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夜明けの晩に屋上で  作者: 青空野光
学園の真実
27/30

27.選択

 白鳥先生のあとに続き保健室まで帰ってくる。

 一旦カーテンの奥に消えていった先生はすぐに戻ってくると、手にしていた茶封筒をこちらに寄越した。

「これは?」

「朝比奈さんがこの学園を去った理由よ」

「……去った?」

「ええ。彼女はもう、ここにはいないわ」

 すぐにでも飛びかかって、体に空いた穴に手を突っ込んで真っ二つに引き裂いてやりたかった。

 だがそんなことをしてしまったら、一度は消されたはずの僕が再びこの場所に戻ってきた理由と、その方法を知ることができなくなってしまう。

「……あなたがヒナを消したんですか?」

「いいえ? 私はそんなことはしないわ」

「……嘘だ。あなたの日記には、魂が消えてなくなることが救いだと書いてあった」

「ええ、そのとおりよ。だけどね、杉卜くん。私はそれを誰にも強要したことはないわ。ただ選択肢の一つとして提示しただけ。そういう意味では宗方先生のやり方はフェアではなかった。生徒たちに選択すら与えずに、『余さず本来在るべき場所に戻す』とか言って息巻いて」

 先生は鼻息を荒げると、やれやれというジェスチャーをした。

「以前この学園に来たあなた――小早川と名乗っていたあなたは、転入してきた次の日にはもう体育倉庫の裏で自分の姿を見て、それで全てを思い出したみたいだった。だから私、あなたにこう言ったの。『全部なかったことにできる方法もあるのよ』ってね。そうしたら顔を真っ赤にして暴れ出して……。あの時は本当に大変だったのよ」

 きっとあのメモは、その日の夜にでも書かれたものなのだろう。

「でもね。あなたは結局そのあと納得して、そして消えていったのよ」


 ここまでの先生の話が嘘だとは思えなかった。

 むしろ宗方先生によって(もたら)されたものより遥かに多くの情報が彼女から得られていた。

「杉卜くん。あなたが掛けているその眼鏡、町田さんのものでしょう?」

「はい。彼女が学校を去る時に、僕にこれを」

「あの子、ここから出ていく前に私のところに来てくれたの。あなたにはとても感謝してたわよ」

 確かに彼女には何度も感謝の言葉を掛けられた。

 しかし僕がしたことといえば、学園内をほんの少し一緒に散歩して、寮の前の階段で彼女の手をとったことだけだ。

「あの子はね、五歳の女の子だったの」

「……え?」

 僕はてっきり同じ年齢の者たちがこの学園に集められているものだとばかり思っていた。

「彼女はその日、お母さんと一緒にスーパーマーケットに出掛けたの」



 町田さんのお母さんはとても忙しい人だった。

 だから彼女、ただ買い物に連れて行ってもらっただけなのに、本当に嬉しかったんでしょうね。

 繋いでもらった手をブンブンと振り回して。

 それでお店に入って、お母さんは夕ご飯の買い物を始めたの。

『ママ! わたしちょっとおかしうりばにいってくるね』

『いってらしゃい。でも、ひとつだけだからね?』

 お母さんと繋いでいた手を離して、彼女は一人でお菓子を見に行った。


 しばらくして、とっておきのお菓子を手にした彼女は、お母さんの姿を探して店内を歩き回った。

 お母さんは野菜売り場にはいなかった。

 お母さんはお肉売り場にもいなかった。

 お惣菜売場にもパン売り場にも、お母さんはいなかった。

 もしかしたらお母さんは、私を置いて帰ってしまったのかもしれない。

 私がわがままばかり言う子だから、お母さんは嫌になってしまったのかもしれない。

 そう思った彼女は、手に持っていたお菓子を元あった場所に返して、お店の駐車場でお母さんの車を探した。

 でも、お母さんの車は白色の軽自動車で、スーパーの駐車場には同じような車が何十台も駐まっていた。

 彼女は結局、お母さんの車をみつけることができなかった。

 もしこの時、もう一度だけお店の中に戻っていたら、彼女のことを必死になって探しているお母さんを見つけられたでしょうに。


 スーパーから家までの道を知っていた彼女は、迷うことなく家に向かうことにした。

 大きな道路を渡って、お弁当屋さんのある曲がり角を曲がって、あともう少しで家に着く。

 拭っても拭っても溢れ出る涙で視界を歪ませながら、彼女はいつの間にか走り出していた。

 そんな時、道路脇の家の庭から犬が吠える声が聞こえたの。

 それはとても大きな声だった。

 驚いてしまった彼女は、道路の脇を流れている小さな側溝に背中から落ちてしまった。

 普段だったら乾ききっていたそこには、前の夜に降った雨水が急流の勢いで流れていた。

 そして彼女の小さな体は、狭い側溝にすっかり嵌まってしまった。

 顔の上を越えて流れていく濁った水で何度も何度も咳き込みながら、彼女は最期にこう思った。


『ああ、あのときおかしうりばになんて行かないでママと手をつないでいればよかった。そうすればママにおいていかれることなんてなかったのに』



「彼女の後悔は、この学園のどの生徒よりも強いくらいだった。もし宗方先生が花壇の世話係という役割を与えなければ、すぐにでも消えて居なくなっていたでしょうね。あそこの花壇には、あの子のお母さんが好きだったペチュニアが植えられていたから」

 町田さんの話をする白鳥先生の顔は、僕がこの学園にやってきてから見たどの表情よりも穏やかで、それに悲しげだった。

「杉卜くん。この学園は後悔に(さいな)まれ傷ついた魂の、最初で最後の拠り所なのよ」

 先生のその言葉は、この学園が存在している理由を最も端的に説明していた。

「……それは僕もなんですよね? 僕も悔いを残して死んだってことですか?」

「いいえ。あなたは違う。前にも言ったでしょう? あなただけは特別なの」

 それは僕が一度消え去ってから、再び戻ってきたことを言っているのではなかったのか?

「杉卜くん。遅かれ早かれあなたも選択しなければいけない。その時にどちらを選ぶかはあなたの自由だけど、その前に自分がこの学園に来た理由くらいは知っておきなさい」

 先生は僅かに眉を(しかめ)めながら、僕の膝の上にある封筒を指さした。

「え? これはヒナの……」

「ええ、そうよ。でも、あなたの物でもある」

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