『選ばれし者たちの虚無』
その知らせは、いかなる使者よりも速く世界を駆け巡った。
聖戦士たちの亡骸が冷えきるよりも早く――
戦場に残った轟音の余韻が消えるよりも早く――
世界はすでに知っていた。
神に選ばれし者たちが、堕ちたという事実を。
それは単なる軍事的敗北ではなかった。
砕け散ったのは、象徴そのもの。
最強と謳われた英雄でさえ、血を流し、そして――死ぬのだという残酷な現実。
神殿や大聖堂では、鐘が虚ろな音を立てて鳴り響いた。
どこか葬送のような響き。
信徒たちは震えながら膝をつき、祈りの言葉を失った。
高位司祭たちは恐怖と憤怒の間で激しく言い争う。
神の報復を叫ぶ者。
命を賭してでも口にしてはならない疑念を、震える声で囁く者。
――神々は、変わってしまったのか?
――もはや、その意志は我らを守ってはくれないのか?
同じ頃、各国の王たちは急ぎ評議会を招集し、
貴族たちは国境を固めるべきか、あるいはかつて忌み嫌われた異端と手を結ぶべきかで議論を重ねていた。
恐怖は音もなく広がっていく。
じわじわと、
抗うことのできない黒い河のように。
荒野では、マナに敏感な魔獣たちが騒ぎ始めた。
群れは進路を変え、
太古の獣たちは首をもたげ、目に見えぬ“歪み”を感じ取る。
シャーマンたちは、大樹の根元で囁きを聞いたという。
――「天秤が動いた……何かが、壊れた」
魔導師の島々では、危機感はさらに深刻だった。
クルセイダーは“不可能”に対抗するために創られた存在。
その彼らが敗れたというのなら――
凡庸な人間に、何が残されているというのか。
大魔導師たちは忘れ去られた予言を掘り起こし、
転移門は不安定に震え、マナの流れそのものが調律を失ったかのようだった。
そして――起こった。
世界中、あらゆる国の空を、一本の垂直な光が切り裂いた。
言語も、気候も、大陸も関係ない。
まるで見えざる手が、世界と世界の間に門を開いたかのように。
声は、その後に届いた。
深く、
力強く、
骨に、肉に、魂にまで響く声。
――「選ばれし者たちは堕ちた」
――「均衡は砕けつつある」
――「神々は、新たな覇者を求める」
人々は思考するより先に膝をついた。
子どもたちは泣き、
老人たちは光へと手を伸ばす。
光と影の外套をまとった**神の使徒**たちが降臨する。
その瞳は、天上の炎、あるいは幽玄なる霧に燃えていた。
叫ぶ必要はなかった。
――「信徒は集え」
――「選定が始まる」
――「神々の傍らを歩けるのは、選ばれし者のみ」
それは招待ではない。
絶対の勅令だった。
こうして《選定の闘技祭》が宣言される。
神々は、力の空白を許すことができなかった。
古き敵はすでに、影の中で目を覚ましている。
候補者はあらゆる場所から集うだろう。
聖騎士団、辺境の村、戦士の氏族、魔導学院、そして歴史に忘れられた民から。
試練は苛烈。
肉体、魔力、精神――
そして魂そのものが裁かれる。
誰もが感じていた。
神々は、焦っている。
そして――
神が焦るとき、
震えるのは常に、凡人だ。
ヘラルドたちは、現れた時と同じ速さで姿を消した。
光が完全に消えるまで、数分を要した。
世界は、息を潜めた。
クルセイダーの死は終わりではない。
それは“合図”だった。
新たな神々の争奪戦――
死んだ英雄たちの空席を埋めるための、競争の始まり。
賢者も愚者も、同じ言葉を囁いていた。
――「世界は変わってしまった……もう、どんな神にも元には戻せない」
一方その頃。
光が海となり、不可視の法則が天穹を支える天界の最上層で、
十九の大神座が集結していた。
それぞれが、現実を歪めるほどの威光を放っている――
