光の中を歩く公爵
夜明けの光が、
アクロポリス王宮の城壁を黄金色に染めていた。
中央広場には、王国とダグラス公爵領の旗章で飾られた王家の馬車が待機している。
その中で、帝国遠征軍の指揮官に任命されたエリザベス王女は、威厳を保ちながら静かに腰を落ち着けていた。
自分に課せられた使命の重さを、彼女ははっきりと理解していた。
その傍らに立つのは、
ルシアン・ダグラス。
揺るがぬ姿勢。
王女付きの近衛として、彼は一歩も離れなかった。
若き公爵が自ら護衛を申し出たとき、
フィリップ王は一瞬驚いたものの、すぐに快く了承した。
――ルシアンが共にいるなら、
いかなる脅威も王女に触れることはできない。
そう、王は確信していた。
馬車の後方では、部隊が整然と進軍の準備を整えていた。
ダグラス公爵領から三百の戦士と二百の魔導士。
王国軍三千名と合流し、
さらに――
四人の英雄、
アレハンドロ、レオナルド、カラ、そしてエミリー。
その背後には、
光・雷・大地・炎の神殿から派遣された千名の聖騎士と狂信者たち。
総勢四千を超える軍勢が、
あらゆる脅威に立ち向かう覚悟で集結していた。
馬車が、ゆっくりと動き出す。
ルシアンと選び抜かれた精鋭たちが、その周囲を固める。
エミリーは、
どうしてもルシアンから目を離せなかった。
一歩一歩に迷いがなく、
圧倒的な存在感で進軍全体を支配している。
光の勇者として、
王国を守ると誓ったはずの彼女の胸に、
昨夜、彼が囁いた言葉が蘇る。
――「何も起こさせない」
背筋に、冷たいものが走った。
その誓いが、
今や帝国にまで及び、
しかも――エリザベスが、彼と共にいる。
馬車の中で、
エリザベス王女は落ち着いた微笑みで民に手を振っていた。
自分を護衛する男が、
彼女を守るためなら世界すら喰らい尽くす覚悟を持っているなど、
知る由もなく。
エミリーは見てしまった。
ルシアンの視線が、
一瞬だけエリザベスに向けられるのを。
冷静で、計算された――
そして、過剰なほどに守る者の目。
胸の奥に、
小さな不安が灯る。
――彼は、私のためにここにいるの?
――それとも……王女のため?
問いは、口にできなかった。
今ではない。
未知へ向かう軍勢の中では、なおさら。
四人の英雄は彼と並んで歩く。
それぞれが沈黙を抱え、
それぞれが恐れと信念を胸に秘めて。
この道はもはや、
公爵領や王国のものではない。
帝国の命運を決める、
戦争への道だった。
エミリーはマントを整え、深く息を吸う。
胸にあるのは、
ルシアンが近くにいる安堵。
迫り来る危険への恐怖。
そして――答えを得られない嫉妬。
彼女は知っていた。
自分の務めは、彼と共にあること。
だが同時に、
愛する男が危険へ踏み込み、
その男が、
別の女性を命がけで守っていることも。
ルシアンは、
彼女の視線に気づいたのか、
ほんの一瞬だけ顔を向けた。
エミリーは、すぐに目を逸らす。
彼は語れない。
彼女も、問えない。
沈黙は、
暗黙の契約となった。
感じていいことと、
無視すべきことの境界線。
馬車の中で、
エリザベスはルシアンを見上げ、
そしてエミリーにも微笑みかける。
張り詰めた空気など、
感じ取ることもなく。
ルシアンは顎を引き締め、
思考を一つに集中させた。
――王女を、守る。
周囲では、
王国と公爵領の軍が完璧に連携し、
止められぬ戦力として動いている。
だが、
彼の中で最も危険な戦争は――
帝国の戦場ではなかった。
忠誠。
愛。
そして、
何者にもエリザベスを触れさせないという誓い。
そのすべてが、
彼の心の中で激しく衝突していた。
こうして――
朝の陽光の下、
無数の視線に見送られながら、
遠征軍は帝国へ向けて進み始めた。
エミリーは感じていた。
ルシアンがそばにいるという確かな安心と、
彼の心がすでに選んだ“真実”に、
自分の心が耐えられるのかという恐怖を。
その二つの間で、
彼女の世界は、静かに揺れていた。




