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「公爵の怒り」

広間の大きな窓越しに、公爵領の中央庭園が見渡せた。

数百の兵士が隊列を組んで行進し、

騎兵たちは魔獣を駆って訓練を重ね、

鍛冶場の炉は夜になっても赤く輝き続けている。


――戦争は、まだ始まっていない。

だが、ダグラス公爵はすでに導火線に火をつけていた。



二日後。

夜の帳がダグラス邸を包み込む。


松明とランタンが廊下を照らし、

溶けた蝋と煙の匂いが空気に漂っていた。


副広間では、将校たちが地図を広げ、

緊張した表情の使者から報告を受けている。


動員は、静かに――しかし確実に進んでいた。



ソフィアは、エミリーを夕食に招いていた。


ルシアンと三週間も会っていないことを、彼女は案じていた。

距離が、二人の関係を冷ましてしまわないか――。


貴族の社交期は、わずか四か月。

それが終われば、各家は領地へ戻り、

顔を合わせる機会は激減する。


控えめながらも気品ある装いのエミリーは、

部屋に入ると丁寧に一礼した。


「ご機嫌麗しゅう、偉大なる大公妃様。

ご旅行は、実りあるものでしたでしょうか」


「久しぶりね、エミリー」

ソフィアは、淡い微笑みを浮かべる。

「ご家族のご様子は?」


「おかげさまで、落ち着いております。

お気遣い、ありがとうございます」


ソフィアは頷き、

穏やかだが芯のある声で続けた。


「まもなく、ルシアンの十六歳の誕生日よ」

「婚約者であるあなたが、式典を取り仕切りなさい」

「貴族家を招待して構わないし、

必要な資源は自由に使っていいわ」


一瞬言葉を切り、優しく付け加える。


「今は辛い時期でしょう。

でも、忙しくしていた方が、気も紛れるものよ」


エミリーは、少しだけ表を明るくして頷いた。


「仰せのままに、デュケッサ。

ご配慮、感謝いたします」



大広間では、マルタとカタリナが廊下を横切っていた。


マルタは、ソフィアに鋭い視線を投げかける。

息子を失った悲しみが、

怒りと共に彼女を蝕んでいた。


その感情は、隠しきれていない。


ソフィアは、それに気づきながらも動じなかった。


「同情はするけれど」

冷たい声で言い放つ。

「無礼は、決して許さないわ」


慌てて、カタリナが割って入った。


「失礼いたしました、デュケッサ。

通りがかっただけですので……これで失礼いたします」


彼女は深く頭を下げ、

マルタの腕を引いてその場を離れた。



回廊の陰から様子を見ていたルシアンは、

二人の背中を見送ってから、母のもとへ近づいた。


「……何の用だったんだ?」


「同情を買いに来ただけでしょうね」

ソフィアは、軽くため息をつく。

そして、息子の顔に浮かぶ痣に視線を落とした。


「それより――」

「アルベルト、あなたの訓練で少し行き過ぎていない?」


そう言って、

彼女は静かに、だが鋭く問いかけた。


ルシアンは疲れ切った様子で肩をすくめた。


「新しい魔法を見せてから、ずっと離してくれないんだ。

完成させるまで、徹底的にやれってさ」


そのとき、エミリーが近づき、控えめな笑顔で挨拶した。


「こんばんは、ルシアン。

……その、怪我の手当て、私がしてもいい?」


「ぜひ頼むよ」

彼は心からの感謝を込めて答えた。

「ありがとう」


夕食は穏やかに進んだが、途中でエミリーの様子が変わった。

彼女は胸元に手を当て、眉をひそめる。


「……なに、これ?」


ソフィアは落ち着いた声で彼女を安心させた。


「心配しなくていいわ。害はないの」

「ただ、マナ核の強化を身体が吸収するのに時間がかかっているだけ」

「料理には、キュモペリアの森の王の肉を使ったのよ。

それ自体が、宝物みたいなものだから」


エミリーは目を見開いた。


「森の王……!?

そんなものを、討伐したんですか?」


「うん」

ルシアンは少し誇らしげに答えた。

「母さんのおかげだ」



エミリーの体調が落ち着いた後、

ルシアンは彼女を王都北区にある《秘源の聖域》へと案内した。


ルーンに照らされた水盤に囲まれたその場所は、

急激なマナ強化の後に核を安定させることで知られている。


「ここなら、楽になるはずだ」

「この場のエネルギーが、マナ核を整えてくれる」


「連れてきてくれて、ありがとう」

エミリーは深く息を吸い、少し安心したように言った。

「……キュモペリアの森は、危険だった?」


「正直、かなりきつかった」

ルシアンは苦笑する。

「帰りは……もっと最悪だったしな。

色々あってさ」


そのとき、静寂を破る声が響いた。


「――ルシアン!」


振り向くと、カラが護衛を引き連れて歩み寄ってくる。


「あなたも、マナの安定化に来たみたいね」


彼女の背後の物々しい護衛を見て、

ルシアンは眉を上げた。


「ずいぶん厳重だな」

「俺が君の父親だったら、

数年は地下牢に放り込んでるところだ」


「相変わらず、うるさいわね」

カラは即座に言い返す。

「それに、あなたも一度逃げ出したって聞いたけど?

