巨大なる群れ(コロッサル・ハード)
そして――
谷を覆う粉塵の向こうから……
巨大な影が、姿を現した。
巨大なる群れ。
最初は十数体。
次に百。
そして――数えきれぬほど。
家ほどの大きさを持つ草食獣たち。
花崗岩のような角、燃えるような瞳、
百年樫の樹皮にも似た分厚い皮膚。
彼らは走っていた。
いや――
大陸そのものを引きずりながら、突進してきていた。
「――な、なんだあれはッ!?」
恐怖に染まった声で、帝国兵が叫ぶ。
帝国の塔から放たれた魔力付与の矢は、
獣の皮膚に弾かれ、まるで生きた鉄に阻まれたかのように落ちた。
「スタンピードだ!!」
「退却しろ!!」
「今すぐ下がれ!!」
だが――
命令が届く前に、谷は爆ぜた。
生きた津波
獣たちは、天変地異そのものだった。
盾ほどの足に踏み潰され、部隊は跡形もなく消えた。
攻城兵器は玩具のように砕かれ、
兵士たちは布切れの人形のように宙を舞う。
何千トンもの質量が動き、
大地そのものが沈み込む。
帝国兵も、
王国兵も、
そこにいた者は――
等しく、死んだ。
そして――
その後ろから……
真なる地獄が、到来する
岩でできた狼、
炎を纏う大型猫科獣、
金属の羽を持つ猛禽類。
あらゆる方向から、
肉食の魔獣たちが森を飛び出してきた。
第一波は――生きた山脈。
第二波は――狩り。
血と土にまみれた帝国将軍が、
誰にも届かぬ命令を叫び続ける。
「マナ障壁を展開しろ!!」
「包囲させるな!!」
「一体どこから湧いてきたッ!?」
誰も知らなかった。
ローレンス・ダグラスの死によって――
倒れたのは、一人の男だけではなかった。
古き支柱。
静かな均衡。
何世紀もの間、
公国の境界を尊重してきた森と大地、
そこに棲まう生き物たちが――
今、解き放たれていた。
飢えでもなく。
本能でもなく。
弔いのために。
獣たちの心に響く、
古き呼び声に応えるために。
大地は裂け、
空は暗転し、
戦は――戦であることをやめた。
残ったのは、生存のみ。
帝国は、勝利まであと一歩だった。
だがその一歩は――
数百万キロの野生の怒りに踏み潰された。
混沌は、数時間にわたって続いた。
つい先ほどまで互いの喉元を狙っていた
王国兵と帝国兵は、
今や肩を並べて戦っていた。
同盟ではない。
友情でもない。
生き残るためだ。
王国兵が、
岩の背が隕石のように落ちる直前、
帝国兵を突き飛ばして救う。
帝国の大尉が、
装甲狼から逃げる王国兵のために
マナ障壁を展開する。
叫び声。
血。
敵味方を問わぬ魔法の乱射。
その日、初めて――
両軍は言葉なく理解した。
魔獣は交渉しない。
魔獣は休まない。
魔獣は、慈悲を持たない。
その惨劇の只中、
一人の帝国魔導士が、
よろめきながら皇帝のもとへ駆け寄った。
焼け焦げたローブ。
震える脚。
恐怖で真っ白な顔。
「へ、へい……へいか……」
血を咳きながら、声を絞り出す。
「き、緊急……報告が……」
ナイラが彼を支え、倒れるのを防ぐ。
包帯に覆われた皇帝は、厳しい視線を向けた。
「話せ」
魔導士は砕けた伝達結晶を差し出す。
それは安定せず、ひび割れていた。
「こ……これは異常です、陛下……
ここだけでは……ありません……」
声が、崩れる。
「帝国全土で……
スタンピードが発生しています!!」
その沈黙は、
咆哮よりも恐ろしかった。
息を切らした兵たちでさえ、振り返る。
皇帝は目を細めた。
「説明しろ」
魔導士は深く息を吸い、
言葉にすることで現実になるのを恐れるように語った。
「都市が壊滅……
地域単位で統制不能……
住民は総避難……
森が、かつてない規模で魔獣を吐き出しています……
湖が……湖そのものが、マナで沸騰しています……」
「これは攻撃ではありません……
敵の魔法でも……」
「では、何なの?」
ナイラが、震える声で問う。
魔導士は、絶望そのものの表情で彼女を見た。
「……世界です、姫殿下。
世界が、溢れ出している……」
「スタンピードは……
局地的なものではない……
世界規模です……」
彼は膝から崩れ落ちた。
「我々だけでは……
十個軍団をもってしても……
抑えきれません……」
皇帝は黙していた。
視線を巡らせる。
共に戦う王国兵と帝国兵。
隊列を粉砕する魔獣。
反逆する大地。
そして――
初めて、皇帝は
傲慢さを捨てた声で語った。
「王国と帝国は……
停戦状態ではない」
ナイラが、驚いて彼を見る。
皇帝は歯を食いしばる。
ローレンスに刻まれた傷が、
いまだ血を震わせていた。
「等しく、滅びの運命にある。
協力しなければ――
両方、滅ぶ」
血と埃にまみれた王国の将校が、
恐る恐る近づいた。
「……ど、どの命令に従えば……?」
皇帝は答えた。
「停戦を命じろ。
負傷者を集めろ。
障壁と陣地を共有しろ」
そして、谷の惨状を見渡し――
「この瞬間から、
王国と帝国は――
この戦線を共に守る」
「名誉のためではない。
忠誠のためでもない」
「他に、選択肢がないからだ。」
こうして――
最もありえない場所で、
最悪の時に、
二つの宿敵は剣を下ろした。
平和のためではない。
死が、波のように押し寄せ、
旗を選ばなかったからだ。




