第一章・004
その後瀬川と、野中さん、日向さんが二言三言言葉を交わし、昼休みは終わった。本日の午後の授業は二時限。両方とも、今年度のクラス役員を選出するロングホームルームだ。主に決めるのはクラス委員長、副委員長。文化祭実行委員。時間が余れば文化祭の出し物についてをほんの少し。僕たちの学校では文化祭というのがなかなかに力が入っていて、新学期の早い段階から準備が始まる。勿論、初めのうちはただの話し合いだけだが、文化祭の一ヶ月ほど前になると本格的な準備が開始される。四月からの綿密な計画によって文化祭をより栄えたものとする試みである。特に三年生が一番盛り上がる学年なので、僕としても最大限に楽しみたいところだ。
「おーっし、席着いてるな。じゃあ時間も無駄にしたくないからさっさと委員長と副委員長、文化祭実行委員やりたいやつはさっさと立候補か誰か推薦しろ」
進行もへったくれもない足立先生であった。が、クラス委員というのに好き好んで立候補する生徒がいるわけもなく、やはり教室は静まり返る。
「なんだお前ら。クラス委員が決まらねえと文化祭も何もねえぞ。周りと話し合ってもいいから誰か推薦しろよ」
「ねえねえ尾崎くん。誰が良いと思う?」
僕の隣の席に座っている河野くんが話しかける。
「そうだなあ、佐藤くんは誰が良いと思う?」
「俺は別に誰でもいい」
佐藤くんは河野くんの後ろの席なので、僕たちの席は実は案外近かった。クラスの席は僕たちが座っている窓側の二列が七人で、中央と廊下側の四列が六人ずつという並びとなっている。僕の後ろの席には先日瀬川ともめていた鹿児島さんが座っているのだが、僕たち三人に囲まれて所在なさげにしている。
「クスクス。尾崎くんがやればいいんじゃないかな?」
……忘れていた。河野くんの前は欅の席だった。なんでこう知り合いの席が近いんだよ。
「僕はいやだよ。どう考えても柄じゃない。欅がやればいいんじゃないか? きっとみんな言う事聞くよ。違う意味で」
「あー、尾崎くん。もう欅くんと接触してたんだね」
そういえば今朝は別のクラスに行っていたから知らないんだな河野くんは。深い溜息をついている。なんだか不憫だ。
「まあね。河野くんは? 誰か推薦したい人とかいる?」
「……うーん。そうだなあ。男子の中では木村くんや室井くん、矢倉くんの三人は結構人望あるよね。女子だったら金子さんと千早さん、長島さんの三人はしっかりしてるよね。あとは人気者、というところで卯の花さんや逸見さん、三ツ星くんかなあ。特殊なところで響くんというのもあるけど、響くんは生徒会長だからね」
うむ。名前だけ言われても半分くらいしか分からない。僕が知っているのは千早さんと卯の花さんはともかく、チーターこと木村くん、童顔故に可愛いともてはやされている三ツ星くん、響というのは立川生徒会長の名前だ。……やっぱり千早さんが向いてるのかなあ。
「人気があるといえば、鹿児島さんも結構人気者だよね」
「え!? あたし?」
河野くんが僕の後ろで窓の外を眺めていた鹿児島さんに話しかける。
「アイドルみたいだって、他所のクラスの男子は言ってるよ」
「そんな、あたしなんて……」
鹿児島さんは僕の顔を見ると俯いた。気まずいなあ。僕は瀬川と仲良くしているから、鹿児島さんとしてはそれが気に入らないのだろうけれど。
「……あたし、瀬川さんにひどい事しちゃったし……」
「え?」
鹿児島さんは僕の予想とは裏腹に、自分の行動を悔いているようだった。震えた声で僕に訴え続ける。
「あたし瀬川さんのこと何にも知らなくて。今日昼休み、みんなと楽しそうにしてる瀬川さんのこと見てて、ああ、自分はなんて馬鹿なんだろうって思ったの。今までろくに話した事すらないのにね」
「鹿児島さん……」
「……そうよね。瀬川さんだってクラスメイトだもの。仲良くしなきゃ、なんだよね。ごめんね尾崎くん」
「……鹿児島さんからそんな言葉を聞けるなんて思わなかったよ。……ありがとう。もう気にしてないよ」
鹿児島さんは俯いたままだ。なんだかなあ。僕は別に瀬川の保護者じゃないんだが。いつの間に僕と瀬川はセットな扱いを受けているようだ。
「それに、謝るなら僕じゃなくて瀬川に、だよ鹿児島さん」
「許してくれるかしら、瀬川さん」
「大丈夫。ああ見えて瀬川、人を恨まない奴だから」
そもそも瀬川に恨まれたらきっと今頃殺されてるんじゃないだろうか。お得意のカッターナイフで。
「クスクス。尾崎くんも、人が良いねえ」
僕と鹿児島さんのやりとりを見て欅が言う。
「やっぱり、キミは委員長としての資格はあるよ。クラスで孤立している子を馴染ませて、みんなの偏見を取り払えるんだからさ」
