影、介入す(ラ・ソンブラ・インテルビエネ)
エミリーはルシアンへと振り返った。
無力さに滲む涙が、瞳に溜まっている。
「ル・シ・ア・ン!!
何かしなきゃ……全員死ぬ! 全員よ!!」
その時、ルシアンは――ついに、ため息をついた。
長く、諦めきった溜息。
物語が、自分の望み以上のものを要求していると悟った者のように。
「……くそったれ」
彼は低く呟き、手を上げた。
指先を包む影が蠢き始める。
生きた墨のように、黒く、濃く。
ダヤナは笑みを浮かべ、
エミリーは安堵の息を吐き、
エリザベスはマナを張り詰めさせ、
サンダーは地面を蹴り、雷を迸らせた。
ルシアンは指を鳴らす。
「行くぞ」
影が――戦場へと落ちた。
介入は、すでに始まっていた。
巨鹿が頭を低く構え、空気が軋む。
紫のエネルギーが角を走り、穢れた雷の弧を描く。
「退け」
低く唸る。
「さもなくば、枯葉のように死ぬ」
返答を待たず、突進。
地面が爆ぜた。
三人のエルフが幹へと叩き飛ばされる。
一人は起き上がらなかった。背骨が、ありえない角度に折れていた。
グリセラが叫ぶ。
「抑えろ! 弓陣形! 弓だ!」
だが――もう遅い。
獣は、すでに彼らの中にいた。
前脚が振り下ろされる。
鉄槌のような一撃。
弓兵が地面に叩き潰され、湿った破裂音が森に響いた。
巨鹿は死体を持ち上げ――
噛み砕いた。
まるで、エルフのマナを喰らうことで力を得るかのように。
……そして、それは事実だった。
オーラが膨れ上がり、
穢れた根が蠢き出す。
グリセラは一歩退いた。
震えを抑えられない。
「これは……森の守護者じゃない」
恐怖に掠れた声で呟く。
「奪う者……簒奪者よ」
高みから、ルシアンが枝を降りる。
悠然と。
エミリーはすでに光を展開していた。
ダヤナは牙を剥き、血の匂いに昂る。
エリザベスは魔族のマナを解き放つ。
空気が震えた。
ルシアンは声を荒げることなく告げる。
「あの化け物は《コラプト・セルヴス・アルファ》。
レベル97。
そして――メインスキルは、もう発動している」
獣が地を踏み鳴らす。
黒い、生きた根が地面から噴き出し、エルフたちの脚に絡みついた。
一人が叫び、地中へ引きずり込まれる。
鈍い軋み音。
叫びは、そこで終わった。
サンダーが怒り狂って地を蹴る。
エミリーは、もう泣いていた。
「ルシアン!! 何かして!!」
ルシアンは手を開く。
影が渦を巻く。
だが、攻撃する前に――獣が再び語った。
「ここは、もはやお前たちの家ではない……
今は、私のものだ。
捧げられた血と……奪った血によって」
グリセラは再び弓を引き絞る。
怒りと悲しみで、瞳が燃えていた。
「怪物!!
森が、お前を受け入れるはずがない!!」
獣は、彼女を見た。
「――すでに、受け入れた」
左の角が、暗黒の輝きを放つ。
空間が震えた。
エミリーが一歩前に出る。
光が彼女を包む。
「ルシアン!!
もう時間がない!!」
彼は舌打ちした。
「ああ、ああ。
分かってる」
エリザベスが驚いたように見る。
「……弱点を知ってるの?」
「知ってる」
ルシアンは即答した。
「旧パッチのオプションボスだ。
ここで死んだプレイヤーは多い」
ダヤナが笑う。
「で? 弱点は?」
ルシアンは角を指差した。
「セルヴス・アルファは、魔力をすべて角で制御している。
一本でも折れれば――
《狂痛状態》に移行する。
再生能力は、そこで切れる」
エミリーは目を見開いた。
「でも……あんな巨大な角、どうやって?」
答えは――簡単だった。
「サンダーで」
雷馬が嘶き、稲妻が爆ぜる。
嵐そのもののような毛並みが輝いた。
「エミリー」
ルシアンは命じる。
「援護しろ。
エリザベス、根を無力化。
ダヤナ、近くにいろ。倒れたら回収。誰も吸うな」
ダヤナが鼻を鳴らす。
「つまらない命令ね」
ルシアンは影の外套を整えた。
「行くぞ」
サンダーが雷となって駆け出す。
その背に、ルシアン。
闇の渦を纏って。
巨鹿が咆哮し、角から紫の光線を放った。
エミリーが光を展開する。
「《暁の祝福》!!」
光線は盾に衝突し――
光が軋み――
硝子のように、砕け散った。
エミリーは膝をつく。
鼻から血が流れる。
だが――十分だった。
サンダーが側面へ跳ぶ。
ルシアンは跳躍し、手に純粋な闇を集めた。
「――砕けろ」
拳が、角を打つ。
轟音が森を引き裂いた。
角が、折れた。
獣は絶叫する。
あまりにも深い苦痛に、木々すら震えた。
「今だ!!
弱体化した!!」
ルシアンが叫ぶ。
エリザベスが魔族のマナの鎖を放ち、脚を拘束。
ダヤナは根の間を駆け、エルフを狙う蔦を断ち切る。
エミリーは光を広げ、矢を失ったグリセラを守った。
獣は盲目的に暴れ回る。
一撃一撃は凄まじいが、もはや狙いはない。
四十メートル級の大樹が、葦のように折れた。
ルシアンは両手に影を集める。
「影術・絶対遮断――《リンクブレイカー》」
空間に、黒い亀裂が生じた。
ルシアンはそれを、獣の首へと導く。
獣は抗おうとした。
だが――角を失った今、
その運命は決まっていた。
闇の刃が、肉と樹皮と穢れを断ち裂く。
巨鹿は膝をついた。
大地が震える。
死の間際、獣は呟いた。
「……彼が……来る……」
そして――崩れ落ちた。




