雪緒の口から飛び出した。枕のせいで少しばかりくぐもってはいたが、真の耳にはハッキリと届いた。
「大橋さんが真さんを気にいってくれればよかったのに」
「……なんだと」
目の前が真っ赤になったような気がした。
今までに抱いたこともない感情が、何よりも大切な幼馴染へと向けられている。真はそのことに驚きつつも、自分を抑えることができなかった。
「もう一度言ってみろ」
うつ伏せになっていた雪緒の体をひっくり返し、肩を押さえつけるのは簡単だった。驚いている隙に馬乗りになってしまえば、もう雪緒は起き上がれない。
これで雪緒はココから動けない。真は奇妙な満足感を覚えたが、まだ激情はおさまらなかった。
「俺が離れればよかったとでも? お前のそばには、誠一がいればいいのか。お前らに俺は必要ないか」
雪緒は右手をつっぱって真の体を押し返そうとする。しかし真はその手首をも捉えて雪緒の抵抗を封じた。
「言え」
真は雪緒の手首をつかむ左手にゆっくりと力をこめた。いや、こめようとした。
しかし、雪緒の凪いだ瞳に自分がうつっていることに気付くと、おさまりがつかなかった気持ちが、現れたときと同様急速に消えていった。
雪緒はおびえても、怒っても、呆れてもいなかった。おだやかに真を見据えている。
真は力をこめるかわりに自分の顔を雪緒の鼻先に近づけた。眼鏡が邪魔だ、と真は思った。
バッシン!
乾いた小気味よい音が部屋に響く。
「……痛い」
「だから私は真さんならよかったのにって言ったの」
雪緒はふん、と鼻をならした。真の頬を叩いた右手をさすりながら、真をぐいっとどかせて起き上がった。真の拘束はとっくにゆるんでいた。
「バカな勘違いしないで、真さん。私は真さんがいなくなるなんて考えてないんだから」
雪緒は淡々と言うと、ベッドの上で正座した。つられて真もあぐらをかいて向きなおる。
「真さんの場合は、もし大橋さんのような女の子が来ても大丈夫だと確信してるの」
「確信?」
雪緒は大きくうなずいた。
「今までどんな相手から告白されようが、まったくなびかなかった真さんだもん。もしも大橋さんに2人でお昼いっしょ食べましょうって言われたら真さんどうする?」
「君といると疲れるから、申し訳ないが遠慮してくれ、と言う」
「ほらねー」
雪緒は、真の少しだけ赤くなった頬をなでた。真は何が何やらわからない、という顔だ。しかし雪緒はおかまいなしだ。むしろご機嫌は上向きになっている。
「それに、さっきので確信は深まったから。真さんはわかりやすくていい」
「………」
ばかにされているな、と思ったが、先にばかなことをしたのは真のほうだ。ここはおとなしくしておいたほうが身のためだ。
「真さんはちゃんと妬いてくれるでしょう」
「妬く?」
「誠一さんと、私の両方」
雪緒は口角をほんの少しだけ上げて見せる。淡く色づいた唇が目にとまり、眼鏡なんぞに気を取られるのではなかった、と真は悔しく思うのだった。
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