第二章・004
人の世の中には、なんて汚らしい感情がうごめいているのだろう。
いや、汚らしいだなんて表現はしてはいけないのかもしれない。僕だってそんな感情を全く感じることなくこれまで生きてきたわけでは勿論無い。聖者だって始めから聖者なわけじゃないんだから、そんな感情を抱いていたはずだ。人間だったら誰だって、当たり前のように感じている事。
たとえば誰かが誰かをどうしようもなく好きになって。それでも相手が自分を振り向いてくれなかったならばどうだろう。その人のことをずっと好きでいられるだろうか。
たとえば誰かが自分よりも優れた才能の持ち主だったなら。自分はその人のことを一切妬まないだろうか。どうして自分ではなくあいつが、と心の中で感じていたりしないだろうか。
たとえば誰かが自分のことを見下していたら。同じ位置にいるはずのあいつが、どうして自分をあんな目で見ることができるだろうかと。目の敵にしないだろうか。
たとえば誰かが、自分が求めていたものを手に入れてしまったなら。本来それは自分のものだと、どんな手を使ってでも奪い返したやるだなんて、考えないだろうか。
汚らしく思えたって、汚らしいだなんて他でもない自分自身が口にできることじゃない。自分が人間である限り、感情に依る生き物である限り、僕たちはそんなものとずっと一緒に生きていくしかない哀れな生き物なんだから。
響くんの話を聞いて、僕の中ではそんな考えがより深く、より一層強くなった。……本当にどうしようもない。
人を妬み、人の心を乱して声を奪ったと主張する少女や、自分が抱いている恋心を踏みにじられた少年。同じだ。どちらの心にも狂気がそこには存在した。違いがあるとすれば、救いがあるか、救いが無いか。救えるうちなら僕が救ってやろう。少女のように。
だか少年、君のことはすくえない。その狂気が僕たちの方を向いていているというのだから。僕はその狂気に立ち向かわなくてはならないのだが、さて、どうしよう。
響くんの話を聞いてから、瀬川はショックを受けてしまった。そのストレスは計り知れなかっただろう。それでも瀬川は耐えた。自らを傷付けず、耐え忍んだ。耐え難きを耐えた。
彼のような嫉妬がそこに入り込む隙なんて無い。僕たちが葬ってやろう。
そして今日は火曜日。昨日、結局久家さんの元へは行けず、僕たちは瀬川を家まで送っていったのだが、どうしても家に帰る気分ではなかったし、瀬川の側に居てやりたかったので、僕は家の人に泊めてもらえないか頼んでみた。しかしながらやはり、男である僕が泊まるより、同性である山田さんが泊まったほうがいいだろうということになって、僕は家に帰った。瀬川の家の人に事情を説明するのが多少面倒だったが、そこは響くんが適当にはぐらかした。
さて、火曜日という事はやっぱり学校に来なくてはならないが、今の僕は到底そんな気分じゃない。否、行くべきじゃない、と言ったほうが正しいか。
これも響くんの忠告、だ。
彼はいつも通り学校に行っているだろう。ちゃんと授業を受けているかどうかは別として、学校にはいるはずだ。昨日、響くんたちから携帯の番号とアドレスを貰ったので、随時状況を伝えなくてはならない。いくらなんでも大げさじゃないか、と僕は思ったものだが、どうやら事態はそんなに安心してもいられない状況らしい。
とりあえず僕はまず、瀬川に電話をかける。しかし、電話に出たのは別の人だった。
『もしもし』
「もしもし? もしかして山田さん?」
どうやら山田さんは学校には行かないで瀬川の家に残っているらしい。
『はい。おそれながら卑しく下賎な山田でございます。蒔良さんとしては可愛い可愛い彼女であるところの奈々実さんじゃなくて残念でありましょうが、第一声が卑しく下賎な山田で酷く落ち込んだところでございましょうが、どう足掻いたところで山田なのです』
