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夜明けの晩に屋上で  作者: 青空野光
学園の嘘
19/30

19.聖母

 そう聞かれることは予想していた。

 なので用意済みだった言葉を(じか)に投げ返す。

「はい。見ました」

「……そうか」

 僕の返事が意外だったのだろうか。

 先生の声色は、これまでに一度も聞いたことがないものだった。


 先生は封筒を机の引き出しに仕舞うと、椅子の肘掛けに手を置いて立ち上がった。

 交差する目線の高さが瞬時に入れ替わる。

「杉卜。君がこの学園にやって来た時、私が言った言葉を覚えているか? 私は、『君は少し特別な生徒だ』と、そう言った」

 確かに言われた記憶がある。

「はい。それがどういうことかも知っています」

 宗方先生の顔色が再び変わる。

「……白鳥さんか。まったく、あの人は」

 先生は吐き捨てるように言うと、壁を一枚隔てた向こう側にある保健室を睨んだ。

「僕がこの学園に転入してきたのは、今回で二度目だったんですね」

「ああ、そうだ。もっとも一度目に君がこの学園に来た時、君は君ではなかったがね」

「……え?」

「杉卜。この学園における私の役割は、ここにやってきた生徒を余さず本来在って然るべき場所へと送り返すことにある。これは以前ここにやって来た君にも言ったことだ」

 いよいよわけがわからなかった。

「よく聞きなさい。もうこれ以上、余計な詮索をするな。それともまた以前のように消えたいのか?」

「……それはどういう意味ですか?」

「私の話は以上だ。そろそろ夕食の時間になる。急いで寮に戻りなさい」


 結局僕は食い下がってまで先生の言葉の意味を知ろうとしなかった。

 もしそれをして、先生が答えの全てを開示してくれたら、いま見えている景色の色と形が塗り替えられてしまう。

 そんな不確かな予感がした。


 味のしない夕食を体に取り込み、そのまま風呂へと足を運び、カラスと同じかそれ以上に手短に入浴を済ませ、部屋に戻るなりベッドの上にダイブ倒れ込む。


『それともまた以前のように消えたいのか?』

 氷柱(つらら)のように冷たい宗方先生の言葉が頭の中で繰り返される。

 そういえば確か関も、先生に同じようなことを言われたと言っていた。

 ただ、関の場合は『消えたいのか』ではなく『消されたいのか』で、その意味合いはやや違っていた。

 いずれにせよ、そのどちらもが教師が生徒に対して使う脅し文句としては、(いささ)か不適切なように思える。


 安上先生の件は――過去に本当にそういう事件があったのだとすれば――この学園で体験してきた様々な異常現象に比べて、よほど受け入れることが易かった。

 彼が後ろから話しかけられることを嫌い、息子さんに贈った万年筆を宝物のように所有していたことにも合点がいく。

 息子さんが犯した罪の清算を終えたその時、彼らは再び親子に戻ることができるだろうか?


 ヒナは――。

 彼女はなぜ不正な手段を用いてまでして、あんな物を手に入れようと思ったのか。

 僕が見たのは数十枚はあった紙の、ほんのたった一枚に過ぎない。

 彼女は残りの全てに目を通したのだろうか?

 だとしたら、果たしてそれはどんな内容のものだったのだろうか?

 明日の朝にでも彼女に聞けば、それも教えてもらえるかも知れない。

 だが、しかし――。


 その時だった。

 部屋のドアがドンドンドンと大きな音を立てて叩かれる。

「ユウ! いたら返事して!」

 この学園で僕のことをユウと呼ぶのは一人しかいない。

 足で反動をつけてベッドから起き上がり、急いで部屋の鍵とドアを開ける。

 部屋の出入り口に立っていたクラスメイトの少女は、僕の顔を見るなり一歩二歩とこちらに近づき、伸ばした両腕を僕の背中に回した。

 平均値よりも10センチ近く身長が低い僕と、平均値よりも少し背の高い彼女にあっては、自然と互いの顔が交差するような形になる。

「ヒナ? どうかしたの?」

「……ユウが宗方先生と職員室で揉めてたって聞いて、それで私、てっきりユウが……」

 彼女は僕の耳元でしゃくりあげながらそう言った。

「大丈夫だよ。それに揉めてたっていうか、話をしてただけだから。てゆうか、ヒナはそれを誰から聞いたの?」

 あの時、職員室にいたのは僕と二人の教師だけだったはずだ。

 だとすれば安上先生だということになる。

「あのね、私には協力者がいるの」

「協力者? 協力者って、なんの?」

「……この学園がついている嘘を……暴くための」


 彼女はそれ以上は喋ることはせずに、僕の体にしがみつき震えていた。

 その間にも時計の針は休まずに時を刻み続け、消灯時間が五分後にまで迫っていた。

「ヒナ。今日はもう時間が遅いから、また明日の朝にでも詳しく教えてよ」

「……うん」

 彼女はそう言うと、ようやく僕の背中に回していた手を解いた。

 密着していた体の部位に感じていた圧迫感が弱まり、最後に僕の顔の横を彼女の頭が通り過ぎる。

 その時、ほんの僅かに頬に柔らかなものが触れた。

 僕は無意識のうちに自分の頬に手を当て、正面にある彼女の瞳を覗き込む。

 長いまつ毛を携えた黒く大きな瞳に、深い慈愛の色が滲んでいるのが見えた。

「ねえ……ユウ」

 彼女は聖母の優しさで僕の名を呼ぶと、まるで歌うように言葉を紡いだ。


「タンポポが真っ白な綿毛を飛ばす、春の野原が好き」

「ラムネの瓶の青色みたいな、夏の海が好き」

「たくさんの宝石を散りばめたような、秋の夜空が好き」

「お母さんに手を引かれて歩いた、冬の帰り道が好き」

「あなたのことはそれよりも……ずっとずっと好き」

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