……ただ一つを除いて。
かつてケリスが座していた玉座は、
基部から砕け、空虚のまま佇んでいた。
内側から存在そのものが崩壊したかのように。
それは、耐えがたい沈黙の記念碑。
神が一柱、死んだ。
もう一柱は、完全に消された。
そしてそのどちらも――人の手によって。
世界創世以来、起こり得なかった事態。
秩序の神アエルタリスが立ち上がる。
その声は、嵐を鎮める声だった。
「ヴェリリオンは殺された。
ケリスは、永遠に消滅した。
欠片も、残滓もない。
両者は……輪廻の外へ排除された」
玉座の間を、地鳴りのようなざわめきが走る。
生命の女神セラフィーネが眉をひそめ、珍しく声を震わせた。
「アルトゥレオス……」
責めるような声音。
「なぜ、あの小娘から祝福を奪わなかったの?」
力の神アルトゥレオスは、冷たい笑みを浮かべて肩をすくめる。
「気に入っている。強いからな」
その瞳に、制御不能の炎が揺れた。
「だが、あの悪魔に付いた。選択の結果など、私の知ったことではない」
セラフィーネは信じられないという表情で見つめる。
「……彼女のせいで、あなたが死ぬ可能性は考えないの?」
アルトゥレオスは泰然と答えた。
「次の世界周期まで待てばいい。
私は、まだ若い」
秩序を重んじるアエルタリスが、重々しく割って入る。
「静まれ。
語るべきは、真の脅威だ」
戦神テレムが玉座を叩き、天界が揺れた。
「堕ちた神の話など不要だ!
ケリスはもう存在しない。
問題は――奴が何を残したかだ」
誰もが理解していた。
一人の人間。
神性を宿した存在。
ルシアン。
「奴は“正統でない後継者”を生み出した」
テレムは続ける。
「信仰でも、崇拝でも、献身でもない。
そんなものから生まれた半神だ」
アエルタリスの声は、永遠に刻まれるように重かった。
「それこそが最大の問題。
信徒に依存しない存在……それは、死ねない神だ」
玉座が震える。
信仰なき神――
矛盾であり、脅威であり、生きた異端。
原初の炎神イグニヴァルが、低く言葉を添える。
「人間はすでにマナに適応し始めている。
年を追うごとに、我らの祝福にも、脅威にも依存しなくなっている。
もし、その半神を“象徴”や“代替”として見出したなら……」
沈黙が落ちた。
いかなる断罪よりも重い沈黙。
もし人間たちがルシアンを信じ始めたら。
守護者として、正義として、希望として。
無意識にでも――崇め始めたなら。
神々は力を失う。
霊的領域を失う。
支配を失う。
そして――
消え始める。
アエルタリスは、氷のように冷たい声で宣告した。
「阻止せねばならぬ。
その人間……いや、半神が、人類の支点となる前に。
影響が根付く前に、断ち切る」
セラフィーネが躊躇する。
「……殺すの?」
テレムは即答した。
「必要ならば。
神を一柱、手に掛けた存在だ。
堕ちた神の種は、奴の内に生きている。
第二の信仰など、許されぬ」
女神リュリアが指を絡め、冷静に言った。
「急ぐべきね。
人間が理解する前に――
彼が何者なのかを。
彼らを必要としない神性が、すでに彼らの間を歩いていることを」
アエルタリスが立ち上がる。
その存在が、無限を照らした。
「神議会、決定を下す。
――ルシアン・ダグラス・ド・モンドリングを、抹消せよ」
その勅令は、天そのものに刻まれ、
決して破れぬ誓約として燃え上がった。
一つ、また一つと玉座の光が消える。
輝きは退き、
永遠の静寂が戻る。
残されたのは、砕けたケリスの玉座だけ。
動かず。
語らず。
そして、どの神も名付けることを恐れた感情を宿していた。
――恐怖。