「うん。分かってるよ。そこまで言わなくてもいいじゃないか。……ところで、瀬川は」
『奈々実さんは未だ起きる気配がございません。いいえ、起きてはいますが活動に移る気力が全く無いそうです。電話に出る元気すらないそうです。彼氏としては残念でしたね』
「……きみさ、実は僕のこと虐めてないか?」
人の不幸は蜜の味、というほどではないけれど、なんだかそんな雰囲気が電話越しに漂ってくる。山田さんの自分を下げる性格、というか信念については昨日響くんから聞いて納得をしているため、山田さんの言い回しにはいちいち棘が生えているような気がしてならない。……そういう感じ方をするようになってしまった。
『いえいえ、ご勘弁を。今は冗談をいっている場合ではありますまい。ですけどそうですね、ずっと緊張ばかりしていては考えられることも考えられなくなってしまうため、多少はボケても罰は当たらないでしょう。……というわけで蒔良さん、今から面白いネタを披露しちゃってください』
「きみは僕に何を求めているんだい? そして言っている事と言っている事が矛盾しているんだよきみ!」
言っている事とやっていることではない、あくまで言葉上の矛盾だ。
『これはこれは、卑しく下賎な私の行動に矛盾など、まあ、全く無いとはいいませんが、一割ほど健全な行動をしている私に対してそんなことを言うとは蒔良さんも人が悪い。恐れながら僭越ながら言わせていただきますと、いくらなんでもそれは失礼ですよ』
「だから一割じゃ少なすぎるだろ。どう考えても矛盾だらけだ。ところできみは僕のこと嫌いだったりするのかい?」
『あなた様は今私に、僕のことが嫌いなのか、と問われましたね。ならば卑しく下賎な私はこう答えましょう。質問に対して質問で返すという愚行ではありますが、それは私が蒔良さんのことをどう思っているのか、という解釈でよろしいのでしょうか。もしそうなら、蒔良さんが大好きで愛してやまない奈々実さんの前で、アイラブユーと囁いてもいいのでしょうか』
性質の悪すぎる冗談だ、そんなことを言われたら後で瀬川に何をされるか分からない。……いや、もう手遅れかもしれないが。
「どうか、僕をこれ以上虐めないでくれ。僕だってちょっとは参ってるんだから」
『……そうですか、それはすみませんでした。聞きましたか奈々実さん、蒔良さん、既にあなたに参っているから私とは付き合えないという断り方をしましたよ。まあ卑しく下賎な私が蒔良さんのお膝元に置いておかれる訳も謂われもないため丁度いい、といより重畳でございますため結構な事ですが』
「僕はそういう意味で参ってるって言ったんじゃねえ! そしてやっぱ山田さん、僕のこと嫌いだな! さりげなく酷いこと言ってんじゃねえか!」
断られて嬉しいって言われてたんだぞ、僕。
『……尾崎くん』
そこで瀬川の声がした。元気が無い声、いつもの張り合いがない声。いつもより抑揚の無い声。……瀬川はまだショックが抜け切っていないようだ。
「瀬川、大丈夫か」
『私は大丈夫。だけど、もしかしたら尾崎くんが大丈夫じゃなくなるかもしれないから、とりあえず、家に来ない?』
「……山田さんの言っていることを真に受けないでね」
『いやですね蒔良さん責任転嫁とは。卑しく下賎な私はそんなつもりで言っていたわけじゃあありません。まあ、卑しく下賎な私の言葉など、蒔良さんにとっては卑しく下賎にしか聞こえなかったでしょうが』
「あのなあ山田さん」
『それはそうと』
山田さんが僕の言葉を遮るように言った。こんどは真面目に、真面目そうな声色で。
『どうか早く奈々実さんの側に居てやってください。今はご家族揃ってお仕事に行っていますので』
「ああ、分かった。すぐ行くよ」
僕は簡単な支度だけ済ませて、自転車にまたがって瀬川の家に向かった。
