24.手帳
八月十三日、盆休みの初日。
今日は早朝から主が不在の生徒指導室に入り浸っていた。
教室の半分ほどの広さの部屋には、中身がパンパンに詰まった段ボール箱が所狭しと積み上げられている。
さらに壁際には業務用冷蔵庫サイズのキャビネットまで置かれていた。
もし目隠しをされここに連れてこられたら、生徒指導室ではなく資料室だと思うはずだ。
「ユウ、ちょっといい?」
部屋の対角で段ボール箱の中身を漁っていた彼女の呼び掛けに応じて、およそ一時間振りに作業の手を止める。
「なにか見つかった?」
「うん、これ」
彼女が後ろ手に渡してきた物は、古い新聞記事の切り抜きだった。
息子に刺された父親が死亡 容疑を殺人に切り替え捜査
〇〇市の住宅で〇日夜、腹部を刃物で刺され重体となっていた団体職員の安上満寿夫さん(49)が、〇日未明、搬送先の病院で死亡した。死因は失血死だった。
事件発生直後に殺人未遂容疑で現行犯逮捕された同居する長男(17)について、警察は容疑を殺人に切り替えて動機の解明を進めている。
これまでの調べによると、長男は〇日午後9時ごろ、自宅で父親の安上さんの腹部を背後から包丁で刺した疑いが持たれている。長男は、事件の背景に父親の過度な教育指導によるストレスがあったと供述。犯行は突発的なものだったと話している。
長男は犯行後すぐに110番通報を試みたが、父親に通報を止められたと供述しているという。安上さんはその後、失血により意識を失い、長男があらためて通報した。
警察は今後、長男からさらに詳しい事情を聞き、親子間のトラブルの全容解明を目指す。
「あの封筒の記事の続報みたいだね」
事実だけを澱み無く口にした僕は、どうやらこの世界の非現実を完全に受け入れてしまっていた。
「うん。安上先生も宗方先生と同じで、生前はぜんぜん違う人みたいだったぽいね」
この学園での先生はといえば、冬眠から目覚めたばかりのパンダ――という喩えが適当かどうかはともかく、人畜無害を絵に描いたような人物だった。
だがこの新聞記事を読んだ限りでは、少なくとも彼の息子にとって必ずしもそうではなかったのかもしれない。
「ねえ、ユウ。ここの『父親に通報を止められた』ってところだけど、これってどういうことだと思う?」
僕は、「たぶんだけど」と前置きしてから続けた。
「刺された場所が場所だから、さすがに自分でやったでは通じなさそうだし、息子さんの将来のことを考えて……じゃないのかな」
その結果として先生がこの学園にやってきたのであれば、それは余りにもあんまりだ。
「……そっか。安上先生って、やっぱり安上先生だったんだね」
ヒナのその奇妙な言い回しは、まさに言い得て妙だった。
昼食を挟んで再び指導室に戻って来ると、午前の続きでキャビネットや段ボール箱の中を調べ倒す。
僕と彼女が探している物は二つあった。
一つは僕たちの過去に繋がるなにかで、もしそこに僕たちがこの学園の生徒になった理由があるなら、そのくらいは知っておきたいと思ったからだ。
もう一つは白鳥先生のそれで、こちらは先生が僕たちの敵か味方かを知るために必要なものだった。
「なんかもう、全部の文字がゲシュタイル崩壊してきちゃった」
ヒナは様々な書式の文書が散乱する床の中心で、クマのヌイグルミのような格好でそうぼやいた。
「タイルじゃなくてタルトね」
「タルト? なんか甘いもの食べたくない? ユウって甘いもの、なんか持ってたりしない?」
「残念ながらないよ。少し休憩したら?」
「そうしよっかな。ユウもほどほどにね」
彼女は腰に手を当て背伸びをしながら机の角にもたれかかった。
もしこの場に宗方先生がいたら、いったいなんと言ったことだろう。
『……朝比奈。君は私の机を椅子か何かだとでも思っているのか?』とか、『すぐに出ていきなさい。君は出入り禁止だ』とかだろうか?
