公爵領の獅子の葬送(こうしゃくりょうのししのそうそう)
公爵領全土の人々が、中央広場に集まっていた。
そこは今、厳粛なる喪の舞台へと姿を変えている。
空気には香と灰の匂いが混じり、
旗は音もなく揺れていた――まるで風さえも、敬意を払って沈黙しているかのように。
黒と金で彩られた高壇の上。
そこに横たわっていたのは、
ソフィア・ダグラス・オブ・モンドリングの亡骸だった。
公爵家とその血統の紋章が刺繍された外套に包まれ、
彼女は、まるで眠っているかのように静かだった。
ルシアンはその傍らに立ち、微動だにしない。
目は赤く充血し、顎は固く噛みしめられている。
この一週間、彼は眠ることを拒んだ。
夜明け前に起き、
空を殴り、訓練用の人形を殴り、
意識を失れるまで、剣を振り続けた。
毎日が同じ循環だった。
鍛え、倒れ、立ち上がり、また鍛える。
悲しみは力へ。
怒りは規律へ。
エミリーは彼の近くにいた。
沈黙したまま、
彼の外套を持ち、
埃と血にまみれたその手を支えながら、
視線を向けることすら、ためらっていた。
近衛隊長アルベルトが、棺の前に跪く。
屈強な顔に、涙が筋を描いていた。
震える声が、群衆の中に響く。
「我が主よ……」
「この命に代えても、ルシアン様をお守りすると、ここに誓います……」
少し離れた場所で、王国の女王アデラインが、威厳を保ったまま頭を垂れていた。
その隣には、王女エリザベス。
彼女は震える手を、ルシアンの肩にそっと置いていた。
秘められた想いと、抑え込んだ悲しみを、その小さな手に宿しながら。
アデラは、師の前に膝をつき、静かに泣いた。
その誓いは、ほとんど聞き取れないほどの囁きだった。
「……誓います。
ルシアン様を、お守りします……
師よ……必ず……裏切りません……
この命に代えても……」
整然と並ぶ公爵領の貴族たちが、一斉に頭を下げる。
彼らは皆、生涯をかけてこの地を守り導いた女へ、最大の敬意を捧げていた。
剣と勲章が、鈍い陽光を反射する。
まるで世界そのものが、この喪失の重さを理解しているかのようだった。
沈黙。
聞こえるのは、司祭たちの詠唱と、堪えきれぬ嗚咽だけ。
一つ一つの視線、
一滴一滴の涙が、
ソフィアが残した“空白”の大きさを物語っていた。
その日――
涙と敬意に包まれる公爵領の人々とは対照的に、
招かれた勇者たちは、どこか距離を置いていた。
アレハンドロとレオナルド。
彼らは、理由は分からぬまま、悲しみを共有していなかった。
むしろ、わずかな満足すら、その瞳に宿していた。
ただ一人、カラだけが違った。
彼女は棺の前に跪き、深く頭を下げる。
喉に詰まった感情を抑えながら、
心からの弔意を捧げていた。
やがて、
ソフィアの遺体は、ダグラス家の祖霊廟へと運ばれた。
儀式は終わり、
嘆きは静まり、
公爵領は、ゆっくりと日常へ戻っていく。
だが――
ルシアンだけは、動かなかった。
彼の内側では、
誰にも消せない復讐の誓いが、静かに燃えていた。
霊廟を後にしようとしたとき、
彼は目にした。
雷の勇者レオナルドが、イザベラと話している。
だが、彼女は聞いていなかった。
その視線は、
最初からずっと、ルシアンだけを見つめていた。
世界が消えたかのように。
ルシアンが歩み寄る。
言葉を発する前に、レオナルドが怒鳴った。
「公爵! イザベラを解放しろ!」
――言い終える前だった。
空気が消えたかのような速さで、
ルシアンは剣を抜いた。
純粋なマナを纏った刃が、
一直線にレオナルドの喉元へ。
もし雷神殿の司祭が割り込まなければ、
彼の首は、すでに胴体と別れていただろう。
あまりに速く、
レオナルドは、何が起きたのか理解すらできなかった。
司祭が、怒りと緊張を含んだ声で叫ぶ。
「公爵! これはどういうつもりだ!」
ルシアンの視線は、氷のように冷たい。
「……ここが、どこか分かっているか?」
「ダ、ダグラス公爵領だ……!」
「――なら、なぜ俺の領地で、俺に怒鳴る?」
言葉一つ一つが、剣より鋭かった。
空気が張り詰める。
星雲すら、息を止めたかのようだった。
誰もが理解した。
彼はもう、母を失って泣く少年ではない。
――公爵であり、戦士であり、
そして、無視できぬ“敵”だった。
イザベラは視線を逸らさない。
その瞳にあるのは恐怖ではない。
痛みと、覚悟。
レオナルドは唾を飲み込む。
いつもの傲慢な笑みは消え去っていた。
彼の前にいるのは、
もはや知っている公爵ではない。
悲しみが、純粋な怒りへと変質した男。
そして、今や――
ルールを決める側の存在。
「公爵!」
「こんなことが許されると思うのか! 彼女は――」
ルシアンの声が、抑え込まれた雷鳴のように響く。
「ここは俺の領地だ。
ここは俺の民だ」
そして、イザベラへと視線を向ける。
「――彼女は、自分で決める。
ここで俺に命令できる者はいない」
レオナルドはイザベラを見る。
「選べ、イザベラ!
俺と来い!
俺は雷神に選ばれた勇者だ! 守れる!」
イザベラは、ルシアンから目を離さない。
静かで、
だが揺るがぬ声。
「……私は、我が主と共にいます」
レオナルドの心に、怒りが燃え上がる。
警告を無視し、彼女に手を伸ばした――
その瞬間。
数百の剣が、一斉に抜かれた。
公爵領の貴族と戦士たちが前に出る。
鋼とマナの壁。
一歩も通さぬ、死の防壁。
それは、ルシアンだけでなく、
イザベラの“意思”を守るための剣だった。
司祭が慌てて両手を上げる。
「勇者! やめろ! 今は――」
だが、レオナルドは盲目だった。
神に選ばれたという驕り。
その視線が、剣の列をなぞる。
――そして、気づく。
彼らは、ただの人間ではない。
限界を越えた公爵と、
その意思を許さぬ、公爵領そのものだと。
イザベラは、ルシアンの隣に立つ。
その存在が、すでに答えだった。
「分かっていないな」
ルシアンは、剣を向けたまま言う。
「ここでは、誰が守るか、誰が生きるかを決める。
雷の勇者……
お前は、俺の領地を踏んだ」
レオナルドは言葉を失う。
戦いたい衝動と、
場を満たすマナと怒りと喪の重圧が、彼を縛った。
時が止まったかのようだった。
公爵領。
砕けた空。
沈黙する風。
すべてが見つめていた。
ルシアンと、その隣に立つイザベラを中心に――
もはや、いかなる勇者も、
雷神に選ばれし者でさえ、
軽々しく挑めぬ力が生まれていた。
「よく聞け」
一言一言が、鉄槌だった。
「俺が立っている限り、
誰もイザベラに触れさせない。
もし触れたなら――
最後の息まで、後悔させてやる」
沈黙。
イザベラは動かない。
レオナルドは視線を落とした。
その瞬間、誰の目にも明らかだった。
――神に選ばれた勇者よりも、
ここで真の権威を持つ者が、誰なのかが。




