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『神殿の審判』

――光の神殿・一室にて


エミリーが部屋を出ると同時に、扉は静かに閉じられた。

そこに残されたのは、三人の司祭だけだった。


彼らは奥の間へと進む。そこでは、光の使徒が両手を背に組み、黄金に輝く女神の壁画を静かに見つめていた。


司祭たちは深く一礼してから、口を開く。


「エプシロンの資質を持つ継承者……」

一人が動揺を隠せずにつぶやいた。

「貴族が持つには、あまりにも過剰な力です」


「もし神の祝福を受けることになれば……」

別の司祭も、不安げに言葉を継ぐ。


三人目は、ゆっくりと首を横に振った。


「それはない。祝福を受けるには帝国まで赴く必要がある。

だが――闇の女神が、彼を即座に拒むだろう」


光の使徒は、わずかに顔を向けた。


困惑した司祭の一人が、低い声で問いかける。


「なぜ拒まれるのです、導師?

彼の適性は闇……相性は悪くないはずでは?」


光の使徒は微笑んだ。

穏やかで、柔らかく――そして、底知れず不気味な微笑。


「相性の問題ではない」

静かな声で答える。

「“目的”の問題だ」


司祭たちは言葉を失った。


「閉ざされた血統と継承された力を持つ貴族は、世界の意志を停滞させる」

使徒は淡々と続ける。

「彼らは変わらない。進化しない。従わない」


壁画に歩み寄り、女神の輝く姿に手を添えた。


「神々は、彼らを永遠に支配する存在として創ったわけではない」


その声は、鋭い囁きへと変わる。


「貴族とは、古き病……

そして、この新たな循環は――それを浄化するためにある」


三人の司祭は深く頭を垂れた。

そこには熱狂もあり、恐怖もあった。


「勇者は――」

光の使徒は告げる。

「彼女こそが、この王国の影を暴く光となる。

そして時が来れば……誰と対峙すべきかを理解するだろう」


誰も、ルシアンの名を口にしなかった。


だが――

全員が、彼の姿を思い浮かべていた。


空気は、焼けた鉄と湿った土の匂いを帯びていた。

嵐も異変もない。ただ、音を吸い込むような不穏な静寂だけが広がっている。


勇者たちが司祭や信徒を伴って進むにつれ、異変は明確になっていった。

地面に刻まれた儀式痕、黒く焼け焦げた古代文字、そして――

本来ならあり得ないほど強大な存在を拘束していたであろう、砕けた鎖。


少し前まで、下級魔物との戦闘はあった。

だが、これは明らかに違う。


「自然現象ではありません……これは“介入”です」

光の司祭の一人が、重々しく言う。

「誰かが、この世界に属さぬ力で魔物を強化している」


エミリーは視線を落とし、瓦礫に挟まれた村人を見つけた。

その瞳に、迷いのない慈悲が宿る。


「堕ちたものすべてが、救えないわけじゃない……

まだ、救える人もいる」


その様子を横目に、アレハンドロは眉をひそめた。

彼にとって、信仰とは即時の浄化だった。


「不浄を焼き払うことこそが、この世界を守る証だ」

冷たい声と共に、放たれた炎が魔物と大地を焼き尽くす。


村人を安全な場所へ引きずりながら、エミリーは低く言い返す。


「焼くことは……守ることと同じじゃない」


一方、レオナルドは目立つことしか考えていなかった。

雷の神殿の光を腕にまとい、無謀にも魔物の群れへ突っ込む。

派手だが、危険――効率よりも、注目を求める動きだった。


「衝動を抑えて。命は、あなたの栄光のためにあるんじゃない」

エミリーはそう叱責しながら、村人を守る。


カラは静かに周囲を監視していた。

冷静で計算された視線。

アレハンドロとレオナルドの傲慢さが、彼女の怒りを静かに刺激する。


その瞬間――

地面を割って、モグラのような魔物が飛び出し、アレハンドロに襲いかかった。


彼は気づかなかった。

直前の攻撃で、完全に無防備だったのだ。


次の瞬間、

高所から飛び降りたカラが、一撃で魔物を真っ二つに切り裂いた。


「――もっと注意しなさい、この馬鹿!」

吐き捨てるように言い、再び冷静な構えに戻る。

「制御のない力は、誰も守らない」


カラは小型の魔物の間を確実に進む。

エミリーや司祭に近づこうとする敵は、すべて叩き潰され、投げ飛ばされ、遮断された。

彼女の怒りは制御され、戦略となり、仲間の無謀さを補っていた。