偏見を取り払えた訳ではないと思う。僕はまだ話したことすらないクラスメイトが大勢居るのだから。
僕はふと、目黒さんのほうを向く。目黒さんは僕の視線に気付き、フンとそっぽを向いてしまった。一度直接僕と対立した手前、彼女が瀬川の存在を認めてくれるためには骨が折れそうだ。
「……俺は欅くんと同じ意見だなあ。僕はこのクラスでは君と瀬川さんの二人が中心になるべきだと思うよ」
「つっても、簡単に瀬川を受け入れられる奴なんてそうそう居ねえだろ。鹿児島は自分の非に気付いて改心っつうか、そんな感じにはなったけどよ。瀬川と直接関わってねえ奴らにしてみれば放っておいてくれってのが本音だと思うぜ」
それもそうなんだよな。わざわざ瀬川とみんなの関わらせる必要って、実はどこにもないんだよな。みんなはみんなで仲の良いグループと固まっていたいだろうし。
「やっぱり僕は委員長って器じゃないよ」
「そうかなあ」
河野くんはちょっと納得しがたいようだ。が、佐藤くんの言う事にも一理あるわけで、無理に僕を推す気はないようだ。欅は流れのままにって感じだし。
「鹿児島さんはどう思う?」
「え? あ、えーっと。そりゃあ瀬川さんだってみんなと仲良く出来たほうがいいけど、やっぱりクラス委員でしょ? 瀬川さんだけじゃなくて、クラス全員のことを考えられる人じゃないと……」
その言い方だとまるで僕が瀬川一筋だから駄目って言ってるもんじゃないか。確かにクラスにで孤立してそうな子はちらほら見受けられるけれど。
「佐藤くん、どうかな。平等精神に則って」
「……いやだと言ったら?」
「クスクス。そういえば佐藤くんも結構人望があるって聞いたよ。昨日は目黒さんと千早さんの喧嘩を止めてたじゃないか。二人が無傷で済んだのは佐藤くんのおかげだとボクは思うよ」
欅はただ単に楽しんでいるだけじゃないのか。
「今は友だちとして、瀬川さんたちと一緒に居るけれど、本当はクラスのことを一番考えてあげられるのはキミじゃないのかな」
そういえば佐藤くんは結構落ち着いているし、確かに委員長タイプかもな。千早さんと組めば結構息ピッタリなんじゃないか? 子供の頃からの付き合いらしいし。
「因みに欅。女子のほうはどうなんだ?」
「勿論千早さん、と言いたい所だけどね。さっき河野くんの候補に挙がった長島さんが適任だと思うよ」
「意外だな。それはどうしてだ?」
「クスクス。佐藤くんてこう見えても結構頭がよくないから。その反面、長島さんは頭が良くてしっかり者。互いの欠点を補い合える二人組みだと思うよ」
佐藤くんは不機嫌そうな顔になる。へえ、佐藤くん、頭そんなよくないんだ。別段そうには見えないけどなあ。
「といっても、ボクたちだけで結論を出すわけじゃないしね。クラスみんなが良いと言ったら、それはクラスみんなが選んだ委員な訳だから、従わなくちゃね」
悪戯で欅でも推薦してみようか。クラス中の反応を見てみたい。が、恨まれそうで怖いからやめておこう。
「大体決まったかー?」
足立先生が手を鳴らし、騒がしかった教室は一瞬で静まり返る。
「推薦したい奴がいたら理由も述べるように。ただなんとなくじゃ勤まらんからな。何人か出揃ったところで投票するぞ」
「はいはーい!」
小学生みたいに元気良く手を上げたのは日向さんだ。
「わたしは尾崎くんを推薦しまーす!」
ぐ。てっきり千早さんを推薦するかと思ってたのに。油断も隙もないな日向さん。どうやら野中さんも僕を推薦する気らしいな。
「尾崎ぃ? 言っちゃ悪りいが委員長って面じゃねえだろ。で、理由は?」
「だってまーくん、とってもクラスメイト想いだと思います! まーくんのおかげでわたしもなっちゃんと仲良しになれました!」
なっちゃんてのは瀬川か。でも僕なんかしたっけ。
「待ちな日向。そいつは瀬川の事しか考えてねーだろ。クラスメイト全員のこと考えられるんなら、そんな奴放っておいてもいいはずだ」
目黒さんが立ち上がり異論を唱える。
「まあまあ、後にしろ。それとな目黒。そういうことは心で思っててもやすやすと口にするな。で、他に推薦するやつはいねえのか」
「ちっ」
目黒さんは舌打ちをして着席する。
「はい。俺は佐藤くんを推薦します」
河野くんが立ち上がり言った。どうやらこの場を収めるために佐藤くんを推薦したようだ。佐藤くん、ある意味犠牲になってるけど。
「昨日の一件で場を収めてくれたのは佐藤くんだし、周りで黙って見てた他の人たちよりは適任だと思います」
河野くん、もっともらしい事を知っているけれど、佐藤くんがものすごい勢いで睨んでるよ?
