魔の道(まのみち)
夜が落ちる。
速すぎる。
――あまりにも。
馬車は森の道を進んでいた。
だが、その進みは重い。
そして。
最初の悲鳴が――空気を裂いた。
それは警告ではない。
終わりだった。
木材が砕ける音。
血が幌に叩きつけられる。
横から叩きつける、重い衝撃。
彼女は、理解する暇すらなかった。
――魔物。
影ではない。
物語の中の獣でもない。
現実だ。
あまりにも、現実。
それはハイエナに似ていた。
だが――歪んでいる。
病んだ魔法で、捻じ曲げられた形。
細長く、不自然な体躯。
背骨から突き出た骨の棘。
ひび割れた皮膚。
その下を走る、元素の脈動――まるで生きた傷口。
顎が開く。
二列の鋸のような牙が、肉を引き裂く。
前脚は長すぎる。
そしてその先は――手。
壊れた人形のように、人間を引き裂くための手。
だが。
最悪なのは、その姿ではない。
吐き出すものだ。
青い雷。
刃のような土。
圧縮された水が、肉を切断する。
死の行進。
多様な形の、終焉。
群れで動く。
統率されている。
知性がある。
そして――飢えている。
魔力と、破壊に。
彼女は見た。
引きずられる男。
子を守ろうとする母。
――間に合わない。
すべては、一瞬で終わった。
馬車が横転する。
泥と血の中を転がる。
叫ぼうとした。
声が出ない。
魔物が、彼女を見る。
唾液を垂らしながら、近づく。
そのとき――
空から、何かが落ちた。
雷ではない。
矢でもない。
槍。
黒い。
ほとんど見えない。
まるで――夜そのものが、突き刺したかのように。
それは魔物の頭蓋を貫き、地面に縫い付けた。
一度、痙攣。
それきり、動かない。
槍は消えた。
だが、額の黒い穴だけが残る。
絶対的な終わりとして。
彼女は震えながら、顔を上げる。
――そして、見た。
黒を纏った男。
残骸の中を歩いてくる。
足音はない。
黄金の瞳。
獣のようで――それ以上の何か。
その手の剣。
ダインスレイヴ。
闇を、喰っている。
酒場で聞いた噂。
神殿で囁かれた恐怖。
疑う余地はなかった。
――悪魔。
ルシアンが、剣を動かす。
それは斬撃ではない。
判決だった。
空間が裂ける。
魔物が、断たれる。
肉も骨も、意味を失う。
悲鳴を上げる時間すらない。
終わり。
すべてが終わったあと。
彼は周囲を見渡す。
生存者、五。
半ば喰われた死体、八。
舌打ち。
「……関係ないことだったな」
遠くで。
エミリーが膝をつく。
震える女の肩に手を置く。
「生きてる」
その声は、優しかった。
女は頷く。
理解していた。
悪魔に抗うことは――無意味。
そして――死だ。
ルシアンは、再び歩き出す。
目的もなく。
ただ、進む。
その隣を、サンダーが歩く。
電気が毛並みに走る。
空気が弾ける。
その肉体は、力そのもの。
森の奥から、現れる影。
白と金の装束。
狂信に満ちた目。
祝福された武器。
「――悪魔に死を!!」
叫び。
炎、風、土が地を揺らす。
ルシアンは、瞬きすらしない。
ダインスレイヴが、現実を断つ。
信徒たちが、宙を舞う。
壊れた人形のように。
サンダーが跳ぶ。
雷が炸裂する。
武器が砕け、術式が崩壊する。
エミリーが手を掲げる。
黒き光の檻。
呪いの証明。
神に捨てられた印。
カラが砕く。
アデラが凍らせる。
白き虎が咆哮し、氷が広がる。
エリザベスは抑える。
その力を。
知られてはならない。
一つ一つの動きが――致命的。
そして、計算されている。
ルシアンは進む。
止まらない。
ダインスレイヴが振るわれるたび。
それは攻撃ではない。
審判。
武器が歪む。
砕ける。
溶ける。
慈悲はない。
あるのは――終わりだけ。
「この道で――生き残る者はいない」
最後の一人が崩れ落ちる。
震えながら。
夜風が吹く。
血と煙をさらう。
だが――消えない。
残るのは、記憶。
そして恐怖。
ルシアンを知る者は。
ただ恐れるだけでは終わらない。
崇める。
距離を置いて。
死の中を歩く神として。