やがて、遠方から魔物の大群が押し寄せる。

歪んだ巨体、異形の四肢、不自然に光る眼。

まるで、闇の意思が糸を引いているかのような統率だった。


倒しても終わらない。

常に次が、用意されている。


「審判の時だ!」

炎をまとった剣を掲げ、アレハンドロが咆哮する。

「信仰に逆らう者よ――すべて、焼き尽くせ!」


彼の一撃一撃は圧倒的だった。

だが魔物の群れは学習し、再編し、彼の攻撃に適応していく。


レオナルドの雷撃は正確で派手だったが、隙を生み、

その穴を埋めるために、エミリーは結界と回復を連続で展開する。


カラは歯を食いしばる。

恐怖ではない。

傲慢が、命を奪うという確信だった。


やがて、人に近い姿をした巨大な魔物が側面から現れる。

その動きは、英雄たちの防御を読んでいるかのようだった。


エミリーは眩い光を放ち、レオナルドを襲う一撃を逸らし、

同時に、アレハンドロの近くで倒れた司祭を癒す。


「動け!」

アレハンドロが叫ぶ。

「包囲されるな!」


だがカラは動かない。

見極めていた。

力はある――だが、均衡を欠けば、それは致命傷になる。


彼女の怒りは、静かに、確実に、解き放たれる準備をしていた。


そして――

ついに群れが殲滅された時、戦場には死体が転がっていた。


魔物。

倒れた司祭。

燻る瓦礫。

血に染まった傷跡。


英雄たちは勝利した。

だがそれは、犠牲と恐怖の上に成り立った、脆い勝利だった。


エミリーは負傷した司祭たちのもとに膝をつき、可能な限り治癒を施していた。その間、他の者たちは荒い息を整えていた。

状況は明白だった――魔物たちは生き延び、再編し、そして知性をもって攻撃してきた。

それが偶然でないことを、誰も疑ってはいなかった。


「これは……事故ではありません」

光の司祭の一人が、震える声で囁く。

「誰かが、これらの魔物を操っている。

この世界に属さぬ“何か”が……」


カラは一瞬、視線を落とし、拳を強く握りしめた。

感じていたのは驚きではない。

確信と、決意だった。


――力は、制御されねばならない。

それを理解しない者がいるのなら……誰かが教えなければならない。


やがて、王都からの報告が届いた頃、ルシアンはすでに公爵領へと退いていた。

勇者と聖職者が集う会議の場で、エミリーは彼を公然と擁護する。


「私たちがここで戦っている間、彼は自分の地で何千もの命を支えています」

凛とした声で言い切った。

「自分の守るべきものを守っている者を、罪に問うことはできません」


血と怒りに染まった顔で、アレハンドロが反論する。


「壁の内に隠れる臆病者だ。

行動しない者に、勇気などない!」


声がぶつかり合い、緊張は政治的な色を帯びていく。

神の祝福は勇者たちを強化したが、それと同時に、内部の亀裂を深めてもいた。

悪魔的腐敗は、より大きく、計算された争いの――ほんの序章にすぎなかった。


会議後に訪れた沈黙は、安らぎをもたらさなかった。


勇者たちはゆっくりと散っていく。

負った傷よりも、それぞれの思考のほうが重かった。


司祭たちは遺体を集め、浄化の祈りを捧げる。

だが、香の煙では、焼けた肉と歪んだ魔力の臭いを覆い隠すことはできない。


エミリーは最後まで負傷者のそばに残った。

司祭、村人、一人ひとりを見極める。

誰が助かり、誰が今すぐの治療を必要としているのか。


魔物の群れが脳裏をよぎる。

連携し、知性を持ち、自然ではあり得ない動きを見せていた存在。


アレハンドロは少し前を歩いていた。

剣はまだ魔力の熱を帯び、肩には世界すべてを背負うかのような硬さがある。

その足音は、勝利の歓声よりも重く、戦場の静寂を打ち砕いていた。


時折、彼の視線はエミリーに向けられる。

内に燃えるのは、倒した魔物への怒りではない。

ルシアンへの憎しみ、そして――無力だった自分自身への嫌悪。


彼の心の奥で、エミリーは“自分のもの”であるべき存在だった。

それを口に出す勇気はなかったが、

彼女がルシアンの婚約者として隣に立つ姿は、胸に焼けた鉄を突き刺すようだった。


神々の祝福は十分ではない。

それどころか、残酷な現実を突きつける――

正義なき力は、無力なのだと。


「不浄を焼き尽くすことこそが、この世界を守る唯一の方法だ」

誰にも視線を向けず、まだ痙攣する死体に向かって手をかざす。

