『堕ちた神託の怒り』
砕けた光の玉座に座しながら、永遠の神託者ヴェリリオンは、自らの存在が指の間から零れ落ちていくのを感じていた。
幾千億の時を越え、あらゆる生きとし生けるものの運命を見つめてきた彼にとって――
今、この瞬間だけが例外だった。
未来が、見えない。
それは壁だった。
闇で塗り潰された、越えられぬ壁。
彼の賜物――誇りであり、枷でもあったその力は、完全に沈黙していた。
無限の鏡のように澄み切った古き双眸が、天界の虚無に答えを求める。
だが返ってきたのは、ただの沈黙。
そしてその沈黙の中で、神にとって未知の感情が芽生える。
――恐怖。
「……誰だ。神託者に刃向かう者は」
その声は現実の層を打ち砕き、雲なき雷のように諸界へと轟いた。
だが、いかなる幻視も応えない。
真実は、下界にあった。
彼の本質に亀裂が走る。
それは時に蝕まれたのではない。
忘却に喰われていたのだ。
彼を支えてきた信仰――
人が信じ、畏れ、祈ることで生まれる力が、風に散る煙のように消えていく。
神は老いで死なない。
忘れられたときに死ぬ。
ヴェリリオンは感じた。
力が一滴ずつ、血のように失われていくのを。
もし地上へ降りれば、残されたすべてを失う。
それが《法》だった。
――「大地を踏む者は、神であることを失う」
人の世界に降りた神は、ただの肉体。
有限で、脆く、殺され得る存在。
それでも――
この異常は、排除せねばならない。
神託者は次元の帳を引き裂き、捕食者の眼で人類を見渡した。
影を、血脈を、魂を嗅ぎ分け――
そして、見つける。
ルシアン・ダグラス。
定命の公爵。
運命の書に名を持たぬ存在。
それでも未来にしがみつく、消されることを拒む誤差。
ヴェリリオンは天より黒き予言を放った。
破滅の兆し。
神の告発。
彼を孤立へと追い込む断罪の言葉。
神殿はそれを復唱し、
貴族たちは囁き、
高位司祭たちは災厄を宣告した。
砕けた水晶のように力を失い、永遠そのものが軋む中で、ヴェリリオンは悟る。
――降りねばならない。
神の瞳に宿ったのは、
本来、神が知るはずのない恐怖に染まった怒り。
神は異常を、自らの手で裁く。
だが――
待ち構える者がいた。
堕ちた神、ケリス。
その暗く古い眼は、神託者よりも先に、この未来を見ていた。
罠はすでに完成している。
現実と神域の狭間で。
ヴェリリオンの降臨は、狩りではない。
判決となる。
地上で――
彼を裁くと定められた男は、まだ知らない。
神が、すでにその名を口にしたことを。
ルシアンがカルパティアの都へ足を踏み入れる頃、
虚偽と中傷は、毒を帯びた影のように背後から広がっていた。




