『光の下の別れ』
隊商は、すでに出発の準備を整えていた。
ルシアンが手袋を締め直した、その瞬間――
光を感じた。
強烈な輝きではない。
温かく、繊細で、それでいて疑いようのない“存在”。
夜明けに影が縮むように、
彼自身の魔力が、その気配の前で静かに後退するのを感じた。
エミリーが、三人の神官を伴って現れる。
三人とも淡い光を放っていた。
――女神の祝福が、目に見える形で刻まれている証。
(この神官たちは、女神から直接祝福を受けた……)
ルシアンは即座に理解した。
(ほぼ間違いない。今の彼らは“イプシロン”。
英雄を守るため、半ば強制的に祝福された存在だ)
エミリーは、彼の前で足を止めた。
「……挨拶もなしに、行ってしまうつもり?」
微笑みは、誇り高くあろうとしていた。
だが、その奥にある痛みまでは隠しきれていない。
ルシアンは、深く息を吸った。
「今、するつもりだった」
神官たちは何も言わない。
ただ、彼を見ている。
――いつも、見ている。
彼らは知っていたからだ。
ルシアンは、生まれつきイプシロン適性を持つ。
母から与えられた、先天の“贈り物”。
もし、そんな彼が神の祝福を受ければ――
イプシロン + 1 = オメガ。
英雄と同格。
神に選ばれし者と同じ位階。
オメガを持つ貴族の後継者など、
神殿にとっては制御不能な危険因子。
政治的にも、致命的な脅威。
――使徒の、直接の対抗者にすらなり得る。
彼らは、それを理解している。
そして――ルシアン自身も。
エミリーは、同行者たちの緊張を意に介さず、一歩近づいた。
「神殿は、あなたが残ることを望んでいたわ」
柔らかな声だった。
「王国は今、正念場よ、ルシアン。
そして……あなたは、ずっと重要な存在だった」
それが政治的な言葉でないことを、
彼はよく分かっていた。
だが、現実は残酷だった。
エミリーは、誰にも与えられていない力を得ている。
デルタ + 英雄補正2段階 = オメガ。
しかも、神性の痕跡を帯びたオメガ。
――他の誰にも到達できない祝福。
《神性と神性の衝突》
そう、古い文献は記している。
ルシアンは強い。
それでも、彼女の隣では――
天を仰ぐ一人の凡人のように感じてしまう。
「王国には英雄がいる」
彼は静かに答えた。
「そして、公爵領には俺が必要だ。
魔物は、待ってくれない」
エミリーは視線を落とした。
「……行ってほしくない」
囁きは、かすかに震えていた。
「全部……終わったあとでも、ないのに」
ルシアンは、奥歯を噛みしめた。
彼女を敵として見たくはない。
だが、無視もできない可能性がある。
――オメガの光を宿したエミリーが、
自分を討つ先鋒になる未来。
憎しみではない。
神殿の“命令”によって。
(もっと強くならなければ……)
(そうしなければ、これから来るものに生き残れない)
そう考えた、その瞬間――
エミリーは、はっと顔を上げた。
「ルシアン……私、もし助けが必要なら、すぐに行く」
声は不安に揺れていた。
「だから、遠慮しないで……」
「大丈夫だ」
彼は、穏やかに遮った。
「君は、自分の身を最優先にしろ。
神々に選ばれたからといって……無理をするな。
君は、不死身じゃない」
エミリーは拳を握り、強く頷いた。
「……分かってる。ちゃんと気をつける」
ルシアンは、どこか寂しげに微笑んだ。
「それを聞けて、安心した」
背後の神官たちが、わずかに姿勢を正す。
すべてを見逃さぬように。
エミリーは深く息を吸った。
その光が、ほんの一瞬だけ揺らぐ。
――かすかな脆さが、滲んだ。
「……じゃあ」
彼女は、まっすぐ彼を見つめる。
「必ず、戻ってくるって……約束して」
命令ではない。
我が儘でもない。
それは――純粋な恐れだった。
「戻るよ」
彼は、心配を隠しきれない微笑みで答えた。
エミリーは、無意識のまま一歩踏み出す。
指先が、彼の手に触れた。
何かが、内側で崩れ落ちたかのように。
唇をわずかに震わせながら、
彼女は皆の前で、短く――しかし想いの詰まった口づけを落とした。
「道中、気をつけて……」
誇りに生きてきた彼女が、必死にそれを抑え込む。
瞳は、光に濡れていた。
次の瞬間、彼女は踵を返し、
足早に、顔を赤らめたまま回廊の奥へと消えていった。
残されたルシアンは、
喉に絡みつく感情を、ただ飲み込むしかなかった。




