23.秘密
先生が語った彼自身の過去の物語は、学園が僕たちにひた隠していた嘘の正体でもあった。
それでも僕が冷静でいられたのは、ずっと抱き続けていた違和感が、今この瞬間に解消されたからに他ならない。
僕はあの日の朝、自室のベッドの上で目を醒ましたその時にはすでに死んでいたのだ。
先生は外した眼鏡をビデオテープの横に置くと、スーツの胸ポケットから取り出した白いハンカチで目元を拭い、すぐにそれを腰のポケットに仕舞った。
「明日の朝から十五日の夕方頃まで、私は彼女のところに行ってくる。朝比奈。君はこの学園に残るのだったか」
「……ええ」
「そうか。ならばこれを預けておく」
先生は机の引き出しから取り出した鍵の束をヒナに手渡した。
「この部屋は私と、それに私が入室を認めた者以外は入ることができない。私がいない間は君たちで自由に使ってくれて構わない。それとあと、もうひとつ。今日、君たちが知り得たことは、他の生徒たちには口外しないでほしい」
もちろん言うつもりはなかったし、それ以前に言えるわけがなかった。
「私は君たち生徒を本来在って然るべき場所に送り返すために、恥を忍んでこの学園で教師をやっている。その目的を達成するためにも、君ら生徒には以前いた場所と地続きの生活を送ってもらうのが好ましい。それと、杉卜」
「……あ、はい」
「すまないのだが君に頼みたいことがある。学園が休みの間も花壇の水やりを継続してくれないだろうか? あの子も――彼女も花が好きな、心根の優しい子だった」
先生はそう言うと顔の横に手をやり、眼鏡の蔓を持ち上げるような仕草をした。
西の空を仄かに照らしていた残照はその役目を終え、世界の天井はいつしか濃紺に塗り替えられていた。
それまで肩を並べて歩いていた少女が急に立ち止まる。
「ねえ、ユウ」
振り返りながら続きを待つ。
「ユウはショックじゃないの?」
「そりゃあ、まあ」
それが何の回答にもなっていないことに気づき、すぐに言葉を付け加える。
「もちろん驚いたよ。でも、なんだかそれ以上に、すごく腑に落ちたっていうか」
もしかしたらそれは今だけのことで、このあと寮に帰って一人になった時にどう思うかは、その時の僕にしかわからない。
「実は私もユウと同じだったの。この学園の秘密を知ったとき、『なんだ。だったら最初からそう言ってくれればよかったのに』って、そう思ったくらい」
暗闇の中にいてなお澄んだ光を放つ彼女の瞳は、その言葉が嘘ではないことを如実に物語っていた。
「ねえ、ヒナ。宗方先生が行くのって、お墓参りのことなのかな。それとも……」
ここまで来て言い淀んでしまったのは、それが僕だけの問題ではなかったからだった。
「どうなんだろ? どうせだったら聞いておけばよかったね」
ヒナのそのお気楽な返事を聞き、僕は少しだけ嬉しくなってしまった。
それは、この世界の秘密を知ってしまう以前にしていた彼女とのやり取りと、今この時にここで行われたそれとが、あまりに変わらなかったからだ。
それによく考えたら、元からこの学園が僕の知る世界のすべてなのだ。
言ってしまえば昨日までの僕と今日の僕とで、違っている部分は何ひとつない。
「ヒナは今日の晩ごはんって、なんだと思う?」
彼女に倣い、いつも以上にいつも通りの話題を振ってみる。
「私、オムライスがいいな」
「僕はカレーの気分」
本当は昨日の朝に献立表を見ていたので、今夜は酢豚だということは知っていた。
寮の前まで戻って来ると、今日という日に起きた出来事の全てが夢だったのではないかと、そんなふうに考えていた。
しかし、彼女の手の中でジャラジャラと音を立てる鍵の音が、それらが実際にあったことだと知らしめていた。
明日からの僕たちは、この学園でどう過ごすのが正解なのか?
そもそものところ、この場所が死後の世界であるのなら、果たしてその先には何があるというのだろう?
渡辺や町田さんやヒナの友達、それに僕が学園に来る前にもこの場所からいなくなった生徒たちは大勢いたはずだ。
「ねえ、ヒナ」
真横にいる彼女の方に顔を向ける。
「うん? なに?」
「この学園から出ていった人たちは、どこに帰っていったんだと思う?」
「……知りたい?」
そんなことすらも彼女は知っていたのか。
「知りたい。教えてよ」
「前にも言ったけど、私には協力者がいるの」
それがいつどこで聞いたのかは覚えていないが、確かにそんなような話をした記憶はあった。
「あの子が消えてしまって、それで学園中の人に聞いて回っていた時に、その人は『聞いてもわからないなら自分で調べたらいい』って言って、それからヒントをくれるようになったの」
それは僕がこの学園に来た日に彼女に言われた言葉だった。
「その人はすべてを知っているみたいだった。でも、この学園にはルールがあるから、自分から教えることはできないって」
この学園の教師たちが多くを語らない理由も、そのルールとやらのせいなのかもしれない。
「その代わりに、私が持ち帰った答案の答え合わせはしてくれるって。だから私、必死になって真実を探し続けた」
資料室から持ち出した封筒も、きっとそのうちのひとつなのだろう。
「それで気付いたの。この学園から出て行く生徒には、二つのパターンが存在するって。千夏のように正式な手続きで転出するか、もしくは渡辺くんやあの子のように……。その、どちらかだった」
ここまでの話の流れから、彼女が言わんとしていることはわかった。
「宗方先生が生徒を消していた?」
彼女は返事をする代わりに、白い首を縦に振った。
「正しくこの学園を去っていった生徒が向かう先は、あの世と呼ばれる類の場所に旅立つか、それか次にまた生まれるための準備を始めるの」
次にまた生まれる――。
それはつまりは、生まれ変わるということなのだろう。
「じゃあ、渡辺は……」
「……完全に消されてしまって、天国に行くこともなければ、もう二度と生まれ変わることもない」
過大な入力の処理に脳のリソースの大半が消費される。
多くの時間を掛け、ボンヤリとではあったがようやく話の輪郭が見えてきたところで、僕はあることに気づいた。
「ヒナ、待ってよ。宗方先生は、生徒を”本来在って然るべき場所に送り返すのが仕事だって言ってた」
魂を無へと還すことが目的であれば、そんな言い方をするはずがなかった。
「私も、ね。さっき宗方先生の話を聞いていたら、わからなくなっちゃった。……ねえ、ユウ。少しだけ考えていることがあるの。だから明日からまた、もう少しだけ付き合ってもらってもいい?」
「うん。もちろんだよ」
なぜなら僕は彼女の共犯者なのだから。




