再び音を取り戻した街
そのとき、突然一人の兵士が駆け寄ってきた。
「エミリー様……お母上がお会いになりたいと」
エミリーは思わず息を呑んだ。
「母が? 無事なの?」
「はい、レディ。ご無事です。ただ……ダグラス家の後継者様に、直接お礼を言いたいと」
ルシアンは静かに頷き、自然と背筋を伸ばした。
「マリエンヌ様にお会いできるのは光栄です」
そうして三人は数歩進み、中央区画へと続くアーチの下に、伯爵夫人の姿が現れた。
マリエンヌ・カーター伯爵夫人は、繕われた青いドレスを身にまとっていた。
消耗は隠せないが、それでも気品は失われていない。
娘の無事な姿を見た瞬間、疲れ切っていたはずの瞳が、やわらかく緩む。
そして、彼女はルシアンを見た。
その表情が変わる。
安堵と――心からの感謝。
「ルシアン・ダグラス卿」
軽く一礼し、静かに言った。
「娘のために……この街の人々のために……あなたがしてくださったすべてに、深く感謝いたします」
ルシアンも同じ礼で応じる。
「マリエンヌ様。なすべきことをしたまでです」
伯爵夫人は、かすかだが誠実な笑みを浮かべた。
「それでも……」
穏やかに続ける。
「私は、そしてこの領地全体が、あなたに借りを作りました」
エミリーは母を見て……
そしてルシアンを見た。
胸の奥に、奇妙な感覚が広がる。
温かく、静かで――確かなもの。
世界が地獄へと変わってから、初めて。
彼女は、恐怖を感じていなかった。
ダニエル・カーター伯爵は、休むことなく進軍していた。
馬は荒く息をつき、白い汗が毛並みを濡らしている。
後ろに続く八百の兵――帝国との戦争を生き残った古参たちも、もはや隊形を保つのがやっとだった。
それでも、誰一人として休憩を願い出る者はいない。
伯爵が、それを許さないと分かっていたからだ。
妻と、娘エミリーの姿が、必死な鼓動とともに脳裏を離れなかった。
数か月前、息子マヌエルを失った。
今でも時折、存在しない叫び声に震えながら夜中に目を覚ます。
これ以上、失うわけにはいかなかった。
だから道中、生存者たちに遭遇したとき――
破れた服の女性、やせ細った子供、かろうじて立つ老人たち――
ダニエルは心を鬼にした。
懇願の声が、何キロにもわたって彼を追いかける。
「お願いします、領主様! 連れて行ってください!」
「モンスターが戻ってきます! ここにはいられません!」
「この子は……もう歩けないんです……!」
部下たちが、命令を待つように彼を見た。
だがダニエルは、振り返らなかった。
視線は、ただ前方――
自分の家へ。
「前進だ」
その短い命令の裏で、
恐怖と絶望、裏切られたという沈黙の視線が、
一生自分を追い続けることを、彼は理解していた。
だが、家族を失えば、すべてが無意味だった。
青みがかった霧の向こうに、城壁が見えたとき。
ダニエルは強く手綱を引いた。
「……何だ、これは?」
副官の一人が呟く。
城の前の平原は、焦土と化していた。
火と氷を同時に浴びせられたかのように。
蒸気を上げるクレーター。
焼け焦げたモンスターの残骸。
自軍の魔術師では、決して再現できない規模の魔法。
誰が――こんなことを?
さらに近づいて、彼は気づいた。
あり得ないことに。
モンスターが、いない。
一体たりとも。
城門をくぐるとき、彼は覚悟していた。
泣き声、悲鳴、必死な命令が飛び交う光景を。
だが――
目の前にあったのは。
走り回る子供たち。
叱る母親たち。
食料袋を運ぶ兵士たち。
焼き立てのパン。
そして――
笑い声。
笑い声だった。
数日間、恐怖とともに脈打ち続けていた心臓が、
胸の奥でぎゅっと握りしめられた拳のように縮こまった。
「……領主様」
兵士が、かすれた声で囁く。
「皆……無事です」
そのとき、一人の少年が棒切れを剣代わりに振り回しながら駆けていった。
「見てて! ぼくはダグラスだぞ!
くらえ、モンスター!」
カーター伯爵は眉をひそめた。
――ダグラス。
その名は。
隣を歩いていたアレハンドロ・ジョーンズは、歯を噛みしめるほど強く拳を握った。
ダグラス。
自分の家族を滅ぼした一族。
血と死、そして破滅を意味する名前。
子供たちが、まるで英雄のようにダグラスの名を叫びながら遊んでいる光景――
怒りが、槍のように彼の胸を貫いた。
城に到着した瞬間、ダニエルは膝から崩れ落ちそうになった。
領地の旗が、確かに翻っている。
だがその隣には――
ダグラス家の旗。
誇らしく掲げられ、
汚れ一つなく、
圧倒的な存在感を放っていた。
ダニエルは喉を鳴らした。
「……つまり……」
嗄れた声で呟く。
「彼らが……」
アレハンドロは拳を握りしめ、指の関節が白くなるほど力を込めた。
――英雄だと?
彼の胸に、苦々しい思いが渦巻く。
――俺にとっては……殺人者だ。
城内に入った瞬間、エマ・カーター夫人が駆け寄ってきた。
歩いたのではない。
気品を保った動きでもない。
走ったのだ。
「ダニエル!」
伯爵は彼女を強く抱きとめた。
数週間ぶりに、足元の大地が崩れ落ちる感覚が消えた。
彼女は涙と途切れ途切れの言葉で、すべてを語った。
包囲。
飢え。
絶望。
ルシアン・ダグラスの到着。
そして――救い。
ダニエルは目を閉じた。
胸に、説明できない重さがのしかかる。
もしあの時、道中で出会った生存者たちを連れてきていたら……
もし、もう少しだけ信じることができていたなら……
彼らも今、温かいパンを手にしていたかもしれない。
それどころか――
彼は首を振った。
遅すぎた。
すべてが、遅すぎたのだ。
伯爵夫妻が再会を果たす中、
アレハンドロは磨かれた石の廊下を一人歩いていた。
笑い声が聞こえる。
柔らかく、温かく、
数日前には考えられなかった音。
エミリーの笑い声だった。
半開きの扉の前で、彼は足を止めた。
中を覗く。
そこには、くつろいだ様子で微笑むエミリー。
そしてその隣に、
ルシアン・ダグラス。
まるで昔からの知り合いのように、自然に会話を交わしている。
エミリーは――
穏やかで。
安心しきっていて。
幸せそうだった。
アレハンドロの胸の奥で、何かが歪んだ。
痛みと恐怖から生まれた、
一瞬の、残酷な思考がよぎる。
――いっそ、
――彼女が死んでいる方が、
――ダグラスと笑っている姿を見るより、楽だったのではないか。
その黒い影は、
彼の心に残った。
そして――
すぐには、消えそうになかった。




