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夜明けの晩に屋上で  作者: 青空野光
学園の嘘
21/30

21.再生

「ねえ……ヒナ。この手紙って、もしかして――」

「あ! ユウ! 時計!」

「へ?」

 ベッドの脇の目覚まし時計に目をやる。

「……あ」

 さっきまで真下を指し示していた時計の短針が、いつの間にか8の文字盤の上にのしかかっていた。

 それは(すなわ)ち始業の時間がすぐ目の前にまで迫っているということだった。

「ヒナは先に教室に行ってて。僕も着替えたらすぐに行くから」

「ヤダ」

 まさかここでヒナの”ヤダ”が出るとは思わなかった。

「やだって……なにも二人揃って遅刻する必要はないよ」

「ううん。だって私たちってもう、共犯者でしょ?」


 遅刻を覚悟して完全に開き直った僕と彼女は、走るでもなくいつも通りに登校した。

 そうして教室の前までやってきた時、廊下の向こう側から大きな体を上下左右に揺らしながら走ってくる担任教師の姿が見えた。

 すでにショートホームルームの開始時刻は過ぎているので、彼も遅刻ということになる。

「先生、おはようございます。すいません、朝比奈さんとお喋りをしていたら遅刻しました」

 昨日のことで先生には申し訳ない思いがあり、遅刻を(とが)められることで少しでも相殺しようと、敢えてカジュアルに話し掛けた。

「はいはい、おはようございます。さあさあ二人とも、はやく席に着いてください」

 その浅はかな目論見は、温厚な教師の前で呆気なく崩れ去った。

 

