「崩れゆく評議会」
評議会の大広間には、古びた香の匂いと、拭いきれない不安が漂っていた。
貴族たちは、かつて権威を象徴していた衣装に身を包みながらも、目の下に濃い隈を刻み、やつれた表情で、割れた怒号と震える囁きの間を行き交う議論を続けていた。
もはやマナは、異常現象ではない。
それは――宣告だった。
女王アデラインが、かすれた声で告げる。
「……マナが……臨界点に到達しました」
誰も息をしなかった。
なぜなら、全員がすでに“兆候”を目にしていたからだ。
理解していないふりをしていただけで。
森が一夜にして歪み、幹が不可能な螺旋を描いてねじ曲がる。
川が紫の輝きに染まり、水面下で“何か”が生きているかのように脈動する。
急激な変異によって生まれた、新たな飢えた生物たち。
それは前兆だった。
混沌の、入口。
絶望が広がる中で、ただ一人――
公爵夫人ソフィアだけが、背筋を伸ばし、揺るがぬ威厳を保って立っていた。
他の領地とは違い、彼女の治める地――
ダグラス公爵領は、死につつあるのではない。
繁栄していた。
新公爵ルシアン・ダグラスの母であるソフィアは、広間の混乱とは対照的な静けさをまとい、前に出る。
「恐慌は、滅びを早めるだけです」
はっきりとした声だった。
「ですが、まだ抗う手段はあります。私はその証拠を持ってきました」
貴族たちは、難破船の乗組員が灯台を見つけたかのように、彼女へと視線を向ける。
「私の息子ルシアンと共に開発した植物は――」
「マナがある“にもかかわらず”育つのではありません。マナによって育つのです」
「臨界状態でも安定して実を結び、栽培は容易。数週間で生産を再現できます」
信じがたいざわめきが広間を走った。
その時、エミリーの父であり、ルシアンの仕事を直に見てきた人物――
ダニエル・カーター伯爵が一歩前に出た。
「彼女の言葉はすべて事実だ」
低く、確信に満ちた声だった。
「若き公爵は、その植物を我が領に持ち込んだ。死んでいた温室は今や生命で満ちている」
「果実は食用可能で、栄養価も高い……そして、マナの腐食にも耐える!」
その言葉は、希望の一撃となって落ちた。
議論は一瞬で爆発する。
「種を売ってくれ、公爵夫人!」
「金ならいくらでも払う!」
「もう一か月も耐えられない!」
ほとんど懇願だった。
ソフィアが手を上げる。
沈黙は、従順に訪れた。
「そして、第二の革新――“植物石”についてです」
空気が張り詰める。
「研究の過程で、石と融合する変異種を発見しました」
「破壊もしなければ、侵食もしない。石の内部で結晶化するのです」
貴族たちは息を呑む。
「鉱物化した根は、攻撃的なマナを吸収・浄化し、再分配します」
「その結果、城壁は二〇~三五%強化される。密度が増し、耐久性が向上し、マナ侵食に対して完全耐性を得ます」
ある顧問が、信じられないというように机を叩いた。
「それで……襲撃も減るのか?」
「四〇%ほど」
ソフィアは即答した。
「マナ圧が下がれば、周辺の魔物は攻撃性を失います」
再び広間が沸騰する。
「都市が救われる!」
「王国が救われるぞ!」
「今すぐ技術を共有しろ!」
だが、誰よりも落ち着いた声で、ソフィアは答えた。
「共有します。ただし、今日ではありません」
「管理された配布を行わなければ、城壁が育つ前に、混乱が王国を飲み込むでしょう」
沈黙が戻った。
重く。
しかし、希望を含み。
震えるような沈黙。
そして――
扉の下から忍び込む影のように。
外では、別の物語が進行していた。
終わりの前の、最後の笑い
首都から数キロ離れた灰色の森で、三人の冒険者――レベル42~48――が、迫り来る運命を知らぬまま、穏やかな狩りを楽しんでいた。
ラスク(戦士・48)、マーラ(魔術師・45)、フィン(弓兵・42)。
標的は、温厚で草食のマナエルク。安定した収入源だった。
「だから言ったろ、ここは安全だって」
矢を拭きながら、フィンが笑う。
「刺激しなければ、あいつらは襲ってこない」
皮肉屋のマーラが目を細めた。
「へえ? 二日前に突進されかけたのは誰だったかしら」
「くしゃみしただけだ! 脅威だと思われたんだ!」
ラスクは獲物を担ぎながら、豪快に笑った。
「マナのおかげで、こいつらが太っただけだな。ここで一か月は狩れる――」
その瞬間、森が沈黙した。
自然な静けさではない。
不自然で、深く、鋭く、冷たい沈黙。
最初に顔を上げたのはマーラだった。
「……ラスク……フィン……今の、聞いた?」
地面が揺れた。
二歩先で、裂け目が開く。
――何かが、出てきた。
黒い皮膚、虚ろな眼。
どの世界にも存在してはならないはずの獣。
レベル78。
ラスクはエルクの死体を落とした。
「……ありえない……」
フィンは青ざめて後退する。
「このレベルの魔物が……首都の、こんな近くに……?」
魔物が咆哮する。
冒険者たちの笑いは、そこで途切れた。
それは、孤立した事件ではなかった。
泥と乾いた血にまみれた伝令が、評議会の広間に駆け込んでくる。
「魔物です……!」
喘ぎながら叫ぶ。
「レベル七十……八十の個体が! 首都南部に出現しました!」
誰も息をしなかった。
「国境都市が……陥落しました」
声が震える。
「数時間です……我が君……ほんの、数時間で……」
完全な沈黙。
恐ろしい空白。
王の賢者たちが、ほぼ同時に立ち上がった。
そして、人類の進路を決定づける言葉が告げられる。
「この傾向が続けば……」
唇を震わせ、アデラインが言った。
「人類は、二年以内に滅びます」
誰も、何も言えなかった。
なぜなら――
本当の地獄は、
まだ始まったばかりだったのだから。