問いを挟まれる前に、己の行為を正当化するかのように。


その言葉には、信仰を装った怒りと焦燥が滲んでいた。


エミリーは唇を引き結び、彼を見つめる。

彼女の彼への情は本物だったが、それは恋ではない。

彼の炎の本質を――比喩的にも、文字通りにも――理解していた。


「焼くことは、守ることじゃないわ」

司祭を支えながら、静かに言う。

「慈悲なき力は、魔物以上に命を奪う」


アレハンドロは歯を食いしばる。

言葉は痛みを伴って突き刺さるが、それでも視線を逸らせなかった。


彼の炎は、魔物を浄化するためだけのものではない。

失ったすべて、取り戻したいすべての象徴だった。


――ルシアンに、それを得る資格などない。


雷の光をまとい、レオナルドが前へ出る。

その腕を包むのは、傲慢と挑発のような輝き。


常に誰かの影で生きてきた。

称賛を独占する“正統な後継者”。

血は優れていると言われながら、証明の機会を与えられなかった日々。


放つ一撃一撃が、無言の叫びだった。


――見ろ。俺はできる。

――俺のほうが上だ。

――俺こそが、ふさわしい。


魔物は雷撃で倒れていく。

だが、その派手さは隙を生み、エミリーが結界と治癒で埋めなければならなかった。


「くそったれ、ルシアン……」

歯噛みしながら、雷が魔物を貫く。

「子供の頃は何もできなかった……だが今は違う。

奪われたものを、すべて取り戻す。

イザベラも、王座も……必ずだ」


その誇りには、限界がなかった。


エミリーは負傷した司祭を安全な場所へ引きずりながら、穏やかに叱る。


「衝動を抑えて。

大切なのは、あなたの栄光じゃない。命よ」


レオナルドは一瞬、彼女を見返す。

そこには敬意と反発が入り混じっていた。


――これは気まぐれじゃない。

――奪われ続けた者の、炎だ。


「倒れる魔物一体ごとに、俺の正義は近づく……」

心の中で呟く。

「誰にも、止められない」


一方、カラは近くの丘に立ち、冷たい視線で戦場を見下ろしていた。

アレハンドロとレオナルドの無謀。

エミリーの慎重さ。


そのすべてが、彼女の計算に満たなかった。


衝動は危険だ。

過剰な力は、致命傷になる。


地面を割って、モグラ型の魔物がアレハンドロに襲いかかった瞬間、

状況は破滅へと傾きかけた。


だが――

正確な跳躍と一撃で、カラが魔物を両断する。


「もっと注意しなさい、この馬鹿!」

吐き捨て、再び警戒態勢に戻る。

「制御のない力は、誰も守らない」


エミリーは小さく息を吐いた。

張り詰めた緊張を知っている。


アレハンドロは顔をしかめたが、何も言わない。

視線はエミリーを追い、

ルシアンへの憎しみと、自身への苛立ちが絡み合う。


崩れた壁にもたれた司祭が呟く。


「これは……自然ではない。

誰かが、魔物を導いている。

この世界の者ではない、何かが……」


カラは一瞬、目を伏せる。

見えない脅威が、その先にあることを理解していた。


――力は、制御されねばならない。

それを理解させる者がいないのなら……自分がやる。


やがて、勇者たちは王都へと引き上げていく。


アレハンドロは怒りと嫉妬を胸に。

レオナルドは傷ついた誇りを抱え。

エミリーは思慮と慈悲を携え。

カラは冷たい計算と決意をもって。


その歩みは、彼ら自身と、広がり続ける亀裂を映していた。


――遥か遠く、闇の中で、誰かが見ていた。


人ではない眼。

風に紛れ、自分だけに届く囁き。


「……破壊の前に、分断を」


戦場に再び静寂が訪れた時、

それは勝利のものではなかった。


――啓示の前触れとなる、沈黙。


エミリーは焼け焦げた残骸と、動かぬ空を見上げる。

勇者に選ばれて以来、初めて――寒さを感じた。


肌ではない。

光そのものが、冷えていた。


「……これは、攻撃じゃない」


カラが剣を手にしたまま、問い返す。


「なら、何だ?」


エミリーは地平線を見つめた。

その瞳の光が、かすかに揺らぐ。


「――警告よ」


そして遥か彼方。

ダグラス家が公爵領へと向かうその地で――


何かが、目を開いた。


祈りではなく。

信仰でもなく。


ただ、

飢えとともに。

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