途中、昨日響くんから聞かされた話を思い出しながら。
開かれた生徒会室の戸。そこに立つ立川響生徒会長の姿はまさに、まさに王者さながらの姿だった。大げさにもそう表現してしまえるほどの堂々としたいでたち。油断をすれば取って食われるかもしれないという底知れぬ威圧感。多少の喧嘩ぐらいなら自信がある僕でも、和久井や姉さんと幾度と無く喧嘩をしてきた僕でも、響くんにとってみれば、ただ黙って食われるだけの獲物。小動物。そう感じてしまえるほどの絶対的な捕食者、食物連鎖の頂点に位置する存在。そんな響くんの威を狩ろうとする者は問答無用で狩られるのだろう。おそらく、響くんの背後に立てるものはいない。響くんの後ろには、誰もいない。副会長の山田さんでさえも、きっとそこには到達できないだろう。僕は何故だかは分からないが、そう断言できてしまえるほどの恐怖を覚えた。これから響くんが話してくれるであろう「事情」など、今となっては忘れてしまえるほどに。
当の本人はただそこに居るだけなのに。
響くん自身はただ薄く微笑み、僕たちを見下ろしているだけなのに。
ただただそこに「在る」だけなのに、どうしてこうも逃げ出したくなるのだろう。
僕にはその理由は分からなかった。いや、理由などどうでもよかった。そんなものを考えている理由など今の僕にはなかった。考えても、考えるだけ無駄だろうという結論がきっともたらされることだろう。
立川響という人間はそういう人間なのだから。
理由など無い。
強いわけじゃない。弱いわけじゃない。特別なわけじゃない。普通というわけじゃない。異常というわけじゃない。立川響という存在は「そういうもの」だ。そうとしか表現のしようがない。
「ん? どうした皆の衆。揃いも揃って呆けた顔をしているぞ。飯はちゃんと食っているか。とくに山田、お前はただでさえ寝不足なんだからな、無理は禁物だぞ」
響くんの威圧感に気圧されたのはどうやら僕だけではないらしい。瀬川も山田さんもじっと響くんの様子を伺う。
「なんだなんだ? おれはもしかして嫌われているのか?」
「……やあ響くん」
僕は努めて冷静に、響くんに言った。
「おう電信柱。いや、尾崎くん。……ここに居るという事は、おれが依頼した調査の報告というところだろうがまあそれはいい。おれもお前たちに伝えたいことがあったところだ。だがまあ、堅苦しい話は後にして、まずは軽く世間話から入ろうか」
「あ、あの、会長」
いつも通りの調子の響くんにおびえる様に山田さんが言う。
「その件ですけれど、卑しく下賎な私は話を聞くべきではないと思います。いいえ、聞きたくありません」
「ああ分かっているとも。今欅が校門にてお前を待っている。おれたちの話が終わるまで欅と二人で待っていてくれないか。まあそのまま家に帰ってしまっても構わない。だが、場合によってはお前の力が必要かもしれない」
場合によっては、というのはどういうことだろう。
「はい、分かりました。会長の言うとおりにします。それでは蒔良さん、奈々実さん、卑しく下賎な私は後で合流する事にします。……それでは失礼します」
山田さんはそれだけ言うと、生徒会室から出て行った。それほど「事情」を聞きたくないのだろう。いや、山田さんは既に響くんから聞いて知っているんだったか。だったら、もう二度と聞きたくない事情、ということなのだろう。
「ふむ」
響くんは一度だけ頷くと、僕たちの左隣に位置する会長席に座る。自然、響くんが僕たちの側に居る事になり、僕はなんだか居づらくなった。
「そう縮こまらないでくれ。瀬川くんも、この場にはおれや尾崎くんしか居ないのだから、肩の力を存分に抜いてリラックスしてくれたまえ」
