音無さんの話
夏休み、友人の実家に遊びに行った。自然の中で癒やされるはずだった――あの場所に行くまでは
寧々はバイト先の友人だ。大学は違うけれど、気が合ってたまに遊んでた。
「夏休み、どうするの?」
「怜奈はどっかいくの?私はとりあえず、田舎に1週間くらい帰るよ」
寧々は皿を洗いながらそう言って、ちょっとだけ顔をしかめた。
「うちの実家、田舎過ぎて……なーんにもないの」
「へえ。私は逆にそういうのに憧れるな」
私は都会育ちで、大自然にあこがれを抱いている。のどかで空気がおいしいところなんて素敵ではないか。
「暇なら、うちの実家に来てみる?何にもないけど。怜奈が来てくれたら、話し相手が出来て私はうれしいな」
ちょっと笑って寧々が言った。
「そうね、いいかも。寧々の実家ってどんなところにあるの?」
私たちはそんなことを話しながらバイトに勤しんだ。
そして、待望の夏休み。私は寧々と一緒に彼女の実家に来ていた。山間の小さな村と言った風情で、山間部特有のわずかな平地に田んぼや畑があって、家々の背後には山すそが迫っていた。いくつか小川も流れていて、時が止まったような不思議に懐かしい風景に、心を打たれた。
「きれいなところね!」
「そう?ただの田舎よ」
寧々は自虐気味にそう言うけれど、今時こんな風景はなかなかないだろう。吹き渡る風が木々を揺らす音や鳥の美しいさえずり、花に集う小さな虫たちの羽音。都会では味わえない極上の癒しだと私は思った。
私は寧々にせがんで、村を散歩して回った。小さな子はいなくて、お年寄りが多い。気さくな人が多くて、みなニコニコと話してくれるし、キュウリやトマトなんかのもぎたてをもらってその場で食べたりもした。
「すっごくいいところじゃない。癒されるぅ」
縁側で寝転がって寧々にそう言うと、
「おおげさね」
と笑った。軒下に下げられた風鈴がリリンッと鳴って、夏の風情を盛り上げる。
「本当、ここは静かでいいわね」
私が寧々にそう言うと、不自然に間があいた。
「寧々?」
「怜奈を面白いところへ連れて行ってあげる」
「え?今から?」
さっき散歩から帰ったばかりだった。
「うちの裏山に面白い場所があるの。近いから、行こう?」
ニコニコと寧々が誘うので、せっかくの田舎をもっと満喫しようと私は「いいよ」と頷いた。
寧々の実家の裏手の山に足を踏み入れた。踏み固められ、草の生えていない曲がりくねった山道を寧々は軽快に歩いていく。私はでこぼこした道に足を取られないように歩くのが精いっぱいだ。これが地元の人との差なのか。
「寧々、待って」
「あー、ごめん、ごめん。歩きにくいよね、この道」
振り返って寧々は、軽く手を合わせて謝ると立ち止まって待っててくれた。寧々に追いつくと、寧々が私の手をつかんできた。
「手を引いてあげる。もう少し行くと開けてくるよ」
寧々の手は、山道を歩いたにしてはひんやりしていた。
寧々の言う通り、そこから少し行くと急に木々が少なくなって、ひらけた場所に出た。
「ここで、止まって」
寧々は何もないところで私を立ち止まらせると、少しいたずらっぽい顔をして、
「”音無さん”、下の家の寧々が来ましたよ!」
と大きな声を出した。山に響き渡りそうな声は、響くことはなかった。びっくりしている私を面白そうに見て、私の手を引いて少し進んだ。
「……えっ?」
音が、消えた。
木々のざわめきも、鳥の声も、虫たちの微かな音さえも―――。
自分の荒い呼吸がやけに大きく響いて、耳の奥が痛くなるような静真の無音に私は恐怖を感じた。
「静かでしょ?」
そう言った寧々の声は私の耳にうわんうわんと響くようだった。そして、微笑む寧々の、細くなった瞳の奥に、闇を見た気がした。私はゾクリ身震いした。
次第に、自分の体の中の血液の流れる音さえ聞こえるような気がしてきて、私は真の無音に耐え切れなくなった。
「ねえ、帰ろう?」
勇気を振り絞って、かすれるような声でやっと言った。寧々はいつもと違うねっとりとした笑顔で頷いた。
帰りは何となく気まずくて、喋らず寧々の実家まで歩いた。寧々は気にする風でもなく私の後ろから、私に合わせて歩いていた。
私が先ほどまで気持ちよく寝転んでいた縁側の前に出ると、正面から寧々が血相を変えて走ってきた。
「怜奈!どこ行ってたの?!」
「えっ?あれ、だって……」
私は混乱して、思わず後ろを振り返った。寧々は居なかった。
(当たり前じゃない。寧々は目の前に……じゃあ、あれは?)
ぶるりと体が勝手に震えた。
「怜奈?大丈夫?顔が真っ青だよ!」
私の手を包み込むように握ってきた寧々の手は温かかった。
寧々の声を聞きつけたのか、寧々のおばあさんもやって来た。
私が先ほどのことを話すと、寧々もおばあさんも、そんなところも”音無さん”も知らないと言う。寧々のおばあさんが、
「都会からお嬢さんが来たから、狐が珍しがって化かしたんだろう」
と笑い飛ばした。
けれど私は、おばあさんの瞳の奥に、”音無さん”の寧々と同じ闇を見た気がした。
寧々の実家から帰ってきて、都会の喧騒に安堵を覚えた。都会がホッとする場所になるなんて、考えた事も無かったのに。
その後の夏休み中は寧々に会うことはなかった。夏休みが終わっても、寧々はバイトに来なかった。スマホは繋がらなくなっていて、SNSは消えていた。
私はバイト先の店長に聞いてみた。
「寧々、バイト辞めたんですか?」
店長は顔をこわばらせると、私を店の裏に連れて行った。
「音無寧々と会ったのか?」
「お、音無?寧々の名字は―――寧々の、名字?」
思い出せなかった。
「親父から聞いてる。夏休みの終わる時期になると、決まって寧々って子は辞めたのかって聞かれるって」
「―――え?」
「話を聞くとみんな同じ事を言うって。山の中の音のしない場所に連れて行かれたんだろ?」
「はい……」
「お祓いするようになってから、聞かなくなったって言ってた。すまない、俺は信じてなくて、今年はお祓いをサボったんだ」
「そう、ですか……」
「寧々って子に会ったからといって、不幸になるとかはないらしい。気になるなら、お祓いに連れて行くよ。俺のせいだしな」
私は店長の言葉に甘えて、お祓いを受け、平穏に暮らしている。
それでも、眠るときにイヤホンは欠かせない。夜中に目が覚めると、あの無音が襲ってくるから。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。




