『生き残る部族』
アレンは無言で彼らを導いた。
何時間も、赤い草原を歩き続けた。
風に揺れる草は刃のようで、触れるたびに皮膚を裂きそうだった。
黄金の太陽が容赦なく照りつける。
地面は熱を帯び、まるで脈打つように震えていた。
遠くから、低い咆哮が響く。
ここがレオンタリスの縄張りであることを、忘れさせない音。
エミリーは気づいた。
アレンの足取りが、徐々に崩れていることに。
「無理しなくていい」
優しく囁く。
アレンは首を振った。
止まること自体が、恐怖だった。
「……だめ……」
「ここで夜を迎えたら……誰も生き残れない」
やがて――
サバンナが途切れた。
だが、村はなかった。
そこにあったのは――
裂け目。
巨大で、湿った、闇の口のような亀裂。
空を支えているかのような古木の根に覆われている。
アレンは膝をつき、石を叩いた。
規則的な、合図のリズム。
エリザベスが目を細める。
「合図?」
アレンは頷いた。
「攻撃されないための……」
「ここでは……偶然に生きてる人なんていない」
闇の中で、二対の目が光った。
人間。
小さく、怯え、疑っている目。
上から縄が落ちてきた。
粗いが、確かなもの。
「早く」
アレンが急かす。
「“一人じゃない”って気づかれる前に」
一人ずつ、降りていく。
最初はエリザベス。
地面の安全を確保するために。
次にエミリー。
カーラ、イザベラ、アデラ、デイアナ。
ルシアンは最後に降りた。
周囲を見渡しながら。
そこに眠る“古いマナ”の震えを感じながら。
洞窟は――巨大だった。
石と骨と、擦り切れた布で作られた即席の住処。
空気は湿り、飢え、積み重なった恐怖の匂いがする。
痩せ細った子どもたちが、
早くに老いた大人の背後に隠れていた。
人間。
原始的ではない。
ただ――
生き延びているだけ。
アレンは駆け出した。
二人の痩せた影へ。
光を失った目の母と、古い傷だらけの父。
「お母さん!お父さん!」
「生きてる……大丈夫……!」
母は泣きながら抱きしめた。
父はわずかに顔を上げる。
だが――
エリザベスを見た瞬間。
その身体が、追い詰められた獣のように硬直した。
「な……何者だ……?」
アレンは早口で言う。
「助けてくれたの……ラミヒャに……」
一瞬、言葉が詰まる。
「……また捕まる前に……」
父の顔が青ざめる。
「ラミヒャに見られたのか!?」
「追われているのか!?」
「ここに連れてきたのか!?」
それは妄想ではない。
習慣だった。
カーラが、珍しく柔らかく言う。
「誰も追ってきてない」
「レオンタリスは、私たちを見て退いた」
ざわめきが走る。
退いた。
レオンタリスが。
それは――
夜が焚き火から逃げた、と言うようなものだった。
一人の老婆が前に出る。
歪んだ杖に体を預けながら。
その目にあるのは恐怖ではない。
年月だけ。
「嘘をつくな」
石のように乾いた声。
「亜人は退かない」
「人間は……獲物だ」
「昔から、ずっとな」
ルシアンが一歩踏み出す。
洞窟が、張り詰めた。
何も言わない。
だが――
その存在だけで、空気が変わる。
まるで洞窟そのものが、古い捕食者を思い出したかのように。
老婆は長く見つめた。
「お前は……人間ではないな」
アデラが一歩出ようとする。
だがルシアンが手で制した。
「違う」
静かに答える。
「人間じゃない」
老婆は震える息を吐いた。
「なら……」
「必要な存在かもしれない」
アレンが戸惑う。
「どういうこと……?」
老婆は壁を指した。
そこには古い絵。
逃げる人間。
狩る亜人。
見下ろす神々。
そして中央には――
黒い影。
金の瞳。
人と獣の間に立つ存在。
「これは……サバンナより古い予言だ」
かすれた声で語る。
「人でもなく、神でもない者」
「喰らう者と喰らわれる者の循環を断つ存在」
エリザベスが眉をひそめる。
「それが……こいつだと?」
老婆は笑った。
歯のない、静かな笑み。
「信じているのではない」
「骨が知っている」
イザベラが腕を組む。
「で?何を望むの?」
「全部救えって?」
老婆は首を振った。
「救いなど望まぬ」
「ただ……生きたいだけだ」
一人の痩せた少女が近づいた。
恐れずに。
ルシアンの手を掴む。
震える指で。
「……助けてくれる?」
あまりに小さな声。
だが――
そこにあったのは祈りではない。
もっと古いもの。
種として最後に残った問い。
洞窟が静まり返る。
エリザベスは歯を食いしばり、
エミリーは唇を噛み、
カーラは笑みを消し、
イザベラは視線を逸らし、
アデラは待ち、
デイアナは矢に触れた。
ルシアンは見つめる。
すべてを失いながら、まだ生きている人間たちを。
そして――
口を開いた。
「まず――」
低く、確かに。
「誰が、お前たちを狩っているのか教えろ」
その瞬間。
部族全体が息を吐いた。
何年も止めていたかのように。
そして――
遠く、サバンナの奥で。
何かが咆えた。
まるでその問いに――
応えるかのように。




