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堕ちた竜と罠の始まり

太陽がようやく雲の隙間から差し込み始めた頃、

一行は帝国の首都へと続く街道を進んでいた。


乾いた大地が馬車の車輪と馬の蹄の下で舞い上がり、

終わりの見えない旅路の埃となって空に溶けていく。


――だが、何かがおかしい。


最初にそれを感じ取ったのは、ルシアンだった。

空気が重い。

腐敗したマナで満ちている。


風が運んでくるのは、鉄のような匂い。

――古い血の臭いだ。


四人の英雄たちは前方で隊列を組み、

兵士と民間人を守る盾となって進んでいた。


「……何かが待ち構えている」


ルシアンは低く呟き、

愛剣ダインスレインの柄を強く握る。


その影が彼の身体に折り重なり、

あらゆる脅威を喰らう準備を整えていた。


最初の警告は、

大地を震わせる咆哮として訪れた。


「ドラゴンだ!」

アレハンドロが叫ぶ。

「だが……普通の竜じゃない!」


木々を薙ぎ倒すようにして現れたその巨体は、

夜そのものを鍛え上げたかのような黒い鱗に覆われていた。


口腔から溢れるのは、

魔力ではない。

――悪魔のマナ。


それは距離があっても肌を焼くほどの、

歪んだ熱を放っていた。


翼が一度羽ばたくたびに、

土煙と腐敗したエネルギーが巻き上がる。


カラとレオナルドが即座に反応する。

炎と雷が空中で交差し、

ドラゴンは咆哮とともにそれらを弾き返し、

堕ちた炎を地面へと吐き出した。


エミリーは光の結界を展開し、

正面からの一撃を受け止め、民間人を守る。


――凝縮された混沌。


四人の英雄 VS 悪魔のマナで強化された竜。


だが、敵はそれだけではなかった。


周囲の森から、

次々と歪んだ影が這い出てくる。


半分は人間、

半分は獣。


全身に悪魔のエネルギーを宿した、

腐敗した魔物の群れ。


病的な赤い眼を光らせ、

キャラバンへと雪崩れ込む。


兵士たちは必死に防衛線を張ろうとしたが、

速すぎる。

多すぎる。


剣の一撃も、魔法の一閃も、

ただ足止めにしかならなかった。


「エリザベス王女を守れ――!」


英雄たちは連携を待たず、

本能のままに戦い始める。


それぞれが、

自分なりのやり方で守り、

叩き潰す。


だが、それでも――

押され始めていた。


土埃と黒い魔力が混ざり合い、

視界そのものが歪んでいく。


そして――


世界が、止まった。


空気が冷える。

重く、圧縮されたかのように。


大地が脈打つ。

それは、人の世界の鼓動ではない。


兵士たちは動きを止め、

民間人は息を呑んだ。


遠方で、

影が木々の上に立ち上がる。


人型でありながら、

放たれるエネルギーの密度によって、

その姿は巨人のように見えた。


一歩進むごとに地面が震え、

身振り一つで光と空気が歪む。


――ヴァール=ズル。


悪魔が、現れた。


黒曜石のように赤黒い双眸が、

戦場を静かに見渡す。


堕ちた竜も、腐敗した群れも、

本能的に道を開いた。


主の前では、

すべてが膝を折る。


墓場のような沈黙が降りる。

竜の唸りと、大地の軋みだけが残った。


ルシアンは身構えた。

隣には、アンバー。


(……偽りの世界では何度も戦った)

(だが、ここでは――一度の失敗で終わりだ)


