『死体の上に昇る暁』
夜明けは、何の断りもなく訪れた。
淡い薔薇色の光が地平線をなぞり、ゆっくりと夜の影を押し退けていく。
疲弊し、負傷し、混乱した帝国軍にとって、
その光は――新たな敵だった。
なぜなら、光は……
誰も見たくなかった“現実”を、容赦なく照らし出したからだ。
太鼓は鳴らなかった。
命令もなかった。
新たな征服の始まりを告げる、勇ましいファンファーレもない。
あったのは、沈黙だけ。
重く、
息が詰まるほどの沈黙。
何千もの帝国兵が、その場に立ち尽くしていた。
鎧は血に染まっている――だが、それは彼ら自身の血ではない。
全員が、振り返っていた。
本来なら魔導師たちがいるはずの場所。
術者たち、攻勢の要、後方支援の柱が展開しているはずの地点。
だが、そこに隊列はなかった。
生きた兵の秩序も、陣営も存在しない。
――そこにあったのは、“敷き詰められたもの”。
果てしなく広がる、死体の絨毯。
数百……
いや、数千。
後方に配置されていた帝国魔導師たちは、
例外なく、外科手術のような正確さで喉を裂かれていた。
風が帝国の赤い軍旗を揺らす。
だがその旗でさえ、怯えて震えているように見えた。
第六軍団司令官、ヴァロス・ケルドレン。
巨体で、恐れを知らぬ男として知られる彼は、
震える手で馬を降りた。
幾多の戦と勝利で鍛えられたその顔は、
今や灰のように青白い。
彼は一つの死体の前に膝をついた。
六年間、共に戦ってきた熟練の魔導師だった。
傷口は完璧だった。
無駄がなく、争った痕跡すらない。
ヴァロスは拳を握りしめる。
「……これは、待ち伏せじゃない」
低く呟いた。
「――処刑だ」
周囲の士官たちは顔を見合わせたが、
誰一人、言葉を返せなかった。
数分後、戦役総司令官ヘクトル・ナルヴェスが、近衛を伴って到着した。
彼は惨状を、黙って見渡した。
唇が引き結ばれ、
呼吸が荒くなる。
兵たちは、彼が怒鳴るのを待っていた。
激昂し、命令を下すのを期待していた。
だが、ヘクトルは理解していた。
この意味を。
「……誰がやった?」
ようやく口を開いた。
それは叫びではなかった。
戦略的な宣言でもない。
――嘆きだった。
周囲の将校たちは、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「将軍……」
一人の大佐が問いかける。
「攻勢は続行できますか? 魔導師を千以上失いました。
遠距離攻撃能力は――」
「――今後の戦闘で、我々は戦術的劣勢に立たされる」
ヘクトルは夜明けと同じくらい冷たい声で遮った。
「突破力はない。魔法支援もない」
彼はダーラの要塞へと視線を向ける。
なおも屹立する城壁。
帝国の姫が、力の証明を待つ場所。
そして今や、強化された王国軍が、
危険な微笑みとともに見下ろしてくる場所。
「前線を二キロ後退させる」
命じた。
「詳細な報告を出せ。死者の数、生存者の数、
そして――何を見た者がいるのか」
一人の少尉が唾を飲み込む。
「将軍……生存者たちは、敵を見ていないと言っています」
ヘクトルは、鋭く睨みつけた。
「恐怖で嘘をついたのだ。
人は皆、死ぬ前に“何か”を見る」
少尉は俯いた。
「将軍……」
震える声で囁く。
「彼らは言っています。
――“死”が、話しかけてきたと」
ヘクトルの腹の底に、氷のような感覚が広がった。
彼は、答えなかった。
死体の中から、ガレス・ヘルムシュトロームが見つかった。
その目は、まだ開いたまま。
目覚めたばかりの空を、静かに見つめていた。
分隊の曹長が、死体の前に崩れ落ちるように膝をついた。
ガレスは尊敬される歴戦の兵だった。
岩のように強く、決して屈しない男。
巨大な土壁を築き、
投石機を止め、
石の柱で敵を粉砕する姿を、誰もが見てきた。
それなのに今、彼はそこに横たわっている。
致命傷は、ただ一つ。
あまりにも綺麗で、あまりにも静かな一撃。
「……ガレス……このクソ頑固者め……」
曹長は声を震わせ、呟いた。
「ダーラを征服して、家に帰るって言ってただろ……」
返事はなかった。
太陽が完全に昇る頃、帝国は一つの結論に至った。
――戦闘は、続行されない。少なくとも、この日は。
何が起きたのか理解できないままでは。
たった一握り――あるいは、たった一人が、
帝国の魔導砲戦力を壊滅させた理由が分からないままでは。
夜に潜む“あの亡霊”の正体を掴まぬ限り。
ヘクトル・ナルヴェスは深く息を吸い、口を開いた。
「全てを整えろ。
この件は、私が直接、姫殿下に報告する」
その声は低く、重く、
これまで一度も見せなかった怒りを孕んでいた。
「……この戦争は、今夜で変わった」