 僕たちが席に着いたのとほぼ同時に教卓の前までやってきた先生は、少し毛深い両手を教卓の上に置き、教室中をぐるりと見渡してから口を開いた。

「おはようございます。明日の八月十三日から十五日までの三日間は、皆さんお待ちかねのお盆休みです」

 夏休みがないこの学園にも、短いながらも盆休みは存在していた。

 希望する生徒は自分の家に帰ることもできるそうだが、僕は当然のようにこの学園に残る選択をした。

 それはヒナもまた同じだと、何日か前に聞いて知っていた。

「今日は午後の授業はありませんが、そのかわりに学園内の大掃除をやってもらいます。二人一組で場所を割り当てるので、昼休みが終わるまでにペアを組んでおいてください」

 くじ引きでも出席番号順でもなく、生徒の自主性に任せるのが安上先生らしかった。

 その寛容さを自身の子にも適用していれば、新聞記事に載るようなこともなかっただろうに。

 そんな無責任な考えは、僕と彼が他人であるから思いついたことだった。

 彼はここでは僕たちの先生だが、家に帰ればその肩書きは父親に上書きされる。

 それは教師ほど楽な仕事ではないのかもしれない。


 昼食が終わったあと、十四組のペアに分かれた面々は、それぞれに割り当てられた現場へと向かう手筈となった。

「俺と杉卜は視聴覚室みたいだな」

 僕の目と同じ高さにある関の口が動く。

「視聴覚室? そんなものまであるんだ」

 大方の授業は教室で行われるため、特別教室があるB棟には職員室か保健室に用事があるとき以外、ほとんど行く機会がなかった。

「俺もどこにあるかは知らないけど、まあ十中八九B棟の二階か三階だろうな」

「じゃあ、とりあえずB棟に行ってみよっか」

「そうだな」

 清々しいほどのノープランで教室を出ていこうとした、その時だった。

「あ、ちょっと関くん」

 教室の後ろの出入り口から背丈ほどもあるモップを手にしたヒナが現れると、手招きをして関を連れ去ってしまう。

 ややして一人で戻ってきた彼女は、「ユウ、行くよ」と、僕の手を握り歩き出した。

「へ? 関は?」

「私の持ち場と変わってもらった」

 だったら最初から僕と二人で組めばよかったのに。

 そう口に出そうとした時、彼女は「妨害が入るかもしれないと思ったから、ギリギリまで偽装してたの」と、まるで諜報部員のようなことを言い出す。

「妨害って?」

「私、宗方先生に目を付けられてるから。あ、ユウもか」

 残念ながら昨日からそうなった可能性が高い。


 視聴覚室は思った通りB棟の三階にあった。

 同じ階にある家庭科室では、二組(ふたくみ)のペア計四人による大掃除が開始されていた。

「視聴覚室は僕とヒナだけなのかな?」

「うん。ここは動かせるものがほとんどないから、床のモップ掛けと机の水拭きだけでいいみたい」

 彼女は木札の付いた鍵をスカートのポケットから取り出し、分厚いドアの鍵穴に差し込んだ。

 視聴覚室の作りは音楽室のそれとよく似ていた。

 壁にたくさん空けられた小さな穴は、防音のためのものだろうか。

 窓には黒いカーテンが引かれており、その隙間から僅かに差し込む陽の光が床に細い光の線を落としていた。


 視聴覚室に入室した彼女は、いの一番にドアに鍵を掛けた。

 次に手にしていたモップを部屋の入口近くの壁に立てかけ、なにを思ったのか自らの胸元に手を突っ込んだ。

「……なにしてるの?」

「待って……よいしょっ」

 掛け声とともに彼女が服の中から取り出したのは、黒くて薄い箱のような物だった。

「なにそれ?」

「ビデオテープ。見たことない?」

「うん、初めてみた。ビデオって、なんの?」

 彼女は僕の質問には答えず、巨大なラックが置かれた部屋の隅へと歩いていく。

「これかな? あ、ビンゴ。ユウ、どこでもいいから席に座って」

 指示された通りに三十ほどある座席の中央付近に腰を下ろす。

 すぐに隣にやってきた彼女が手にしたリモコンのボタンを押すと、黒板の上から畳サイズのスクリーンが降りてくる。

「掃除はしないの?」

「時間があったらね」

 一応きいてはみたが、彼女が関に成り代わったその時点で何か企みがあることはわかりきっていた。

「それで、それってなんなの?」

 改めて問い訊ねてみる。

「さっきの手紙と一緒に輪ゴムで留められてたの」

 なぜそんな物が――と口に出しそうになるが、答えは今から見る影像の中にあるはずだ。

「じゃあ、再生するね」


 巨大なスクリーンに最初に映し出されたのは、細かなノイズが乗った黒い背景だった。

 その右下には白い字で八桁の数字が表示されている。

 最初の2002が西暦だとすれば、この映像は随分と昔のものらしい。


 次にスクリーンに映し出されたのは、墨で書かれた『(みなみ)家葬儀式場』という縦書きの看板だった。

「お葬式?」

「たぶんね」

 音声は記録されていないようだ。

 カメラを手にした人物が黙礼したのか、アスファルトの黒い地面に男物の革靴の先が映る。


 シーンが替わり、たくさんの花で飾られた祭壇が映った。

 中央には若い女性の写真が置かれている。

 その正面で焼香を行う男性のものと思しき手は、気の毒なほどに震えていた。


 再びシーンが転換する。

 黒いスーツに身を包んだ茶髪の中年男性と、黒の留め袖を着た痩せた中年女性が、最初に映った看板の前に立ち、カメラを持った人物を真っ直ぐに見据えている。

 突然カメラがぐらつき、足元の地面を数センチの距離で接写する。

 レンズから漏れ出た液体がアスファルトの色を黒く濃くしていき、やがてそこには小さな水たまりができていた。

「映画……とかなのかな?」

「待って。もう少しあるみたい」


 彼女に制され口を(つぐ)みながらスクリーンに視線を戻すと、またシーンが替わっていた。

 暗い夜道をふらふらと歩く撮影者は、高い場所に架かる橋の欄干に手を置いた。

 片手にはカメラを持っているはずなのに、不思議なことにその手とは右手と左手だった。

『……すまない。本当に……すまなかった』

 思わず声が出そうになる。

 それは予告もなく映像に音声が乗ったからではなく、その声に聞き覚えがあったからだった。

『いまさら(ゆる)してほしいなどとは言わない。ただ……』


 突然スクリーンが真っ白な光を映した。

 隣を見るとヒナがリモコンでビデオを停止していた。

「……やっぱり」

 彼女はそう言うと、小さくため息をつきながらこちらに顔を向ける。

「ねえ、ユウ。私は今から行かなければいけないところがあるの」

「僕も行くよ」

 彼女は首を左右に振っていやいやをする。

「ダメ。ユウは掃除が終わったら教室に帰って」

 今度は僕が首を左右に振る番だった。

「いやだ。ヒナも一緒に帰ってくれるなら話は別だけど」

「ねえユウ、聞いて? 私はあなたに帰ってもらいたいの」

「だから帰らな――」

「そうじゃなくって!」

 彼女の怒声は吸音性の高い壁と天井に吸い込まれ、すぐに耳が痛くなるような静寂が戻って来る。

「ユウには……ユウにはちゃんと、笑顔でこの学園から出て自分の家に帰ってほしい。渡辺くんやあの子みたいに、消えてほしくない。私が言っているのはそういうことなの」

 ヒナの大きな目に涙が浮かんでいた。

 僕はこの時になってようやく、彼女のついていた嘘を見破ることができた。

「ヒナは……本当はもう知っているんじゃないの? この学園の嘘っていうのを」

「……」

 彼女は僕の問い掛けに応じなかった。

 逆にいえばそれが答えだった。

「ヒナ」

 彼女の手を強引に取り指を絡ませる。

「行こう。僕も知りたいんだ」

 ヒナが導き出した、答案の答えを。

「ちゃんと確かめたいんだ」

 僕という存在の在処(ありか)を。

 たとえ今から向かおうとしているその場所が、この学園での生活の終着点になるとしても。


 生徒指導室の前までやってくると、ヒナはノックをせずにドアを開けた。

 そして次の瞬間にはズカズカと部屋の中へと分け入ってゆく。

 こちらに背を向けて窓際に立っていた先生は、ゆっくりと振り返り僕たちの姿を認めると、「二度でも三度でも構わない。次からはノックをしてから入ってきなさい」と言い、再び窓の方に体を向けた。

「返し忘れていたものがあったので持ってきました」

 先生は振り返って確認することすらせずに、「ああ。机の上にでも置いておいてくれ」と、なんの感情も無く言った。

 ヒナは言われた通りに机の上にビデオテープを置く。

「すみませんでした。失礼します」

 彼女はそう言うと、回れ右をして部屋を出ていこうとする。

 事前の申し合わせでは、ビデオの映像について先生に聞くことになっていた。

「ヒナ、ちょっと……」

 小声で呼び止めながら手を伸ばそうとした、その時だった。

「それは昔、私が受け持っていた生徒の葬儀の時の映像だ」

 先生はいつの間にか再び窓を背にして立っていた。

 ヒナはその場で足を止め、背を向けたままで先生に話し掛けた。

「……その子はなんで死んだんですか?」

 先生は胸の前で組んでいた手をぶらりと下ろすと、口角をややあげながらこう言った。

「彼女は殺された。……いや、私が彼女を殺した」

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