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夜明けの晩に屋上で  作者: 青空野光
クラスメイト
17/30

17.鏡像

 今日の一時間目の授業は担当教諭の体調不良で自習になった。

 もっとも、もとより先生が板書した内容をノートに書き写すことを主体とした授業だったので、黒板がプリントに変わっただけでやる事は普段と何も変わりはしない。


「ユウ」

 背後から呼び掛けられたのと同時に、先の尖った棒状のもの――たぶんシャーペン――で背中を(つつ)かれる。

「いてて……なに?」

 応じながら腰を大きく捻り振り向く。

 教師という監視の目がないからできる荒業だ。

「ちょっと小耳に挟んだんだけど、昨日の放課後に女装してたって本当?」

 なにやら話がとんでもなく盛られていた。

「してないし。赤堀さんに前髪にヘアクリップを付けられただけだよ」

「え、ウソ! 私も見たかった! もう一度だけ付けてみて?」

「絶対にやだ」

 人差し指でバッテンを作ってから前に向き直る。

 すぐに後ろから、「ユウのケチ」と怨嗟(えんさ)の声が聞こえてきたが、完全に黙殺して自習の課題に戻った。


 二時間目からの授業は通常通りに行われた。

 そのあとも時は止まることなく流れ続け、ついには待ちに待った昼休みがやってきた。

 食堂のある寮に移動すべく椅子から腰を上げると、ズボンの右ポケットから何か小さな物が落ちる。

 それは水色のヘアクリップだった。

(そういえば赤堀さんに返そうと思ってたんだ)

 彼女の席がある廊下側に目を向けるも、どうやら既に寮に戻ってしまったようだ。

「ユウ、どうかしたの?」

 後ろの席からヒナが覗き込んでくる。

 一瞬、ヒナに頼んで渡しておいてもらおうかと思ったが、『その前にちょっと付けてみて』と言われる未来は、超能力を持たない僕でも明確に予知することができた。

「なんでもない。行こうよ、ご飯」

「あ、うん」

 ズボンのポケットにヘアクリップを戻し、ヒナと一緒に教室をあとにする。


 昇降口で靴を履きながら、靴箱で隔てたれた向こう側にいるヒナに話し掛ける。

「そういえば宗方先生から伝言を預かってたんだった」

「……先生、なんて言ってた?」

「えっと、『資料室から持ち出した物を至急返却するように』だったかな。何のことかわかる?」

 返事は返ってこなかった。

「ヒナ?」

 靴を履き終えて隣の通りを覗き込むと、昭和の文豪のように(てのひら)を顎に当てたヒナの姿があった。

「どうかした?」

「あ……ううん、なんでもない。ありがと」

 なんとも彼女らしからぬ、煮えきらない返事が少し気になった。


 昼食を済ませて寮の玄関を出たところで、女子寮の階段を降りてくる赤堀さんと遭遇する。

「あ、赤堀さん」

 ポケットから取り出したヘアクリップを人差し指と親指で摘み、「昨日はこれのお陰で大変な目にあったよ」と、若干の恨みと一緒に彼女に手渡す。

「もしかしてブルー系よりピンク系のがよかった? 寮に戻ればあるから取ってこよっか?」

 残念ながら全くそういうことではない。

「色がどうこう以前に男が付けるようなものじゃないし。それに似合ってるかどうかなんて、自分じゃわからないから」

 たとえ似合っていたところで……だが。

「じゃあ、自分で見て『けっこうカワイイかも』って思ったら、また付けてくれる?」

「いや、付けないけど。それに自分で見るには鏡が必要でしょ。この学園には無いものだよ」

「鏡だったらあるけど? 連れてったげよっか?」


 赤堀さんに連れられてやってきたのは、グラウンドの隅に建てられた体育倉庫だった。

「アタシ以外にも何人かは知ってるけど、一応は秘密ってことにしてるから誰にも言わないでね」

 彼女は唇に立てた人差し指を当ててそう言うと、「こっち」と手招きして倉庫の裏手に歩いていく。

 プレハブ製の倉庫の裏は1メートルほどの余地を残して、すぐに白い壁が学園の敷地と外界を隔てている。

 足元は緑色の苔や乾いた粘菌が土を覆い隠し、真昼の屋外にして日暮れ間近のように薄暗かった。

 その一番の暗がりに置かれていたのは、確かに鏡と呼べなくもないが、用途としてはまったく異なるものだった。


 オレンジ色のフレームの中に円形の鏡面を持ち、くすんだ白色のポールで今にも朽ち果てそうな巨躯(きょく)を支えられているそれは、道路でよく見られるカーブミラーだった。

 赤堀さんは頭よりもだいぶ高い位置にある鏡面に映った自分の姿を確認し、「うんうん。アタシって今日もかわいい」と満足げに頷いた。

「ケースケくんもこっち来なよ」

 彼女に手首を掴まれ、半ば無理やり鏡の前に立たされる。

 僕はいつの間にか顔の前に手かざし、自らの視界を遮っていた。

「なにしてんの?」

「……ちょっと怖くて」

「ヘーキだって」

 彼女は僕の後ろに回り込み、「ホラ」と言いながら僕の両手を無理やりに下げた。

 こんなところでこんな姿勢で体と体を密着させているシーンを誰かに見られたら――と、そんなことは今はどうでもいい。

 なけなしの勇気を振り絞って、オレンジ色の枠の中に目を向ける。

「久しぶりっしょ? 自分の顔みるの」

 見上げた先にある巨大な凸レンズの中心で、見たことのない女子生徒が口を動かしていた。

「……え」

 鏡像の女子生徒は、赤堀さんと同じくらいの身長で、髪の長さも同じくらいで、着ている制服の意匠(デザイン)も同じだった。

 言い換えると、それ以外のすべてが違っていた。


 僕のクラスメイトの赤堀さんは、毛先が外側にカールした茶色い髪をしていた。

 鏡の中の歪んだ女子生徒の髪は、肩の高さで切り揃えた黒いおかっぱ頭だった。

 僕のクラスメイトの赤堀さんは、膝が見える短いスカートを履いていた。

 鏡の中の歪んだ女子生徒のスカートの丈は、膝下に10センチほどもあった。

 僕のクラスメイトの赤堀さんは、少し気だるげな黒い目をしていた。

 鏡の中の歪んだ女子生徒の目があるはずの場所には、二つの真っ暗な空洞があるだけだった。

「……これ」

「鏡の部分が膨らんでるから変なふうに映るのが()()()()()だけど、まあこんなもんっしょ」

 こんなもんっしょも何も、鏡の中の彼女は全くの別人だった。


 僕と赤堀さんが教室に戻ったのは、五時間目の授業が始まって少ししてからのことだった。

 幸いにも担当教諭が安上先生だったお陰で、怒られるどころか小言すら聞かずに済んだ。

 席に着いた途端、後ろからシャーペンで背中を突かれる。

「ねえ、ユウ。赤堀さんとどこに行ってたの?」

「……ちょっと」

 本当はちょっとどころの騒ぎではない。

 相手がヒナであるのなら、さっき起きた出来事を話してもいいのかもしれない。

 だが、すぐに思い直して口を閉じると教科書を広げた。


 鏡に映った赤堀さんが別人だったことはともかく、その正面にいたはず僕の姿がまったく映っていなかったことは、とてもではないが自分の口から話す気にはなれなかった。

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