『それは戦略じゃない――家族だ』
ルシアンが野営地で地図と作戦案を確認していた、まさにその時。
伝令が駆け込んできた。
白い布に包まれ、丁寧に封印された包みを差し出し、彼は深く頭を下げる。
「ルシアン様……こちらは、お母上――ソフィア公爵夫人からの誕生日の贈り物です。それと……公国からの急報も」
震える声に、ただならぬ気配が滲んでいた。
ルシアンは包みを開き、中に入っていた私的な品を目にする。
心を込めて選ばれたそれに、思わず口元が緩んだ。
「ありがとう……」
小さく、ほとんど独り言のように呟く。
「母さんは、いつだって僕を特別扱いするんだ」
だが――
続く報告を聞いた瞬間、その笑みは消え去った。
ルシアンは背筋を伸ばし、視線を鋭くする。
「……公国で、何が起きている?」
言葉一つ一つに、抑えきれない不安が宿る。
伝令は唾を飲み込み、事の次第を語った。
防衛都市への襲撃。
潜伏していたカルト信徒。
悪魔の介入。
そして――ソフィアが首都で指揮を執り、最前線に立っていること。
話を聞き終えるや否や、ルシアンは勢いよく立ち上がった。
ソフィアからの贈り物を机に残したまま、瞳には強い決意が宿る。
「全員、準備を整えろ」
部下たちに命じる声は、迷いがなかった。
「公国へ戻る」
その瞬間、アレハンドロとレオナルドが現れ、部隊が動き出す様子を見て足を止めた。
「……何が起きてる?」
アレハンドロが、明らかな動揺を浮かべて問いかける。
「まさか、王国の作戦を放棄する気か?」
レオナルドは苛立ちを隠そうともしなかった。
ルシアンは一度深く息を吸い、ソフィアの包みを届けた伝令を指し示す。
「母上――ソフィア公爵夫人からの報告だ」
低く、しかし揺るぎない声。
「近隣の村で悪魔のルーンが起動。信徒が内部に潜伏し、マナ結界は弱体化。
異常なレベル帯の魔物の大群が、首都を狙って進軍している」
英雄たちは言葉を失い、互いに視線を交わした。
事態の深刻さは、誰の目にも明らかだった。
「それでも行くつもりか!」
アレハンドロが声を荒げる。
「公国は守れる! だが今は、他にも救うべき命があるだろう!
無関係な人々を見捨ててまで――」
ルシアンは、静かに彼を見返した。
そこにいたのは、若き貴族ではない。
自らの責任を理解した、一人の統治者だった。
「よく聞け」
言葉を区切り、確実に心へ届かせる。
「俺は、ここではただの指揮官じゃない。
――ダグラス公国の当主、ルシアン・ダグラスだ。
俺の最優先は、俺の土地、俺の民……そして、家族だ」
一拍置いて、続ける。
「王国の作戦は、俺がいなくても続けられる。
だが、公国が滅びれば――守るべきものは、何一つ残らない」
アレハンドロは歯を食いしばり、それ以上は言い返さなかった。
レオナルドも深く息を吐き、これ以上の議論が無意味だと悟る。
そのとき、エミリーが前に出た。
真剣な表情、その瞳には強い意志が宿っている。
「私も行くわ」
迷いのない声。
「治癒魔法で、きっと力になれる」
続いて、夕風に外套を揺らしながらカラが現れた。
ルシアンの前で軽く頭を下げ、静かに告げる。
「武運を。必要なら、すぐに連絡を」
ルシアンは一つ頷くと、兵を集めた。
数百の精鋭――ロード級、マギステル級。
最強の騎兵部隊と、支援魔術部隊。
野営地を後にするその足音一つ一つが、決意と覚悟を刻んでいく。
その背を、アレハンドロとレオナルドは黙って見送った。
怒り、苛立ち、そして――否定しきれない理解。
戦略と情、義務と血縁。
その狭間に揺れる緊張が、重く空気に漂っていた。




