『夜が己のものを取り戻す時』
太陽が――血を流していた。
地平線は病んだ赤に染まり、
乾いた大地も岩も、すべてが警告の色に塗り潰される。
息を吸うたびに、
埃と血と恐怖が肺に満ちた。
九人の英雄は理解していた。
――時間がない。
エルドリックが剣を天へ掲げる。
「――今だ!!」
その号令は谷を越え、遠くまで響いた。
神々の加護が震える。
都にさえ波紋が届く。
見えない炎の鎖のように、
祝福が英雄たちの肉体を締め上げた。
血管が燃える。
筋肉が軋む。
骨が、神の重みに悲鳴を上げる。
メライナが咆哮した。
その身は、生きた太陽。
空気すら焼き尽くす。
ブラノールは雷を解き放つ。
一撃ごとに、大地が引き裂かれる。
地の双子は岩を隆起させ、
生きた要塞を築き上げた。
水の巫女は不可能な潮を呼び、
風の射手は大気そのものを裂いた。
一瞬――
世界が彼らに味方したかのように見えた。
だが。
ルシアンは、歩いていた。
ただ、それだけ。
一歩ごとに影が伸びる。
ダインスレイヴが振るわれるたび、現実が裂ける。
その呼吸さえ――裁きだった。
エミリーが膝をつく。
血が流れる。
黒い根が大地に広がり、
神々の祝福を絡め取っていく。
雷も、炎も、刃も。
すべてが弱まる。
彼女を縛る呪いが、
神と悪魔の両方を侵食していた。
黒い血が滴る。
まるで呪われたインクのように。
エリザベスが手を伸ばす。
山を砕けるほどの幻術。
だが――解き放たない。
攻撃を防ぐたび、現実に亀裂が走る。
心臓が鳴る。
彼に知られる。
すべてが。
ダヤナは笑っていた。
死が彼女の手の中で踊る。
死体が起き上がり、崩れ、また起きる。
ただ数秒を稼ぐために。
ただ、処刑のリズムを刻むために。
アデラは白き虎に跨る。
吐息は霜。
触れたものすべてを凍てつかせる。
砕け散る氷片が、刃のように舞った。
サンダーが駆ける。
雷を断ち、矢を弾き、
死の寸前に現れる。
閃光が谷を裂いた。
召喚士が、傷だらけのまま叫ぶ。
聖獣を解き放つ。
だが――
遅い。
ダインスレイヴが横に走る。
一線。
それだけで。
獣は二つに分かれ、
男もまた、声を上げる前に終わった。
すべてが、理解される前に終わる。
エルドリックが叫ぶ。
誰にも届かない命令。
メライナは炎を極限まで圧縮する。
白く、盲目の太陽。
ブラノールが落ちる。
雷そのものとなって。
双子が岩の牢を閉じる。
そして――
太陽が消えた。
ゆっくりではない。
移ろいでもない。
ただ、消失した。
空が閉じる。
鉄の棺のように。
神の光は飲み込まれた。
ルシアンの夜に。
谷は完全な闇に包まれる。
空気が重い。
灰と粉塵と、残留する雷。
その瞬間。
英雄たちは理解した。
――もう、自分たちの戦いではない。
エミリーが顔を上げる。
黒い根が闇の中で脈打つ。
信仰は意味を失った。
祝福は届かない。
残るのは――
恐怖と、支配。
エリザベスは目を閉じる。
世界が歪むのを感じながら、
力を抑え込む。
心は叫んでいた。
だが、理解している。
もう終わっている。
ルシアンが一歩進む。
夜が、彼に従う。
黄金の瞳。
そこにあるのは感情ではない。
――絶対的支配。
「……早く終わらせろ」
風が止まる。
重力が歪む。
影が伸びる。
そして。
夜は――
ついに己のものを取り戻した。
谷は死んだ。
救いは、どこにも残っていない。




