「王と、王であってはならない息子」
玉座の間は、ステンドグラスを透過した光に照らされていた。
金と紅の光が、エルクハン王朝の栄光を描いたタペストリーの上に揺らめいている。
玉座に座るフィリップ・エルクハン王は、硬い表情のまま沈黙を保ち、
宰相が差し出す日報に耳を傾けていた。
「陛下……」
不安を滲ませた細い声で、宰相が口を開く。
「神殿勢力の影響力が、前例のない速度で拡大しております。
特に――雷の神を祀る神殿が、民衆を大規模に動員しております」
王の眉がわずかに寄る。
「彼らはもはや崇拝に留まりません。
“選ばれし者”による統治を要求しています。
――第三王子、レオナルド殿下を」
フィリップは両手を玉座に置き、静かに目を閉じた。
恐れているのが神なのか――
それとも、我が子の胸に芽生え得る野心なのか、自分でも分からなかった。
「……規模を説明しろ、エドラン」
警戒を帯びつつも、王の声は威厳を保っていた。
「どれほどの民が動いている?」
「人口のおよそ二割が、神殿に積極的に加担しております」
宰相は即答した。
「その半数以上が、レオナルド殿下を“神に祝福された英雄”と認識し、
王権そのものに疑問を抱き始めています」
「正式な請願も提出されております」
「一部は……暴動へと発展しました」
そこへ軍事顧問が口を挟む。
「殿下ご自身がこの熱狂を煽っているのか、
あるいは黙認しているだけなのかは不明です。
しかし、このままでは制御は困難になるでしょう」
フィリップは立ち上がり、壇上をゆっくりと歩いた。
「信仰ではない……これは、王権への脅威だ」
彫刻された背もたれに、指が強く食い込む。
「我が息子が、力の象徴として利用されている。
そしてアンドリュー……正当な後継者は、
弟の影に押し潰されつつある」
「陛下」
軍事顧問の声が低くなる。
「狂信者たちはすでに組織化を始めています。
細胞を作り、街を巡回し、説教のたびに過激化している」
「近衛兵とも衝突が発生しております。
このままでは……反乱に発展しかねません」
王は足を止め、深く目を閉じた。
「……もはや政治ではない。信仰だ」
静かな声が、重く響く。
「神々が、我が民の心に手を伸ばし始めた。
この都は、玉座への忠誠と……
“王でない息子”への信仰に、引き裂かれようとしている」
「ご命令を、陛下」
エドランが息を詰めて問う。
フィリップは夕暮れに染まるステンドグラスを見上げた。
「物語を管理する」
「神殿と信仰は尊重する。
だが、我が子が王冠の上に祭り上げられることは許さぬ」
「レオナルドには理解させる。
彼の役割は“英雄”であり、“統治者”ではない」
「そして――アンドリューを支える。
正統な継承者の地位を、揺るがせはしない」
「承知しました、陛下」
宰相は深く頭を下げる。
「布告を準備し、神殿周辺の警備を強化します。
宮廷の学士たちにも指示を。
英雄の過剰な神格化を抑えさせます」
「……なお」
少し言いづらそうに、エドランが続けた。
「アンドリュー殿下が、謁見を求めております。
兄君の名は出されておりませんが……
夜明け前に、すでに城へ到着されていました」
フィリップは再び玉座に腰を下ろし、
抑え込んだため息を漏らした。
――もし神が一人の人間を選んだなら、
民が王を引きずり下ろそうとするまで、どれほどの時間が必要なのだ?
「忘れるな」
王は声を張った。
「神は祝福することができる。
だが――統治するのは王だ」
「この玉座は、今も私のものだ。
たとえ相手が、息子であろうと、信徒であろうと……神であろうと」
声は、やがて囁きへと沈む。
「神が祝福するのは構わぬ。
だが覚えておけ。この国は、祭壇からは治まらぬ。
――統治するのは、この玉座だ」
沈黙が広間を支配する中、フィリップは思った。
――私が恐れるのは、神ではない。
神の名を語る人間たちだ。
紅い光がステンドグラスを横切り、
タペストリーを裂くように照らした。
まるで、開いた傷口のように。




