息を奪う沈黙
数日後――
ルシアンは、影の中を彷徨う亡霊のように、アクロポリスの街路を歩いていた。
人々が彼を避けているからではない。
――気づかぬうちに、後ずさっていたのだ。
まるで、身体が原始的な本能に従っているかのように。
音がない。
命の気配がない。
ただ、肌にまとわりつくような、重苦しい沈黙だけがあった。
窓は静かに閉ざされ、
雨戸は、もう一段だけ深く下ろされる。
彼の姿を認めた瞬間、震える手が祈りを結んだ。
それは憎しみではない。
暴力でもない。
――純粋な恐怖だった。
子どもたちは遊ぶのをやめ、年齢に似つかわしくないほど大きく目を見開いたまま動かない。
大人たちは視線を避ける。だが、ふと目が合えば……
その瞳には、隠しきれない怯えが映っていた。
ある者は祈りを呟き、
ある者は胸に太陽の印を描く。
不幸を遠ざけるための、護符のような仕草。
――ヘラルドの預言は、確実に役目を果たしていた。
ルシアンの背後には、アルベルトと三十名のダグラス兵。
黒い甲冑、揃った足並み、風に翻る銀の狼の旗。
それは、明確な警告だった。
公爵に、手出しはさせない。
ダグラス家に、挑ませはしない。
それでも――
その護衛の存在は、主を包む冷たい空気を、わずかも和らげなかった。
彼が通ると、商人たちは声を潜め、
市場の屋台は身を縮める。
首都の常であった喧騒は、少しずつ剥がれ落ち、
やがて残るのは――
石畳に響く、彼の足音だけ。
背を丸めた老人が、離れ際に呟いた。
「……あの方の歩く先には、災厄がついて回るそうだ……」
妻が、アルベルトが反応するより早く、男の腕を掴んで引きずっていった。
ルシアンは、何も言わなかった。
その目は、嵐の前の戦場を見渡す将のように、街を捉えていた。
神殿は、毒を――
正確無比に、行き渡らせていた。
罵声はない。
石も飛ばない。
怒り狂う群衆もいない。
あるのは、距離。
恐怖。
そして、彼の足元に口を開ける虚無。
――神々が、意図して作り出した空白。
北の広場に辿り着いた時、沈黙はあまりにも完全で、
鎧の下で、自分の呼吸音さえはっきりと聞こえた。
公爵は、ほんの一瞬、目を閉じる。
その日、彼は悟ってしまった。
認めたくなかった、真実を。
真の戦いは――
神とではない。
彼が守ると誓った、人々の心との戦い。
そして――
神々が、その名の背後に置いた影との戦いだった。