「クスクス」
「どうした欅」
「いや、みんな結構クラスのこと本気で考えてるんだなあって思ってね」
その台詞も欅が言うと説得力ないどころか怪しいよ。……といっても、その通りかもしれないな。さっき目黒さんが言った通り、僕はクラスメイト全員のために瀬川と仲良くしているわけじゃない。むしろ、千早さんたちを巻き込んだような感があって、僕が委員長になったって後ろめたいだけだろう。だったら佐藤くんや千早さんのような平等な人間が委員長をやったほうが良いに決まってる。
「男子しか挙がらんな。女子では誰か居ねえのか。どうせ男女の組み合わせなんだから早めに挙げとけよ」
「私は長島ちゃんを推薦します」
えーっと、名前分からんが、瀬川の前の席に座っている女子生徒が長島さんの名を挙げた。ふむ、そんなにしっかりしているのか長島さんっていう人は。
「ちょっと須藤ちゃん。先生、私は千早ちゃんを推します」
その長島さんは千早さんを推薦した。どうやら本人は委員長にはなりたくないらしい。
「あー、なんだ。須藤、なぜ長島を?」
「長島ちゃん二年の時も委員長やってたし。こういうのは経験が活きると思います」
「はい、長島」
「私なんかよりもほら、千早ちゃんの方がみんなと交流深いですし。それに、私なんかが委員長になったって、瀬川さんの事だって見捨てていたのに。クラスメイトのために動けないような私に資格なんてありません」
長島さんも長島さんで、昨日瀬川を庇ってやれなかった事を悔いているらしい。まあ、自分がやりたくないっていうよりも、自分には資格がないからやるべきじゃないっていう思いの方が強いのだろう。それだけプライドも高いということか。
「だったら千早ちゃんや尾崎くんみたいに、一人の生徒のためにも動けるっていうのはすばらしい事だと思います」
「……んー。理由はどうあれ、とりあえず四人出たな。他に居ない様なら男子は尾崎と佐藤。女子は千早と長島。この中から男子一人と女子一人を選ぶぞ。思惑は色々あるだろうが、良く考えて選べよ」
否が応でも僕と佐藤くんのどちらかが選ばれるわけか。他に立候補なり推薦してくれれば助かるんだけれど。
「……あたしは、尾崎や千早のことなんて認めないよ。佐藤や長島だって、瀬川がなんだと言いやがって。こんなやつなんて放っておけばクラスのためになるんじゃないのかよ」
再び目黒さんが立ち上がって異議を唱え始める。
「目黒、お前まだそんな事言ってんのか」
足立先生は難色を示した表情で目黒さんをたしなめるが、目黒さんは続けた。
「だってそうだろう。当たり前に考えてみろよ。自分の手首だって平気で切っちゃう奴なんだぞ。そんな気味悪い事するような奴と一緒に居てみんなは楽しいのかよ」
「俺も目黒に賛成だ。瀬川。お前にはそもそも自覚がないのだ。自分が存在するだけで他人に迷惑がかかっているとなぜ気付かない」
背の高い眼鏡をかけた男子生徒が立ち上がってそう言った。……流石にそれはちょっと言い過ぎなんじゃないのか?
「特に尾崎なんかは迷惑してるんじゃないのか。昼休みにお前がしでかした行動によって、彼はものすごく恥をかいたんだぞ」
……なんだって?