彼を包む影が生き物のように広がり、

空気そのものが、彼らに屈したかのようだった。


――これは、ただの戦闘ではない。

ここまでのすべては、前座にすぎない。


ヴァール=ズルが一歩踏み出す。


世界が、縮んだように感じられた。


「今日、姫の運命は書き換えられる」


悪魔が、低く唸る。


その瞬間、

真の待ち伏せが始まった。


堕ちた竜が咆哮し、突進する。

腐敗した魔物たちが殺到する。


その中心で、

ルシアンとアンバーは構えた。


――人類で、

正面からこの存在を見て生き残った者はいない。


キャラバンの土埃と、

ヴァール=ズルから溢れる黒い魔力が混ざり合う。


二メートルに満たない人型の身体。

だが、その周囲を覆う悪魔のマナの密度は、

彼を巨像に見せていた。


魔核が脈打つたび、

現実が歪む。


敵ではない。

――世界への侵入だ。


「道を空けろ、虫けらが」


月のない夜のように黒い瞳が、

静かにキャラバンを見渡す。


探している。


ルシアンは、それを感じた。


――エリザベス。

魔王妃の“器”。


「……俺が息をしている限り、させない」


剣を握る手に、力が込もる。


隣でアンバーが身を低くした。

ソフィアの死以来、

彼は一度もルシアンから離れなかった。


命令されても、だ。


喉ではない。

マナそのものが唸るような、低い咆哮。


ヴァール=ズルは、

面倒そうに腕を振った。


それだけで――


黒い嵐のような衝撃波が生まれ、

キャラバンを貫いた。


ルシアンは、振り向くのがやっとだった。

ゲームの中で、この悪魔とは何百回も戦ってきた。動きも、癖も、すべて身体が覚えている。

圧倒的な力を持つ相手――だが、その一撃一撃には、必ず“隙”があった。


「――今だ!」


ウンバーが正面に躍り出て、側面から突撃する。

だが悪魔は、魔力そのもので衝撃を吸収した。それでもなお、解き放たれたエネルギーによって地面はひび割れる。


ルシアンは左から斬りかかった。

悪魔の核から放たれる、焼けつくような冷気を感じながら。


闇のマナを纏った剣は、正確に空を切り裂く――しかし、止められた。


悪魔の腕からマナが噴き出し、生き物のように伸び、肉体の延長として流動する障壁を形成する。刃は弾かれ、剣を伝う震動が、相手が人知を超えた存在であることを突きつけてきた。


それでも、ルシアンは迷わない。


距離を活かし、闇のマナを実体化。

無数の黒い棘が、生きた槍のように高速で襲いかかる――それでも、悪魔は無傷だった。


間を置かず、追撃。

正確無比な三連撃。狙いは右肩。


悪魔が唸る。


ルシアンは“感じた”。

空気そのものに走る違和感――力の装甲に生じた、ほんの一瞬の亀裂。


短く。

だが、確かに“あった”。


ウンバーは命令を待たない。

完璧な軌道で跳躍し、闇の渦を解き放つ。悪魔は両腕で防御せざるを得なかった。


その一瞬。


ルシアンは獣のように滑り込み、剣と身体を一直線に整える。


「――影突き……完全。」


刃は防御を貫いた。

悪魔が後退する。核が、初めて不安定に脈打った。


内部から、血を流している。


――血を流すなら、殺せる。


「貴様らぁぁッ!!」


激昂したヴァル=ズールが両手を広げ、マナの弾幕を炸裂させる。

空気が金属の悲鳴のような音を立てて軋む。


ウンバーが躊躇なく前に出た。

最も凶悪な衝撃を、その身で受け止める。


ルシアンは数歩退いた。

範囲攻撃は凄まじかったが、ウンバーと《エーテリオン》の防御により、立っていられた。


――それでも、血を吐く。


遠くで、エリザベスの叫び声が聞こえた。


(……簡単じゃないな)


