「戦争を正当化する一つの死」
南へと続く霧深い丘陵地帯の街道を、一台の黒塗りの馬車がゆっくりと進んでいた。
屋根の上では帝国の旗がはためいている。
深紅の地に金色の蛇――ヴァルテリオン王朝の力を象徴する紋章。
馬車の中で、帝国第三皇子レオポルド・ヴァルテリオンは、肘掛けを怒り任せに叩きつけていた。
若く傲慢なその顔は、屈辱によって歪んでいる。
「くそ……」
歯噛みしながら、低く吐き捨てる。
「あの尊大な声の王女に……
あのダグラスの雑種に……
そして、俺自身の姉にまで……」
怒りは胸の奥で煮えたぎっていた。
彼はこの王国へ、王女エリザベスの寵愛を得るため、
そして政治的な同盟の可能性を掴むためにやって来た。
――だが、結果は最悪だった。
甘やかされた子供のように扱われ、
最後には、完全に無視された。
(見ていろ、エリザベス……
帝国がこの地を奪還する時、
そのすべての侮辱を、必ず返してやる。
慈悲を乞わせてやる……)
馬車は静かに揺れ、
蹄の音と木々を抜ける風の音だけが、沈黙を破っていた。
――その時だった。
突然、すべてが止まった。
御者の喉が潰れるような叫び。
続いて、鋼がぶつかり合う音。
悲鳴。
肉体が地面に叩きつけられる鈍い音。
そして――
大地を震わせる、金属の咆哮。
「何が起きている!?」
レオポルドは苛立ち混じりに叫び、
窓のカーテンを乱暴に引いた。
――息を呑んだ。
帝国の護衛隊が、街道に無残に散らばっていた。
折れた槍。
喉を裂かれた軍馬。
自らの剣に貫かれた兵士たち。
空気はマナで飽和していた。
濃すぎる魔力の圧に、馬車そのものが震えている。
そして、死体の間を縫うように、
静かな足取りで近づいてくる一人の男。
黒い外套に身を包み、
冷え切った視線。
獣のような輝きを宿した金色の瞳。
――帝国特務軍司令官。
《将軍ジャッカル》。
皇子の喉が、ひくりと鳴った。
声は恐怖に押し潰され、震えていた。
「ジ、ジャッカル……?
な、何のつもりだ……これは……?」
男は馬車の前で足を止めた。
剣からは、まだ血が滴っている。
その口元に、かすかな笑みが浮かんだ。
「我が皇子殿下……」
礼儀正しく、
しかしどこか嘲るような声音。
「あなたの死には、意味があるのです」
「……お、俺の……死、だと?」
「その通り」
ジャッカルは剣を掲げた。
刃は、純粋なマナの青白い光を帯びて燃えている。
「あなたの高貴なる犠牲によって、
帝国はこの王国に対し、
正当な理由をもって戦争を宣言できるのです」
皇子が叫び声を上げる暇はなかった。
刃が、完璧な弧を描いて振り下ろされる。
乾いた音。
胴体が傾き、
首が、土埃の中を転がった。
ジャッカルは剣を拭い、
数秒その刃を見つめてから、低く呟いた。
「兵士は、誰を殺すかを選ばない。
選ぶのは……
その死が、どんな大義になるかだけだ。
帝国に栄光あれ」
そう言い残し、踵を返す。
周囲では、黒衣の男たち――
まるで亡霊のような部下たちが、
馬車に火を放ち始めていた。
炎は瞬く間に燃え上がり、
夜空を赤く染め上げる。
それは――
一つの死が、戦争へと変わった瞬間だった。




