第二章:冷や飯と屈辱の面接
【1989年2月/東京・永田町】
官邸の廊下を歩くと、足音が遅れて戻ってくる。私の歩幅ではなく、時代の歩幅が変わってしまったのだと思う。十二月の辞任から二か月。肩書きが外れた首元は軽いはずなのに、空気だけが重い。重いのは、私に貼り付いた二つの言葉だ。「嘘つき」と「二転三転」。議場の明かりよりも、新聞の活字のほうが長く残る。
竹原が倒れ、宇田が担がれる。永田町はいつも、次の顔を求めて騒がしい。だが、私の側の席は静かだった。宏政会の連中は私の前で声を落とす。慰めにも忠告にもならない言葉ばかりが、遠慮深く並ぶ。
「先生、しばらくは表に出ないほうが……」
「しばらく、というのは何日だね」
冗談めかして返すと、若手は笑うべきか迷った顔をした。私は腕を組み、首を右に傾けた。癖が出るときは、考えが絡まっている証拠だ。表に出ない。つまり、冷や飯を食えという意味である。冷や飯は、口に入れれば胃に沈むだけだが、政治の冷や飯は、沈んだあとに腐臭が上がってくる。誰かの耳に「終わった人」と囁かれたら、その囁きが票になる。
私は、終わっていない。終わっていないと言い切るほど、終わりが近づく気もした。
宇田内閣は短命だった。宇田が総理の椅子に座るたび、私は官邸のテレビに映るその背中を見て、妙な距離を感じた。私が本来座るべきだ、という傲慢ではない。私には、積み上げてきた順序があると思っていた。その順序が、事件一つで簡単に崩れる。それが悔しかった。
海野俊也が出てきたとき、私は初めて、永田町の空気が「清潔」という言葉で動くのを見た。政策ではない。思想でもない。清潔だ。海野は、派閥の後ろ盾が弱い。だからこそ担がれた。担いだ連中は、清潔な顔で、裏で数を数える。私は、その二重の作法に苛立ちを覚えた。政治が清潔であるべきことは当然だが、清潔さは政治を動かす燃料ではない。燃料にしてしまった瞬間、誰かが汚れ役を背負わされる。
その誰かに、私の名前が混じっている。
私は会合を減らし、会っても短く切り上げた。とはいえ、派閥の領袖が姿を消せば、派閥は縮む。宏政会の会合には顔を出し、資金の算段や人事の噂を聞いた。誰がどこへ動くか。誰が誰に借りを作ったか。そういう話題を嫌ってきた私が、そういう話題に耳を澄ます。耳を澄ませば澄ますほど、自分の中の嫌悪が濃くなる。
夜、ひとりで酒を口にすることが増えた。酒好きだという噂が、永田町には昔からある。噂のほうが真実より先に歩くのだから、いまさら否定もできない。私は熱いものを一口含み、喉を焼く感覚で、今日の屈辱を薄めた。薄めても、なくならない。
その代わりに机に向かった。紙の上では、人は私の発言を遮らない。推敲すれば、二転三転とは呼ばれない。私は『政と官』の原稿に赤を入れながら、自分の救命具を作っているのだと思った。政治哲学を語ることで、私はまだ「知性派」でいられる。知性は、私が最後に持っている武器だ。
「えー、」と独り言を挟んでから、ペンを動かす。自分の癖が、紙の上でも出るのがおかしかった。
だが、紙の上で整えた言葉は、党内の現実を動かさない。最大派閥の経成会が、数の論理で全体を支配している。私がどれほど制度を語っても、何十人が手を挙げるかで決まる。政治を知るということは、票を知るということだ。そして票を握っているのは、経成会である。
永田町の夜の会食で、私は何度も同じ場面に遭遇した。乾杯のあと、誰かが「七奉行がさ」と声を潜める。金田の名が出て、小森の名が出る。私はグラスを置き、頷くだけで通す。頷きの角度一つで、誰かは味方に数え、誰かは敵に数える。私の頷きは、いつからこんなに高くつくようになったのか。
『一六戦争』
誰かが酒の席で、半ば笑いながらその言葉を口にしたことがあった。宏政会の主導権を巡る、私と田口六也の争い。笑いの種にされるのは悔しいが、私自身、あの争いで政治の残酷さを学んだ。善悪ではない。理屈でもない。組織は、人の弱みと恩義と恐怖で動く。あのとき、私は六のつく男に足をすくわれた。そして今も、六という音が耳の奥で鳴る。
【1990年6月/東京・赤坂】
赤坂の料亭の廊下は、どこも似た匂いがする。畳の青さと、煙草の残り香と、醤油の甘い匂い。その匂いの中で交わされるのは、理念ではなく段取りだ。私は座敷の端で、杯を置き、誰かの話を聞いていた。
「先生、次は政治改革だそうですよ」
若手がそう言う。政治改革。言葉だけは勇ましいが、その中身は、選挙の仕組みと金の流れを変えるという意味である。変えれば、現場が荒れる。荒れれば、票が動く。票が動けば、派閥が割れる。私は首を右に傾けた。『改革』という言葉は、いつから脅しになったのだろう。
廊下の向こうの座敷から、笑い声が漏れる。そこには経成会の人間がいるのだろう。彼らは笑いながら、次の総裁を選ぶ。私は笑わずに、同じことを考えている。笑いの有無だけが違う。
酒を注がれ、私は礼を言って受けた。礼儀だけは崩さない。礼儀を崩した瞬間、私の矜持は消える。矜持が消えたら、私はただの古い政治家だ。
