表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
170/183

月の誓約(つきのせいやく)

黄昏が、公爵領の城壁を包み込んでいた。

空にはまだ、輝く亀裂が残り、すべてを破壊した戦いの痕跡を映し出している。


ルシアンは、母の墓を囲む庭園を、重い足取りで歩いていた。

視線は遠くに向けられたまま、記憶と誓いの狭間に沈んでいる。


静かに、足音も立てず、

エリザベスが石の回廊を進んできた。


いつもは揺るがぬ柱のようだった彼の姿。

だが今は違う。


喪に押し曲げられ、

疲労の影を肌にまとったその背中を見た瞬間、

彼女の胸が、きしりと音を立てた。


「ルシアン……」


わずかに震える声。


「お城中、探していたのよ……」


彼が顔を上げる。

その瞬間――

新たな“恐怖”が、胸の奥で目を覚ました。


エリザベス。

彼に残された、ただ一人。

失うことを、決して許されない存在。


――もう一つの人生の断片が、脳裏をよぎる。

――悪魔教団。

――魔王。

――器として求められた、“完璧な肉体”。


彼女が、捕らえられ、

侵され、

内側から壊される光景が――


全身を震わせた。

そして、怒りが煮え立つ。


「エリザベス……」


声は掠れ、砕け、

言葉にならない恐怖を孕んでいた。


「……もし、もし君を失ったら……

 俺が、どうなるか……分からない……」


彼女は、困ったように眉をひそめ、

その苦しみを理解できぬまま、

そっと彼の手を取った。


「失う……?」

「ルシアン、愛しい人……大丈夫よ。

 何も起きない。全部、うまくいくわ」


だが――

違う。


何も、良くなどなかった。


ルシアンは目を閉じ、

呼吸を押し殺す。


母はもういない。

この世界から、あまりにも残酷な形で奪われた。


――次は、エリザベスか?

――また、守れなかったら?


……否。


二度と。

息が続く限り、決して。


筋肉が強張り、

胸を、暗い奔流が駆け抜ける。


彼は彼女を、強く抱きしめた。

それは、縋るようで、

ほとんど絶望に近い力だった。


彼女の首元に顔を埋めながら、

炎のような誓いが、心に刻まれる。


――誰かが……

――君に触れようとするなら……

――傷つけるなら……


すべて、滅ぼす。

教団の穢れも、

その化け物どもも、

一人残らず。


誰にも……

誰にも、触れさせない。

エリザベス――。


やがて、声がこぼれ落ちた。

それは恐怖ではない。

鋼のように鍛え上げられた、決意だった。


「……君に、何も起こさせない」


言葉の重さを、彼女はすべて理解してはいない。

それでも、彼女は額を寄せ、

信じるように、やさしく微笑んだ。


「ルシアン……

 何があっても、私はあなたと一緒よ。

 誰にも、引き離せないわ」


彼は、その瞳を見つめた。


そこには、

この世界に彼を繋ぎ止める“錨”があった。


――奪わせない。

――決して。


その瞬間、

彼の心は、剣の刃のように明確な誓いを刻む。


守る。

あるいは――

彼女を傷つけようとしたすべてを、道連れにして死ぬ。


彼女の静けさは、彼の外側を鎮めていた。

だが内側では、

暗く、広大な何かが、なお成長を続けている。


深い炎。

底なしの憎悪。


この深淵へと彼を突き落とした者たちへ。

そして――

再び、それを繰り返そうとする者たちへ。


「……いつも……

 私は、あなたのところに戻るわ」


無邪気な微笑み。

その“いつも”が、どれほど重いかも知らずに。


ルシアンは、彼女を胸に抱き寄せた。

それは、言葉を超えた封印。


――悪魔教団にも、

――神々にも、

彼女には、指一本触れさせない。


決して。


その決意は、

恐怖よりも強く、

運命よりも重く、

死そのものよりも、深く――

彼の魂に刻まれた。


――その日、月は目撃した。

いかなる神も、立ち会うことを恐れた瞬間を。


教団を滅ぼす災厄の誕生を。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