「は、長谷川くん。何もそこまで言わなくても……。これはクラス委員を決めるためのホームルームなんだよ?」
長谷川くんとやらの隣の席に座っている千早さんがなだめる。が、彼は鋭い目つきで千早さんを睨んだ。
「お前もだ千早。いいか、瀬川は人に迷惑をかけることが好きな人間なんだよ。そんな奴を庇うのであれば、お前だって同罪だぞ」
「ちょっと長谷川くん! それはいくらなんでも言いすぎだよ!」
「そうだぞ! ちーちゃんやなっちゃんに罪はない!」
前後で長谷川くんを挟む元気ペアも立ち上がって長谷川くんに抵抗する。
「黙れ! お前ら一体なんなんだ!」
「先生!」
足立先生は頭が痛そうだ。そりゃそうだろう。先生にとって、本来なら昨日の時点で決着をつけたと思っていた問題が目の前で勃発しているのだから。
「……仕方ねえな。いいだろう。だったらこの際お前らで話し合ってくれ。瀬川を一人のクラスメイトとして平等に扱うか。或いは、瀬川の存在を認めず、一人孤立させた生活を送らせるか。これはこのクラス全体の問題だと俺は認識している。だから、今日ここで、お前らだけで完全に決着させるんだ。いいな、俺は口出しはしねえぞ」
そうだ。遅かれ早かれこうなるだろう事は分かっていたんだ。これは僕が生み出した問題なのだろう。きっと、僕が瀬川と関わって、それをよくないと思っている生徒と衝突したからだ。……だからこそ、僕は責任を持って、瀬川の味方をしなくちゃいけない。
「瀬川、こっちへ来い」
僕もこの問題の中心として、立ち上がって瀬川を呼ぶ。瀬川は黙ってこっちを見る。どうしていいのか分からないと言った表情だ。
「いつまで瀬川と関わりを持つつもりだ尾崎」
僕も長谷川くんを敵意を持って見つめる。
「悪いけれど長谷川くん。君の言っていたことは間違いだと、僕が証明してあげるよ」
「ほう?」
「なぜなら、僕は瀬川と一緒に居て楽しかったからだ。これだけは断言できる。僕は瀬川が側にいたって、決して迷惑なんてしていなかったって」
長谷川くんが顔をしかめる。自分の憶測だけでものを言うから反撃の手段を失うんだ。
「尾崎くん……」
瀬川がポツリ僕の名を呼ぶ。
「君が来ないなら僕の方から行こうか」
「……いいえ。行くわ」
瀬川は立ち上がって僕の側に寄ってくる。僕は瀬川を温かく迎えた。僕だけではない。
「俺も瀬川さんの味方だよ。佐藤くんは平等精神だから、中立な立場で居たいんだろうけど、どうかな」
「いいや。俺の目から見ても、あいつらの言う事は間違っていると判断できる。だから今回はお前の味方だ、瀬川」
「……瀬川さん、昨日は本当にごめんなさい。私、反省したの。許してくれとは言わないから、言わせて。ごめんなさい」
「クスクス」
河野くんや佐藤くん。欅に、そして、鹿児島さんに。今の瀬川は孤立している一人の人間じゃない。僕をはじめとした色々な人たちに支えられている。
「ちょっと鹿児島! あんたなにやってるのよ!」
昨日は鹿児島さんと共に瀬川を罵っていた目黒さんが納得いかないというような顔をしている。心内では裏切られたと思っているのかもしれない。
「ごめんなさい目黒さん。でも私、気付いちゃったのよ」
「……何をよ」
「瀬川さんだって、私たちと同じ人間だって事。友だちと一緒に居て、一緒に笑いあったり、悲しんだりしたいんだって事」
「そんな……ふざけたことを……」
瀬川はふらふらと僕の方へ寄りかかってくる。顔は俯いていて表情が見えない。そっと肩を抱くと、少し震えていた。もしかしたら泣いているのだろうか。いずれにせよ理解できた。
瀬川が今まで平然と振舞っていたように見えても、心の中ではかなり苦しかっただろうことが。きっと、瀬川が自傷行為をするのも、そういった心のストレスを解消するためなんじゃないかと。
千早さんや野中、日向さんの三人も側に来てくれた。合わせて、卯の花さんも立ち上がり瀬川の側に寄った。僕の周りの席に座っていたクラスメイトたちは立ち退きを余儀なくされたが、かといって長谷川、目黒サイドに行く事もなかった。
「どうだ長谷川くん。瀬川のことを想ってくれているクラスメイトたちはこれだけ居るんだ。それでも瀬川のことを不必要な存在だって言えるのか」
「……ふん。まだ九人だろう? 残りの三十人が要らないと言えば、それで納得するか」
「ああ。してやろう。そのときは僕たちの方が少数派で間違っていたということになる。それは認めてやるよ」
思い切ったことを口走ってしまったが、自然と負ける気はしなかった。
「長谷川くん。悪いけど、私は瀬川さんに付くわ」
