魔の夜明け(まのよあけ)
土の道は、長く伸びた影に覆われていた。
ルシアンは、静かに歩く。
足元で砂が舞い上がる。
その隣を、サンダーが進む。
威厳ある歩み。
黒い毛並みの上で、電光が踊る。
まるで――空気そのものが、近づくことを恐れているかのように。
一歩ごとに、大地に微かな火花が走る。
エリザベスとエミリーが、その後ろを歩いていた。
言葉はない。
だが、視線がぶつかる。
熱を帯びた沈黙。
抑え込まれた対立。
「――今夜は、私の番よ」
エミリーが言う。
声は強い。
だが、ルシアンの外套に触れた指先は――わずかに震えていた。
「……拒まないで」
エリザベスが、ゆっくりと笑う。
計算された微笑。
「本気で言っているの?」
一歩、近づく。
「昨夜と同じことができると思って?」
視線を流す。
「彼は……私の方が、気に入っているみたいだけど」
ルシアンは、何も言わない。
前だけを見ている。
その歩みは変わらない。
重い。
確定した未来のように。
二人の感情が、その周囲を巡る。
だが――触れない。
誰も、その中心に踏み込めない。
やがて、小さな村が見えてくる。
低い家々。
藁葺きの屋根。
夜風に軋む音。
村人たちは、わずかに顔を覗かせる。
青ざめて。
息を潜めて。
彼らが道を開けるのは――歓迎ではない。
恐怖だ。
ルシアンと、その“一団”を。
彼らは、一軒の小屋に入る。
扉が軋む。
中は、暖かい。
外の張り詰めた空気とは、別世界。
エリザベスが近づく。
静かに。
迷いなく。
エミリーは反対側へ。
逃がさないように。
見守るように。
沈黙が、満ちる。
言葉にならない欲望。
競争。
従属。
すべてが、混ざり合う。
ルシアンは、中心に立つ。
動かない。
ただ、そこにいるだけで。
すべての力が、収束する。
――夜は、静かに進んだ。
かすかな息遣い。
木の軋み。
風の音。
外では、村が震えている。
誰も見ない。
だが、誰もが感じている。
悪魔と夜を共にした者は――
もう、同じではいられない。
それが何かは分からない。
だが確かに。
ルシアンの周囲には。
人ではない“何か”がある。
夜明け前。
ルシアンは外へ出た。
霧が屋根にまとわりつく。
光は、まだ弱い。
その肩には――一頭の鹿。
今しがた狩られたばかりの、新鮮な獲物。
それだけで、村は養える。
そして同時に――示す。
誰が、世界の上に立つのか。
村人たちが集まる。
震えながら。
手を伸ばす。
だがそれは、空腹ではない。
恐怖。
未知への。
目の前の存在への。
半神のようなものへの。
肉を口にする。
その瞬間。
体が震える者もいる。
生命力が流れ込む。
若者たちは、小声で囁く。
「北に、大陸があるらしい……」
「人と魔物が、一緒に狩る場所……」
「食べれば……強くなるって……」
「レベルが上がる、とか」
「……ただの作り話だろ」
否定する声。
だが、その目は――否定していない。
欲望。
野心。
ルシアンは、それを見ている。
静かに。
恐怖と欲望。
同時に存在する。
そして、自分こそが――それを引き出す存在であると。
彼の一挙一動が、示している。
境界を超えた存在。
運命すら、変えるもの。
たとえ、それが――一頭の鹿であっても。
エリザベスが、隣に立つ。
優雅に。
支配するように。
エミリーが続く。
その身に刻まれた呪いとともに。
村人たちは、理解していない。
だが感じている。
危険。
力。
凝縮された存在。
抗うことなど、できないもの。
風が吹く。
遠くの話を運ぶ。
別の大陸。
人と魔物が交わる場所。
強さが、食によって積み重なる世界。
若者たちは、耳を傾ける。
夢を見る。
計算する。
その様子を見て――
ルシアンは、わずかに笑った。
世界の物語が。
今、彼らの中に流れ込み始めている。
恐怖。
欲望。
そして――希望。
すべてが混ざり合いながら。
ルシアンは、すでに選んでいる。
その先の現実も。
彼自身が、形作ることを。




