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勝利の灰(しょうりのはい)

戦いの後に訪れた沈黙は、決して平和ではなかった。

それは――崩壊だった。


瓦礫の中では、なおも炎がくすぶっていた。空気中に過剰なマナが漂い、火は青みを帯びて揺れている。倒れた魔物たちは、穢れた霧のように音もなく蒸発し続けていた。

市民たちは廃墟の中を歩き回り、名前を探し、遺体を探し……そして、わずかな希望を探していた。


エミリーは広場の中央に立ち尽くし、荒い息を吐いていた。

神の祝福は一時的にマナを安定させたが、その効果はすでに薄れつつある。今、彼女の身体には、まるで海そのものが押し寄せてくるかのような重圧がのしかかっていた。


彼女は光の剣に体を預ける。平静を装ってはいたが、誰にも気づかれぬほど微かに、剣――聖遺物が彼女の鼓動に呼応するように震えていた。

まるで、主を認めているかのように。


よろよろと、一人の少年が近づいてくる。


「おねえちゃん……ママが……起きないんだ……」


血に染まった手を握りしめながら、少年はかすれた声でそう言った。


エミリーは膝をついた。

その一動作だけで、全身が震える。


「約束するわ……」

彼女は少年の頭に手を置き、優しく囁いた。

「今日は、もう誰も倒れさせない」


その背後で、アレハンドロは瓦礫の中を歩いていた。

かつてオメガ級の魔獣を止めた炎は、彼の歩みに合わせて消えていく。

それでも、剣に宿る神具アルカナムの残り火は彼の怒りに共鳴し、光の残滓を空間に刻んでいた。


レオナルドは負傷者を確認していた。表情は冷静そのものだが、その瞳の奥には、明確な罪悪感が宿っている。

カラは倒れた魔物を見つめていた。

まるで――あと何撃足りなかったのかを計算するかのように。


「ここに留まるべきじゃない」

アレハンドロが歯を食いしばって言う。

「北では、まだ群れが生きている。ダグラス公国へ向かわなければ、あいつらはまた戻ってくる……今度は、さらに強くなってだ!」


エミリーは首を横に振った。


「まずは生存者の救護よ。街の安定化が最優先。負傷者は待ってくれない」


レオナルドが腕を組み、鋼のように冷たい声で言った。


「民を守るという点では、エミリーの判断は正しい。

だが、根源を断たなければ、この惨劇は繰り返される。

ダグラスがマナの暴走を許している限り、何も変わらない」


沈黙していたカラが、小さく口を開いた。


「……一度、休むべき。被害を整理して、冷静に考える時間が必要」


その言葉が、アレハンドロに火をつけた。

拳に小さな炎が宿り、遠くの子どもが思わず視線を逸らす。


「休むだと!?」

彼は吠えた。

「街が燃え、人が死んでいる中で!? 俺は待てない!」


エミリーは即座に彼の腕を掴んだ。


「アレハンドロ……今は、あなたの感情を優先する場面じゃない」


空気が張り詰める。

勝利の直後――初めて、英雄たちは互いを疑った。

初めて、進むべき道が一致しなかった。


市民たちは彼らを救世主として見つめていた。

その内側で煮えたぎる対立に、気づくこともなく。


――その時だった。


「これだけの力があっても……街は救えなかった」


誰かが、小さく呟いた。

英雄たちには聞こえないと思い込んで。


「マナがさらに増えたら……次はどうなる?

……誰が、この責任を取るんだ?」


エミリーが振り返るより早く、アレハンドロが前に出た。


「責任だと!?

俺たちが、全てを出し切っていないとでも思うのか!」


「アレハンドロ!」

エミリーが制止する。


レオナルドは眉をひそめ、視線を逸らしたまま言った。


「彼女の言う通りだ。

大災害は止めた……だが、悲劇を防げなかったのも事実だ」


緊張はさらに高まる。


そこへ、神殿側が歩み寄ってきた。

血に汚れた顔のまま、ヴァルサー男爵が冷たく告げる。


「群れは北から来た。

――ダグラス公国からだ。

あれは、追い払われた結果だと理解していいのか?」


アレハンドロはエミリーを見た。

エミリーは視線を落とす。


レオナルドが先に答えた。


「事実であれば……公国は、直接的な責任を負うべきだ」


カラが空を見上げた。


「……来る」


「誰がだ?」

男爵が問う。


答えは必要なかった。


大地が震えた。

恐怖ではない――秩序の振動。


地面を割って現れたのは、双頭の黒狼を刻んだ黒旗。

完璧な陣形で進軍する、数千の兵。

新たなマナの流れで強化された、ルーン装甲。


先頭には三体の巨大な存在。


雷を散らす電光の軍馬サンダー

光を喰らう黒狼アンバー

純粋な物理力を放つ獅子ラリエット


すべてレベル90超。


そしてその背に、威厳と冷酷さを併せ持つ女性――

ソフィア・ダグラス。


その隣に立つのは――

ルシアン。


エミリーは一歩後退した。

アレハンドロは歯を噛みしめた。

レオナルドは視線を逸らした。

カラだけが、静かに見据えていた。


ルシアンは軍馬から降り、瓦礫の中を進む。

負傷者を、英雄たちを、そして街の残骸を見渡す。


その瞳には、罪と決意が同時に映っていた。


広場の中央で立ち止まり、彼は言った。


「ここで起きたことは――

避けられぬ悲劇ではない。

結果だ」


アレハンドロが前に出る。


「結果だと!?

お前が指揮していたんだ!

もっと早く動いていれば、救えた命があった!」


レオナルドも続く。


「数千が死んだ。

その原因は、取らなかった決断……あるいは、遅すぎた判断だ」


エミリーが割って入った。


「不公平よ!

彼が何もせず待っていたみたいに言わないで!

彼は、自分の領内から群れを追ってきたの!

あれを止められる人なんて、誰もいなかった!」


アレハンドロは唸る。


「臆病者だとは言ってない。

――失敗したと言っているだけだ。

その失敗が、命を奪った」


レオナルドは冷静に首を傾けた。


「彼の名誉は疑わない。

疑っているのは、判断だ」


エミリーは拳を握りしめた。

胸が焼けるように痛む。


カラが、ほとんど音もなく二人の間に立った。


「……もういい」

声は低く、穏やかだった。

「今は裁く時じゃない。

彼は群れを追ってきた。あなたたちも、軍を率いて来たのを見ただろう」


彼女はアレハンドロを、次にレオナルドを見る。


「責任の話は後でいい。

今は――すぐそこで、人が死にかけている」


アレハンドロは深く息を吐いた。

だが、視線は逸らさなかった。

レオナルドも同じだった。


エミリーはルシアンを見た。

彼は何も言わない。

言い訳など、必要なかった。


英雄たちの鎧と武器が、微かに輝いていた。

神の力の名残。

誰も口にしなかったが、全員が感じていた。


勝利は得た。

だが――その灰は、あまりにも重かった。

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