海野政権が政治改革法案でつまずくと、永田町の空気がまた変わった。次は誰か。誰が担がれるか。その問いの周りに、人が群がる。私は群れの中心にいるようで、少し外にいる。外にいるのは、冷や飯のせいではない。私を担ぐには、経成会の許可が要るからだ。
許可。総裁選とは、いつから面接になったのか。そう思った瞬間、答えはもう出ていた。面接を受けるのは、私だ。
【1991年10月/東京・平河町 砂防会館】
砂防会館のロビーに入った瞬間、背中が一段と固くなった。古い石の壁と、磨かれた床。音が吸い込まれていく。建物の中の静けさが、こちらの呼吸だけを浮かび上がらせる。ここは「砂防」と呼ばれる。旧田口派から竹原派へ続く、権力の牙城。場所そのものが、誰が上で誰が下かを決めている。
私は腕を組みそうになり、ほどいた。首を右に傾け、正面を見据える。癖が出れば、屈辱が見える。屈辱を見せれば、交渉は負ける。だが、ここで交渉と言えるものがあるのか。私が持ってきたのは、構想と理屈だ。相手が求めるのは、票の配分と支配の形だ。
渡部美智夫が先に歩き、振り返って笑った。
「宮崎さん、まあ、腹をくくるしかないですよ」
私は苦笑し、頷いた。三坂浩は無口に、靴音を揃える。三人とも、同じ部屋に呼ばれた理由を理解している。面接である。72の私が、49の若者に。
廊下の突き当たりの応接室。扉が開くと、煙の匂いが先に出てきた。男が座っていた。背は高くない。だが、座り方に重心がある。小森一也。机の上に、タバコの箱が置かれている。パーラメント。彼は箱から一本を取り出し、わざとゆっくりと火をつけた。こちらを見ずに、煙を一度、天井へ逃がす。待たせるための所作ではない。支配の所作だ。
「どうぞ」
小森は顔だけをこちらに向けた。表向きの声は丁寧だった。丁寧であるほど、こちらは自分の格を意識させられる。私は椅子に座り、背筋を伸ばした。
「えー、今日はお時間をいただきまして」
自分の口から「えー」が出る。癖は、こんなときほど裏切らない。私は、言葉を選びながら進めた。政権の構想。外交。経済。政治改革。海野政権が残した火種を、どう処理するか。私は制度と手続きの重要性を語り、国会運営の現実を語った。語っている間、私は自分が「面接官」ではなく「志望者」だと繰り返し思い知らされる。
小森は相槌を打たない。煙だけが動く。彼の目は、私の話の中身よりも、その話が票になるかどうかを測っている。私は、その視線を感じながら、なお理屈を積み上げるしかない。理屈しか、持っていない。
渡部が口を挟んだ。
「要するに、宮崎さんはやる気がある。そういうことだね」
小森は、灰皿に灰を落とし、初めて短く笑った。
「やる気だけじゃ駄目でしょう。どうやってやるか、ですよ」
笑いは柔らかいのに、言葉は硬い。私は、胸の奥で何かが擦れる音を聞いた。72の私が、49の男に「どうやって」と問われている。私は政策のプロセスを語ることなら慣れている。だが、ここで問われているのは政策のプロセスではない。党内の力学のプロセスだ。誰を抑え、誰を立て、誰を切るか。私は、その話をするのが嫌いだ。嫌いだからこそ、宏政会を「保守本流」と呼んできた。だが、嫌いで済む時代ではない。
私は、首を右に傾けた。腕を組み、すぐにほどいた。『格好をつけるな』と自分に言い聞かせる。ここで格好をつければ、総裁の椅子は遠のく。遠のいたら、私は永遠に「嘘つき」のまま終わる。
「党内の調整は、えー、必要です。慎重に――」
「慎重に、で時間が切れるんじゃないですか」
小森は平然と言った。彼の声には、時間の価値が含まれている。政治は、いつからこんなに期限で脅されるようになったのか。いや、昔からそうだった。ただ、私は期限を作る側にいなかった。今は、期限を突きつけられる側だ。
三坂が低い声で言った。
「小森君、宮崎先生にやらせてみようじゃないか。ここで決めないと、党がもたん」
小森は煙を吐き、少しだけ黙った。その沈黙が、部屋の空気を支配した。私は、沈黙の間に、敗北を受け入れる準備をしていた。敗北とは、椅子を失うことではない。屈辱を飲み込むことだ。屈辱を飲み込んで生き残ることだ。
小森がようやく口を開いた。
「分かりました。まあ、いいでしょう。ただし、改革はやってもらう。逃げないでくださいよ」
逃げないでくださいよ。丁寧な言い方の中に、命令がある。私は、笑みを作ろうとして失敗した。頬が引きつるのが分かる。私は頷いた。頷くしかない。
「承知しました」
その瞬間、私は理解した。政権は与えられるものだ。与えられる以上、管理される。私の内閣は、私の内閣ではない。経成会の内閣だ。そう言えば惨めだが、そう思わねば現実が見えない。
応接室を出ると、廊下の静けさが戻ってきた。渡部が肩をすくめて言った。
「いやあ、面接官は怖いね」
私は笑わなかった。笑えば、屈辱が軽くなる。屈辱を軽くしたら、次に備えられない。
ロビーの外は、秋の空気だった。私は深く息を吸った。胸が痛い。『政治を知るということは、経成会を知るということだった』。言葉が心の奥で固まる。私はその固まりを、飲み込んだ。
飲み込んだものは、いずれ別の形で出てくる。吐き出す場所は、まだ先だ。今はただ、与えられた道を歩くしかない。
私の背中に、砂防会館の石の冷たさが残っていた。