ウンバーを見る。

思念だけで、攻撃を命じる。


同時に、ダインスレイヴへ全魔力を注ぎ込む。

闇が、刃の隅々まで満ちていく。


「――闇断……上位。」


外科手術のような一撃。

正確に、揺らぐ核へ。


ヴァル=ズールがよろめいた。


心臓を共有しているかのような連携で、ウンバーが背中に増幅された闇の封印を叩き込む。


ついに、核が露わになった。

鼓動する、無防備な弱点。


ルシアンは見据える。


――ここからが、本当の戦いだ。


悪魔は破壊の呪文を連打する。

一撃一撃が、人間なら瞬時に消し飛ぶ威力。


ルシアンは、ぎりぎりで回避し続ける。

熱と圧力が、身体を引き裂こうとする。


決定的だったのは、ウンバーの存在。


攻撃し、かわし、挑発する。

悪魔の意識を分断し続けた。


もしヴァル=ズールが、すべての力をルシアン一人に向けていたなら――

彼は、とうに倒れていた。


ウンバーが作り出した隙。

そこに、闇を凝縮した一撃を叩き込む。


防御が、少しずつ崩れていく。


悪魔には、絶対の法則がある。

器――肉体を破壊すれば、魂は魔界へ強制送還される。


殺す必要はない。

壊せばいい。


ルシアンは知っていた。

血を口元に滲ませながら、獰猛に笑う。


「完全に倒せなくても……今日は、お前をぶちのめす」


ヴァル=ズールが狂ったように魔力を噴き上げる。

最後の大爆発。大地が震え、空が裂ける。


「下がれッ!」


だが、ルシアンは前へ走った。

防ぐためじゃない――貫くために。


ウンバーは命令を聞かなかった。

本能のまま、最も致命的な破片を迎え撃つ。


そして――


……悪魔の、掠れた声。


それは叫びではない。

一瞬で消えた、絶望の囁き。


剣が核を貫いた。


爆発は凄まじかったが、どこか“抑えられて”いた。

まるで、闇そのものが終焉を受け入れたかのように。


谷が、息を呑む。


遠くで雷光が走る。

後方から、エリザベスの雷撃が残留する魔力を完全に消し去った。


逃走も、再生もない。


ルシアンは剣を地面に突き立てた。

傷ついたウンバーが寄り添う。


力ではない。

精度だ。

意志だ。


腐敗した竜の最後の咆哮が、煙の中に溶けていく。

ルシアンは岩にもたれ、荒い息をついた。剣はまだ、闇のマナを帯びている。


エリザベスが膝をつき、そっと彼の唇の血を拭った。


「……無茶よ」

震える声で囁く。

「そんな戦い、続けられるはずがない」


すぐにエミリーが駆け寄り、肩を掴む。


「ルシアン!」

「本当に……無茶しすぎよ!」


「大丈夫だ」

静かに答える。

「問題ない……いや、それ以上だ」


少し離れた場所で、アレハンドロとレオナルドが駆けつけた。

怒りと疲労で顔を赤くしている。


「どこに行ってたッ!?」

アレハンドロが怒鳴る。

「俺たちがドラゴンと戦ってる間に!」


レオナルドが、低い声で続けた。


「やり方が気に入らない」

ルシアンにだけ聞こえる声で。

「お前が独断で守ろうとするたびに、誰かが代償を払う」


露骨な脅しではない。

だが、確かな敵意。


ルシアンは何も言わなかった。


そのとき、カラが現れる。

民間人を守りながら戦ってきた彼女は、息を切らしていた。


「――もういい!」


アレハンドロとレオナルドを睨む。


「見てなかったの?」

「ルシアンは、ただの魔物と戦ってたんじゃない。人間には想像もできない“悪魔”よ」


「彼は、キャラバンだけじゃない」

鋭い口調で続ける。

「私たち全員を守っていた。文句は、引っ込めなさい」


エリザベスは跪いたまま、ルシアンを見つめていた。

誇りを隠しきれない静かな視線。


エミリーが彼を抱きしめるのを見て、ほんの一瞬――

嫉妬が、その瞳をよぎる。


「……皆、勇敢よ」

毅然と告げる。

「でも、不可能を背負う者を裁かないで」


「ルシアンは、承認を求めていない」

「……やるべきことを、やっただけ」


視線を逸らさぬまま、一歩下がる。

エミリーの距離の近さに、胸が刺されるように痛む。


それでも、何も言わなかった。


誇りが、それを許さなかった。


ただ、静かに見つめていた。

尊敬と、不安と、抑えきれない想いを胸に。

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