響くんの側でリラックスだなんて、それってライオンの目の前で胡坐をかいているようなもんだろう。いつ殺されたって文句をいえないような状態だ。いや、響くんの場合、たまに狩りを失敗するようなライオンと比べちゃいけないだろう。この人なら、絶対に狩りを成功させる。失脚する事などありえない、絶対的な王者。神に最も近い王者だ。
「それじゃあ楽しい楽しい世間話から始めようか。そういえばおれは、君たちと世間話らしい世間話というものをしたことがなかったな。うむ、生徒会長としてこれはいかんな。一般生徒たち一人一人とちゃんと話をしてこそ、立派な生徒会長だ。さてところで、どんな話をすれば君たちと盛り上がれるのだろうか」
響くんと楽しい世間話なんてできるんだろうか。こっちは萎縮しっぱなしだって言うのに。
まあいいだろう。僕もここいらで響くんに慣れておこう。どうせ同じクラスだし、何かと関わる事もあるだろう。
「じゃあ響くん。響くんって兄弟っているの?」
「その前に立川くん」
僕が適当な質問をしたところで瀬川が割って入った。
「あなたって欅くんとどういう関係なのよ。それと、山田さんと欅くんの関係は? 山田さんってなんだあんな自分を貶めるような性格をしているの?」
世間話というか思い切り堅苦しい話から始めようとしている瀬川だった。まあ、響くんに対して手を抜いてちゃあ駄目なのは分かるが。
「いきなり人のプライバシーを探ってくるか瀬川くんは。それもまあいいだろう。きみらがそういう話に興味を持つというのならおれが答えるのはやぶさかではないし。じゃあまずおれと欅の関係だが」
見たところ、欅よりも響くんの方が立場は上のようだけれど。そこになんらかの事情があれば聞いておきたいところだ。欲を言うなら、欅の弱みを握りたい。
「単なる幼馴染というやつだ。欅とは小学校依頼の付き合いで、欅と山田もまた幼馴染同士だ。あの二人は本当に仲がいい。山田が唯一心を開く人間が欅だ。だがおれと山田が知り合ったのは高校に入ってからだ。正確には一年の後半、生徒会に立候補したとき知り合った。欅が山田を生徒会に推薦したのだ」
へえ、幼馴染、ねえ。というか山田さん、欅と仲がいいってやっぱり変だよあんた。つうか僕の周りには幼馴染同士の関係が結構居るな。
「それからは三人で一緒に行動する機会が多くなった」
「山田さんのあの性格は欅くんのせいだったりするのかしら?」
「いや、山田のあの性格はだな。おそらく山田自身こう言っていた筈だ。『自分は自分を貶めているわけじゃあありません』とな」
うむ、確かに聞いた。でも、僕にはどうしても分からない。山田さんが自分の事を「底辺」だと言い張る理由が。
「山田は別に、自分だけが『底辺』だと言っている訳じゃあない。自分を含めた自分以外の全ての人間も生まれながらにして『底辺』で『卑しく下賎』だと思っているんだ。だからやつは、他の誰をも上に見ることも下に見ることもしない」
「でも私たちの事を高貴なる、とか、私たちを持ち上げる表現をしょっちゅうしていたわよ」
「それは単なる皮肉さ。本当にそう思っているわけではないし、そんなこと間違っても思わないだろう。じゃあなんで山田は人間を「底辺」に見るのだろうな? その理由を聞きたいか?」
聞いても結局同じ答えが返ってくるような気がした。僕たち人間は始めから「そう」いうもので、理由なんてものは存在しないのだと。
「今尾崎くんが考えているであろう答えのほかにもう一つ。簡単なことさ、ただ単に、山田が生まれてから今まで、人間が「底辺」より上の存在である証明が為されなかっただけのこと。「底辺」であるのに理由がないのと同じように、「上」に見れるだけの理由もまた、ないのだ。この世界で始めから頂点に位置する存在など無いだろう? 山田にとって人間というのは、スタート地点である「底辺」から一段も上がれていないのさ」