長島さんもこちらサイドへと加わる。これで十人。
「おい、気は確かか! 瀬川がどんな人間か知っているだろう!?」
流石に焦りの色が見えてきたな長谷川くんも。そりゃそうだろう。だって、あれだけ言っておいて長谷川くんサイドは目黒さんと合わせてまだ二人。
「……俺は長谷川の味方だぞ、尾崎」
「……」
勝俣くんか。それともう一人、瀬川と対立していた三人のうちの最後の一人、福島さんか。これで敵さんは四人。まだまだこちらが有利だ。
「……瀬川さんの何を知っていると言うの。何にも知らないからそうやって距離を置いているんじゃないの長谷川くん」
「なんだと、お前」
廊下側の席に座っていた女子生徒が言った。
「少なくともあたしは何も知らない。何にも知らないでこうして迫害しているなんて馬鹿みたい。あたしは、瀬川さんのことも含めてクラスみんなのことを好きになりたいし、瀬川さんだからとか、そんな理由で争ってみんなのこと嫌いになりたくないんだ」
「それでお前はどうするつもりだ守屋。こうして争わなきゃ解決は見られないんだぞ」
「あんたみたいな一方通行な考え方は大嫌いだ。だからあたしは――中立の立場をとる」
中立だって? つまり、僕たちサイドでも、長谷川くんサイドでもないということか。彼女、守屋さんか。守屋さんはそう言って、教室の中央に居座った。これで戦況は三すくみとなった。
「よく考えても見てよ。尾崎くんみたいに、一人の友だちを大切にするのも良いけれど、それで他のクラスメイトと対立したって気分が悪いよ。かといって、長谷川くんみたいに、全体のために一人を阻害するというのも納得できない。あたしからすれば、両者とも、このクラスのためには絶対にならないことしてるよ」
……そう、だよな。このクラスは瀬川を中心としているわけじゃない。だからこうして、瀬川をどうこうするなんて議論をしているのは無意味なんだ。
「だが守屋。だったらお前のような中立的な立場でどうやってクラス全体をまとめるんだ」
「……それは……」
「ろくに最善策も出せないのであれば口を出すな!」
守屋さんは黙ってしまった。……これでは埒が明かない。ここらで事態が好転するような出来事が起これば……。ん? そういえば、立川生徒会長はどちらに着くつもりなのだろう。目を瞑っていて全く動きを見せない。仮にも生徒会長なのだから、こういう問題では積極的に動くべきじゃないのだろうか。
「……さっきから一言も喋らないほかの連中はどうなんだ」
長谷川くんは教室中にまばらとなったクラスメイトたちを一瞥する。みんなは困り果てた様子で周囲の様子を伺っている。
「そうやって周りと合わせなきゃいけないような腰抜けばかりのクラスなのかここは」
「おい長谷川くん。そういう発言は慎め。何様なんだい君は」
「……いや、すまない。だがそうだろう。足立先生も言ったように、これはクラス全体の問題だ。俺や尾崎だけで解決するような問題ではない」
正確には中立派の守屋さんもいるけどな。
「何か意見を言えるものは居ないのか?」
「……僕も守屋さんと同じく中立の立場をとるよ。僕はやっぱり、昨日の一件を黙ってみてたわけでさ、今更瀬川さん側につくのも虫が良すぎると思うんだ」
いまだ子供らしさを兼ね備えた男子生徒の三ツ星くんが中央に移動する。三ツ星くんが動いたと同時に、他のクラスメイトたちもそれぞれ動き出した。……やはり、中立でいる事を望んでいる生徒が多いようだ。……これで僕たちの方は、瀬川を含めて十三人。長谷川くんサイドは五人。そして中立が二十人と圧倒的に多い。……いや、まだ動きを見せていないのが数人居るな。
「……残りはどうなんだ。特に、立川」
「…………」
長谷川くんは立川生徒会長の回答を促進するが全く反応がない。一体何を考えているのだろう。
「何を黙っているんだ立川!」
「うるさいわよ」
静まり返る教室。背が小さく、声がか細いが、とても透き通った声の持ち主が僕たちの方も向かずに発言をする。
「さっきから全く進展がないし、一体何がしたいのあんたたちは」
「今の今まで黙っていたお前が言えることじゃないだろう、七海」
七海と呼ばれた女子生徒が深い溜息を吐く。その後姿からも、彼女がかなりうんざりしているという事が見受けられる。
「それともお前がこの議論を終わらせるような、両者を納得させられるような案を出せるというのか」
「そうね。私が言いたいのは、議論するだけ無駄ってこと」
「なんだと? 俺たちは今、このクラスをより良くするために、瀬川のこれからを話し合っているんだぞ」