人のこと言える立場じゃないでしょ」


混乱した様子で、エミリーが二人を交互に見る。


「あの……失礼ですけど、

いつから、そんなに仲が良いんですか?」


二人は同時に答えた。


「仲良くない」


エミリーは眉を上げる。


「……そうは見えませんけど」


カラは口元を歪め、意地悪く笑った。


「ベッドの上で、あんなに動き回る人と

友達になるわけないでしょ」


エミリーは真っ赤になり、

ルシアンは歯を食いしばる。


「おい! 誤解だ!」

「それに、誤解を招く言い方はやめろ!

元を辿れば、お前のせいだろ!」


「大げさね」

カラは挑発的に肩をすくめた。

「それより……今のあなたが、

もう私の敵じゃないって証明してあげようか?」


「やる気か?」

ルシアンは口元を吊り上げる。

「ちょうどいい。

一発、叩きのめしてやりたかった」


「私が負けたら?」

カラが目を細める。


「一週間、学院の制服で過ごせ」


「じゃあ、あなたが負けたら」

彼女は即答した。

「一週間、私の命令に従いなさい」



その直後、

ダグラス家とブルランス家の騎士たちが周囲を囲み、

即席の闘技場が出来上がった。


ルシアンは剣を抜き、

決意の光を瞳に宿す。


「少し力が上がったくらいで、

俺に勝てると思ってるのか?」

「……がっかりだな」


「力だけじゃないわ」

カラは剣の柄を握り直し、不敵に笑う。

「すぐに、分かる」


合図もなく、カラが踏み込んだ。


剣と剣がぶつかり合い、

金属音が公園全体に響き渡る。


――重い。


ルシアンの手が震えた。

カラの身体強化魔法は、

想像以上に彼女の力を引き上げている。


油断すれば、致命傷。


ルシアンは即座に判断し、

剣と魔法を組み合わせた戦法に切り替えた。


黒い棘が地面から噴き出し、

闇の魔力弾が稲妻のように飛び、

地中から槍が正確に突き上がる。


すべては、

カラの広範囲攻撃を封じるための布石。


カラはルシアンの成長を察知し、

眉をひそめた。


戦術を切り替え、

父から教わった《マナ装甲》を展開する。


全身を覆う輝く魔力の鎧。

物理攻撃を吸収し、

魔法ダメージを大きく軽減する。


そして、反撃。


剣を振るうたび、

二重のマナ斬撃が空気を震わせ、

ルシアンを後退させた。


激しい打ち合いの最中、

ルシアンは剣で攻撃を防いだ――が。


顔面への蹴り。


視界が揺れ、

カラはその隙を逃さず、広域攻撃を解放した。


爆発的な魔力波動が炸裂し、

土と木の葉が舞い上がる。


ルシアンは反射的に雷撃を放ち、

衝撃の一部を逸らしたが――

それでも、衣服と皮膚が裂け、

口元から血が滴った。



ルシアンの瞳に、決意が刻まれる。


アルベルトとの訓練で磨いた、

あの魔法を起動した。


闇のマナで形成された二本の剣が、

彼の周囲に浮かび上がる。


交互に現れ、

背後から斬りつけ、

消えては戻る。


休む暇を与えない圧力。


マナ装甲がダメージを軽減するとはいえ、

傷と疲労は、確実に蓄積していった。



そして――決着。


マナを限界まで使い切り、

カラは全力の一撃を放つ。


地面が震え、

剣は眩い光に包まれた。


ルシアンは迷わない。


全身を闇のマナで覆い、

二本の剣を一つに束ねて迎撃する。


衝突。


衝撃波が公園全体を駆け抜け、

木の葉と瓦礫が舞い上がった。


やがて、

ルシアンの攻撃は止まらなくなる。


正確な斬撃と、

執拗なマナ剣の連携。


カラは、ついに膝をついた。


額から血を流し、

荒く息をつきながら叫ぶ。


「……あんた!」

「反則よ!」

「どうして……まだマナが残ってるの!?」

「どんな魔法適性なのよ、卑怯者!」


「秘密を教えるほど、

俺はお人好しじゃない」

ルシアンは剣を下ろし、

疲労と勝利の入り混じった笑みを浮かべた。

「……君みたいな、狂犬にはな」



戦いを見ていたエミリーは、

使用されたマナ量と効率を瞬時に分析していた。


――カラ。

レベル56、魔法適性デルタ。


――ルシアン。

レベル54、魔法適性イプシロン。


数値では劣るはずなのに、

マナ運用と効率で、完全に上回っている。


「……なるほど」


彼女は、すぐに結論に至った。



「二人とも、そこまで」

エミリーが一歩前に出る。

「治療します」


カラは視線を逸らしつつ、

少しだけ柔らいだ声で言った。


「ありがとう」

「……あなた、優しいのね」

「ルシアンも、見習えばいいのに」


「骨は折れてない?」

エミリーはルシアンを確認する。


「着てる服が違うんだ」

ルシアンは苦笑する。

「学院の安物と違って、

高位防御魔法が仕込まれてる」


カラは誇らしげに鼻を鳴らす。


「ふん。私はそんなものいらない」

「実力だけで十分よ」


「でも――殴られてたけどな」

ルシアンは意地悪く言った。

「学院に戻ったら、

ドレス姿を楽しみにしてる」


アルベルトが横から近づき、

満足そうに頷いた。


「良い戦いだった、カラ」

「確実に、強くなっている」


エミリーは小さく息をついた。


――力とは、数字だけじゃない。

戦略、マナ制御、

そして身体と魔法の支配。


そのすべてが、

勝敗を分けるのだと。

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