想像上の先生の言葉に顔をにやけさせながら、僕も悲鳴をあげ始めていた腰を休めるために立ち上がった。
背伸びをしながらふと彼女のほうを見ると、机の上に置かれた眼鏡に手を伸ばしていた。
「あれ? 先生、眼鏡おいてっちゃったんだ」
まさかあの宗方先生に限って、キャラ作り用の伊達メガネであるはずもない。
この世界では生前の視力は関係なくなるのだろうか。
……だとしたらやはり伊達メガネということになってしまうが。
「どう? 似合ってる?」
振り返りながらそう言ったヒナの顔には、やや厳つめなデザインの眼鏡が掛けられていた。
彼女の顔に対してサイズの大きなそれは、目の下のあたりにまでずり下がってしまっていた。
「はいはい、よく似合ってるよ」
心なくそう言い放つと彼女は嬉しそうに、「ホントに?」と言いながら、左右の蔓に手を掛けてズレを直した。
「……え?」
「ん? どうしたの?」
眼鏡を手で押さえたまま彼女は固まっていた。
その表情は直前にそうであったように笑顔がベースになっていたが、半開きの口は”え”の形のままで微動だにしない。
その理由はすぐにわかった。
宗方先生の眼鏡を通して彼女が見ている世界に、きっと僕の姿は映っていないのだろう。
「……ヒナ。少し前に僕と赤堀さんが遅れて教室に入ってきたことがあったのって、覚えてる?」
「……うん」
彼女は震える手で眼鏡を外し、元あった場所に丁寧に置いた。
「あの時、鏡を見に行ってたんだ。そこでなにが起きたのかを、いまから話してもいい?」
当時の出来事を可能な限り詳細に話すと、彼女は青ざめたままで小さく頷いた。
「なぜ赤堀さんがそんな姿に見えて、なぜ僕は自分の姿を見ることができなかったのかはわからない。だけどきっとその眼鏡も、その時の鏡と同じような作用をするんだと思う」
そう言いながら、彼女の傍らに置かれた眼鏡に手を掛けた。
「あっ! ダメ!」
横から伸びてきた手が眼鏡を奪い取り、スカートのポケットに仕舞い込んでしまった。
その理由もすぐにわかった。
眼鏡を通して自分の姿を見られることを彼女は恐れたのだろう。
「……ごめん、ユウ。私ちょっと疲れちゃったから、少しだけお部屋に戻って休むね」
「ああ、うん。僕はもう少しだけ掘ってみるよ」
寮の前まで送っていこうか迷ったが、きっと今は一人にしてあげたほうがいい。
「……あった」
ヒナが出ていってから少しした頃、天井の近くにまでも積み重ねられた段ボール箱の一番下の箱から、探していた物のうちの一つを見つけることができた。
表紙の裏の見返しに『SHIRATORI Aya』と書かれたそれは、所々に茶色い染みのついている古い手帳だった。
手帳といってもスケジュールはほとんど書かれておらず、日記帳の代わりに使っていたようだ。
中のページは表紙以上に多くの染みがついており、ページ同士が貼り付いてしまっている箇所もある。
「……」
この学園にやって来る前、白鳥先生は普通の医者を職業としていたと言っていた。
それは半分が本当で、残りの半分は嘘だった。
どの日付の日記も、書かれている内容はほとんど同じだった。
ただしそれは、不真面目な小学生が夏休み明けに提出する絵日記とは違い、ほとんどの日々で代わり映えのない環境で勤務していたことが窺えた。
日記を読み耽っているうちに、いつの間にか窓の外の光が柔らかくなっていた。
時計に目をやると、普段であれば放課の時間を迎えていた。
ヒナはまだ部屋で休んでいるのだろうか?
様子を見に行きたい気持ちもあったが、うかうかと女子寮に入って行くわけにもいかない。
この学園の秘密を知ったいま、そんな些細なことを気にする必要はないかもしれない。
しかし僕は未だにこの世界の住人なのだから、守るべき決まりがある以上、可能な限りはそれに従いたかった。