七海さんが二度目の溜息をつく。かなり苛立ちが募っているようだ。見た目がか弱そうなのに、芯の強い子なのだろうか。
「クラスを良くしたいんだったら、それこそこの議論は無駄じゃない。そもそも何? 瀬川さん一人をどうこうしてクラスがよくなるって言うの? お門違いもいいところよね」
「何がお門違いなのか、言ってみろ」
「私は瀬川さんがどういう人間なのか知らないけどね、クラスを良くするために一人を阻害するようなクラスを私は良いクラスだとは思わないし、瀬川さん一人を庇って他のクラスメイトたちと仲良くできないようなクラスも良いクラスだなんて思えない。かと言って、考える事を放棄して中立の立場に居座るというのも、目の前の問題から逃げているだけでなんの解決にもならない」
僕は彼女も瀬川と同様に、クラスで孤立をするタイプの人種だと思っていたのだが、それはどうやら勝手な解釈らしい。
「それじゃあどうするつもりだ。クラス全員で話し合い、全員が仲良く、全員が争わない、そんなクラスを目指すというのか?」
「私はその話し合いそのものが無駄だと言っているの」
「ではどうすればいいのだ。話し合いがなければ何も決まらないんだぞ」
「答えは簡単。話し合いによって何かを決めるからいけないの。いい? 話し合いで何かを決めるという事は、話し合いによって少数派の意見は抹消されてしまうという事。例え最終的に全員が納得しても、心の中では面白く思わない人もきっといる。その心のわだかまりは、争いの火種となりかねないのよ」
「だから話し合いそのものを放棄すると言うのか。それは考えることを放棄するというのと、どう違う」
七海さんの三度目の溜息。もう説明が面倒くさいといった雰囲気だ。
「話し合いは放棄するというよりも、最初からする必要なんてないのよ。いい? あなたが言っているクラスをより良くするなんてのはね、みんなでルールを決めて、みんながみんなそのルールに従おうって事でしょ? 法は秩序を司るの。でも良く考えてもみなさいよ。ルールを決めて、それを人に強いるという事は、それだけ自由がないということ。私たちはみんな一人の人間なのよ。誰かの言いなりになったり、このクラスのために自由を束縛されるという状況を誰が納得できるのかしら」
「それはお前の個人的な考え方だろう。それに、みんながルールを守れば、それで確実にクラスは良くなる。そうだろう?」
「確実に悪化する。少なくとも私はごめんよ。ただでさえ校則に縛られている中、クラスでまた別のルールに縛られて生活するのは窮屈でたまらないわ」
……そうだ。僕は何を考えていたのだろう。瀬川を庇って、みんなと瀬川を仲良くさせよう、なんて考えてなかったはずだ。だとしたら、僕は長谷川くんに、君は君の好きにすればいいと、一言言えば簡単な話だったんじゃないのか。そのかわり、僕の方も好きにさせてもらうよと。わざわざこうしてクラス中を巻き込んで対立なんてしなくても良かったのだ。……全く、気付くのが遅すぎる。
「……そういう自己中自分勝手な奴がこのクラスを……!」
「もういいよ、七海くん」
長谷川くんの沸騰しかけた頭を一人の男が発した声が冷却させる。とうとう動き出したか。生徒会長、立川響。クラス中が彼に視線を集中させる。
「ふあああ。眠いな、どうも」
立川生徒会長は大きな欠伸をする。そして胸のポケットから眼鏡を取り出し、眼鏡拭きで悠長とレンズを拭いている。
「……貴様、今の今まで何をしていた。仮にも生徒会長だろう! この一大事にその態度はなんだ!」
立川会長は眼鏡拭きを丁寧に折りたたみ、眼鏡をかける。……なんだろう、この威圧感は。前々から会長は只者ではないと思っていたが、実際こうして目の前で彼が喋っているところを見るのは初めてだからな。
「だって、とても退屈だったからさ。ああ、そういえば紳士は大口開けて欠伸なんてしてはいけないんだったっけ」
「退屈、だと?」
「いや失敬。本当のこととは言え、こういうことをうっかり口にしてしまうのはおれの癖なんだ。怒らせてしまったかな? そりゃそうだろう。おれはきみが怒るだろうと予測し、わざと退屈だと言ったのだから」
「貴様、俺をおちょくりたいだけなのか!」
長谷川くんの怒りは完全に爆発した。ものすごい剣幕で怒鳴りつけている。だが立川生徒会長は依然と変わらぬ様子で悠長な態度で席に居座っている。
「勿論。おちょくっている。はっはっは。やはり君のような人間を弄んでいると気分が愉快になるよ」
「この!」
しびれを切らせた長谷川くんが立川生徒会長に本気で殴りかかった。馬鹿な、足立先生も見ているんだぞ!
