「沈黙する城壁」
東方侯爵領の首都――ヴァルサー市。
秩序と平穏の象徴であり続けてきた都市だった。
白く輝く城壁、ルーンで強化された防御、魔法塔、属性魔法学院、そして光り輝く神殿。
すべてが繁栄と安全を示していた。
――だが、その夜。
魔力さえも息を潜めた。
城壁の上で見張りをしていた兵士たちは、地平線から迫る“影”を目にした瞬間、凍りついた。
霧にしては大きすぎる。
煙にしては、生きている。
「……見えるか?」
一人が、声を震わせて囁いた。
ルーン塔の射程に入った瞬間、真実が突き刺さる。
――魔物だ。
数千、いや、数万。
魔力に飽和した青鹿。
結晶化した牙を持つ猪。
毛皮が硬化した下位狼。
すべてが、何かもっと恐ろしいものから逃げるように走っていた。
「――魔導警報! ルーン塔、起動!!」
塔が激しく閃光を放ち、魔力弾が先頭の魔物を蒸発させる。
だが、空気中の魔力は異常なほど濃密だった。
「だ、だめだ!」
技術師が叫ぶ。
「魔力飽和だ! 核が耐えられない!」
放たれた魔弾は歪み、命中する前に爆散した。
学院の魔導士たちが城壁へ駆け上がる。
だが詠唱の瞬間――魔力が内側から彼らを引き裂いた。
「ぐっ……制御、できな……っ!」
一人が膝をつき、目から血を流す。
別の魔導士の火球は自壊し、顔の前で爆発した。
「撤退!!」
上級魔導師が叫ぶ。
「魔力が我々を殺す! 今すぐ退け!」
――遅すぎた。
魔導陣列は崩壊し、悲鳴と痙攣が街を満たした。
次に前へ出たのは、ルーン騎士団だった。
「盾を前に! 陣形を保て!! 一体も通すな!」
魔力槍が下位魔物を貫き、盾が致命的な衝撃を吸収する。
だが、数が違いすぎた。
青鹿が角で隊列を粉砕し、
巨大猪が家屋を破壊し、
狼が逃げ惑う市民に襲いかかる。
「娘が! 誰か、娘を!!」
深い咆哮が森から響いた。
理屈ではなく、本能を凍らせる音。
――アペックスが現れた。
黒曜石のような巨猫。
一撃でルーン塔を粉砕する。
青い魔力を纏う超巨大蛇。
街路を押し潰す。
二つの頭を持つ狼。
吐息そのものが死の霧。
レベル60、70、80。
食物連鎖そのものが、都市へ降りてきた。
「……ありえない……」
城壁は意味を失った。
神殿が結界を展開する。
だが、アペックスの一撃で砕け散る。
「祈れ!」
司祭が叫ぶ。
「神は聞いてくださる!」
「守って……!」
母親が子を差し出す。
――だが、魔力が多すぎた。
祈りも、神術も、溺死する。
「神様……来てくれるの?」
神官は答えなかった。
瞳は虚ろだった。
地面が震える。
それは揺れではない。
――“歩み”。
森の奥から、この世界に存在してはならない影が姿を現した。
歪んだ魔力。
星の砕片のような瞳。
人々は、見るだけで膝をついた。
命を落とす者もいた。
「……あれは……生命じゃない……」
巨大な爪が振り上げられる。
都市は、消える寸前だった。
――その瞬間。
空が裂けた。
雷鳴のような轟音とともに、光の柱が降り注ぐ。
神ではない。
自然でもない。
――人の力だ。
巨大なルーン陣が広場を覆い、昼のように照らす。
「ヴァルサー市よ――耐えろ。援軍は到着した」
四つの影が、星のように降り立つ。
最初に地へ降りたのは――
光の英雄・エミリー。
「私が生きている限り――闇は、この王国を喰らわせない」
次は、黄金の炎。
炎の英雄・アレハンドロ。
「オメガ級魔獣!
今日は――ここまでだ!」
雷鳴と共に現れたのは――
電撃の英雄・レオナルド。
「この壁を越えたければ――俺を倒してからだ」
最後に、静かに降りた影。
力の英雄・カラ。
細く、儚く見える身体。
だが一歩ごとに大地が震える。
彼女は前へ出た。
オメガが、一歩退いた。
「……獲物を間違えたわね」
市民は泣き崩れた。
司祭たちは言葉を失った。
「神が……救ってくれた……」
「……違う」
「英雄が――来たんだ」