「……!?」
だが生徒会長はその拳を受け止めるような事はしなかった。ただ微笑を浮かべて、そして、最小限の動きで長谷川くんの拳を回避した。
「とうとう暴力か。退屈な奴だな長谷川くん。きみ程度の人間をおちょくるなど、おれにとっては単なる準備運動にしか過ぎないっていうのに」
立川生徒会長は立ち上がり、続けざまに繰り出される長谷川くんの拳を回避し続けた。おかしい、いくらなんでも一発も喰らわないなんて、ありえない。
「はいはいもうお仕舞い。疲れただろう? それで、長谷川くんはおれに何を望んでいるというんだい?」
「はあ、はあ。……くっ」
「さっききみはおれのことを、仮にも生徒会長だ、とか言ってたよね」
「……ああ」
「確かにおれは生徒会長だ。おれはこの学校の生徒たち全員の代表だよ。……でも、それがどうした?」
「……なんだと?」
「きみは生徒会長の一言がこの場を治められる絶対的な効力を持っているとは間違っても考えているわけではあるまい? おれは王でも神様でもないんだ。だからおれが何を言ったところで、きみに納得してもらえるとは思えないんだよ。……きみは頭が固いからね」
立川生徒会長は悠然と語る。とても落ち着いて、ゆるぎない言葉には彼の自信の全てが込められているようだった。いや、大げさではなく、彼なら王にだってなれるだろう。
「……ならば聞かせてもらおう。立川、お前は尾崎たちに着くのか、俺たちに着くのか。或いは中立か。もしくは、七海のように話し合いを放棄するのか」
「それはなんだい? まるで派閥争いをしているようだな。それこそ七海くんの言ったように無駄な事だよ。……そうだな。強いて言うならば、おれは七海くんと同じ意見だ」
「……納得できないな」
「勿論、きみがそう言うことは知っていた。だが一つ、教えておいてやろう。おれはな、自由というのが何よりも好きなんだ。自由な事をし、自由の中で生き、そして自由を求める人間たちをおれは拒まない。だからな、長谷川くん。そして尾崎くん。君たちのような人間はな、おれは嫌いなんだよ」
立川生徒会長の言葉には重みがある。伊達で生徒会長を名乗っているわけではない。僕は立川生徒会長の言葉を受け止めた。
「先ほど七海くんが述べた事は全て正論だと、おれが断言しよう。そして尾崎くん。君ほどの男なら、もう気付いているんだろう?」
ふいに僕に話を振ってくる立川生徒会長。僕の身体が自然と硬直する。とても同い年には思えない。
「気付いて、どうすればいいか、分かっているはずだ」
「……尾崎くん?」
瀬川が僕の顔を見つめる。……ああ、分かっているさ。僕がやるべき事はただ一つ。
「会長。今からでもやり直せるのか?」
「勿論。君がやり直したいと思えるのならばね」
「……ありがとう」
僕は瀬川を千早さんらに任せて長谷川くんの方に歩いていく。長谷川くんは驚き身構える。僕はもしかしたら長谷川くんに殴られるかもしれないな。僕なら余裕で避けれるけれど、避けるわけにも行かない。
「長谷川くん」
「……なんだよ」
「ごめん」
僕は長谷川くんに思い切り頭を下げた。僕の目には長谷川くんの足元しか映っていないが、きっとクラス中が驚いているんだろうなあ。
「な! 何をするんだ尾崎!」
「……瀬川。君にも、ごめん」
僕は瀬川の方へ向き直り、同じ動作をした。
「尾崎くん、一体……」
「そしてみんな。ごめん」
僕はクラスメイトたち全員に、自らの頭の頂点を見せた。千早さんや卯の花さん。河野くんに佐藤くん。欅や鹿児島さん。そして、目黒さんや勝俣さんや福島さん。中立派の人たち。僕がやるべきことは、クラスみんなへの謝罪だった。
「……気が済んだか尾崎くん」
「ああ。ありがとう会長。きっかけをくれて」
「いいのさ。さて、長谷川くん、何か言うことはあるか?」
長谷川くんは完全に困り果てている。そりゃそうだろう、瀬川阻害派の人たちにとっては僕の行動は理解できないもののはずだ。
「何故だ。何故尾崎が謝る必要がある」
「尾崎くんは、クラスメイトたち全員に迷惑をかけたということを謝罪したんだよ」
「馬鹿な。まだ決着は着いていない」
「長谷川くん。決着を着ける必要はもうないよ。そもそも、僕たちはなにを勝負する必要があったんだ? 七海さんや会長の言うとおりだ。僕たちはそれぞれ、好きなようにすればいいんだ」
長谷川くんは困惑している。彼は頭が固いようだから、僕が言ったことを理解してくれるかどうか。
「それでは俺たちがしてきたことは一体……」
「全部、無駄だった。君としては瀬川をクラスから阻害させたいという気持ちは失ってはいないだろうけど、でも、クラス全体を巻き込んですることじゃなかったんだ」
「……クラス中の理解が得られなければ意味が……」
「意地を張ると身体に良くないぞ長谷川くん。クラス中の理解を得られるのであれば、クラスというものは自然とそのように動いていくものだ。だがどうだろう。こうしてわざわざ議論を交わしたせいで余計にぎくしゃくしてしまっただろう? 話し合いの決定的なデメリット。クラスをよりよい方向へと動かしたいのであれば、デメリットを含んだ話し合いなど最初からするべきではないな?」
「……だが、自然に任せてクラスの雰囲気が悪くなってしまったら……」
「そのときはそのときだ。今回の場合、どう考えても自然とはいえない。きみや尾崎くんが意図した対立をしてしまったからだよ。おれは今日の昼休み、瀬川くんたちのやり取りを見て、クラスのみんなが笑顔になっていたのを記憶しているよ。だからといってきみたちが悪いと言うわけじゃない。ただいけないのは、必要もない議論を無理やり交わしてしまったことだ」
クラス中が立川生徒会長の言葉に聞き入っていた。重い。
「俺は間違っていたのか? 立川」
「失敗を犯すという事を間違いとは言わない。その失敗を活かせるというのであれば、これはむしろ正しいんだ」
「……分かった」
長谷川くんは意を決して僕の目を見据えた。
「尾崎。この一件は保留だ。お前が瀬川との関わりを持ち続けたいというのなら好きにするがいい。だが、あくまでも保留だ。それでこのクラスの雰囲気が悪くなるような事があれば、その時こそ再び議論しなければならない」
「分かってる。一時休戦だね」
僕は長谷川くんに右手を差し出す。長谷川くんは一瞬ためらい、僕の手を握り返した。まるで条約を交わした重役たちを称えるかのようにクラス中で拍手が沸き起こった。長谷川くんも、今回のような騒ぎを起こした張本人としてみんなに謝罪をしていった。
「会長。助かったよ」
「おれは礼を言われるような事をした覚えはないよ。あまりに退屈すぎて最初の方は眠ってたほどだから」
あれは寝てたのか?にしては起床後の立ち振る舞いがやけに自然すぎて違和感がある。……もしかして。
「……あんたもしかして、最初からこうするために黙ってたんじゃないだろうな」
「なんのことかなあ? 言ったろ、おれは退屈してたんだって」
「……はあ。今はそういうことにして置いとくよ」
僕は瀬川のほうに戻る。瀬川の震えは止まっていたが、やはり俯いていて表情が読めない。
「良かったね尾崎くん。とりあえず和解できて」
「千早さんたちも迷惑かけたね」
「クスクス。ボクは見ているだけで楽しかったけどね」
こいつは……。まあ、なんだかんだで僕たちの味方をしてくれたんだけれど。
「……尾崎くん」
瀬川がようやく顔を上げる。……目が赤い。
「あれ、瀬川泣いてるの?」
「……目薬よ」
そういって顔を背ける瀬川。そのまま自分の席へと戻っていく。すれ違いに彼女が何かをつぶやいているのが聞こえたが、その言葉を胸の奥に仕舞い込んで、僕も席へと戻る。
散り散りになっていたクラスメイトたちも元の席に座り、ホームルーム開始時の状態へとようやく戻った。……全く、このクラスに立川生徒会長が居なかったらどうなっていたことやら。
「あー。やっと終わったか。じゃ、再開するぞ。クラス委員の推薦で挙がっているのは……」
そういえばその話か。なんだかどっと疲れた。長谷川くんは保留と言っていたが、正直なところ、もうこんな真似はやりたくない。それはクラス中も望むところなのだろうから、クラスはより一丸となって、そう、自然によりよいクラスを目指すようになるのだろう。やれやれ、立川生徒会長は何を考えているか本当に読めないけれど、そのカリスマ性は本物らしいな。
僕も、これからはもっと瀬川の側に居てあげよう。長谷川くんと対立する訳では決してなく、僕は僕なりに、このクラスのために、瀬川と友だちでありたいと思うのだ。