証明が為されていないから、底辺。それはまた、人間らしい解答だった。人間というのはなんでも証明をしたがる生き物だ。証明が無ければ何も証明されないだけ。それは「無い」のと同じ。
人間勝手な理屈だけれど、科学は即ちそうやって発展してきたのだ。
僕はその意見には同意しかねる持論を持っているのだけれど。
「理解できたかな瀬川くん?」
「……まあまあね。まあ、あなたちがどういった関係であるかなんて本当はどうでもいいのよ」
どうでもいい質問を平気でする瀬川であった。瀬川の性格がなんでこういういい加減なものなのかという理由を聞かれても、僕はやっぱり、そういうものだからとしか答えられないのだろう。
「そうか。それで、尾崎くんの質問だけど、おれの兄弟構成だっけ?」
「ん、ああ……。なんか今となってはどうでも良くなっちゃったけど」
例え兄弟が居たところで、それが似たもの兄弟だと末恐ろしいしな。
「ふむ。まあ、ただ間をもたせるだけの質問である事は分かっているさ。だがおれは、例えそんな思惑があったところで全く構わない。むしろ、おれは君たちともっと話しをしたいと思っているぞ」
「どうして?」
「そりゃあ、おれという人間がこんな人間だからな。誰もおれと対等な話をしてこない。おれと対等だと思っている人間なんてそれこそ欅くらいのものでな。或いは、尾崎くん、君の姉君とかね」
……姉さんとも知り合いか。まあ、僕の家族構成などとうに割れていてももはや不思議ではないだろうな。確かに姉さんなら、響くんとも対等に話せるだろうけれど、僕としては、姉さんの顔見知りの一人に響くんという大物が追加されただけで懸案事項が増えた感じだ。
「まあそれはいいとしよう。そしてこれはおれからのお願いだが、どうか君たちも、おれとは対等の立場で居てくれないか」
正直に言えば荷が重いし気が乗らない。ただでさえ僕は響くんの存在感にびびっているというのに、それを対等だなんて。山田さんじゃないけれど、それこそ恐れながら、だ。
「……無理だよ響くん。僕と君とでは器が違いすぎる。僕が君に抱いている感情は畏怖だよ。怖いんだ、君が。本当は今すぐに逃げ出したいくらいに」
「正直に言ってくれてありがとう尾崎くん。だが君たちになら、おれと肩を並べられるほどの器がある。おれにはできないことが君たちにならできる。おれをそこまで持ち上げてもらっちゃあ困るな。おれは確かに自分の力を信じている。おれと比べたら周りの人間の力など小さい。小さすぎる。しかしきみたちは違う。おれと等しく大きな力を持っているんだ」
その時点で僕と響くんとの明確な違いが現れているじゃないか。絶対的な力を信じる響くんと、そんな力と対等に在れるわけが無いと思う僕。それだけで計れる力の差。レベルの違い。僕が生まれながらに底辺なら、響くんは生まれながらに王者だ。それほどの違い。
「尾崎くん。なにもおれは万能というわけじゃあない。それだけはわかって欲しい。そして、自分の力を疑わないで欲しい」
響くんが言った。
「瀬川くんもだ。いいか二人とも。他でもないこのおれがそう断言できるのだから、間違いは無い。自分とおれとの力の差を感じているのならば、せめてこの言葉だけでも信じる気はないか」
王者の言葉を僕は頭の中で反芻する。
何度繰り返しても、やはり僕が響くんと対等になれるわけは無かった。
僕がそう思っているんじゃない。響くんがそう思っているんだ。元々対等な人間なら、この問いすら必要が無いのだから。
「おれの願いが敵わないのであればそれでも構わないさ。だが、いずれ、な」
「……考えておくよ」
考えても結論など出ないかもしれないが。
「うむ。……それで、おれの兄弟構成だが、実は中学生の妹が一人居る。おれと違い友達も多いみたいでなによりだ。おれの事はよく慕ってくれているし、おれも妹の事は可愛いと思っている」
別に言わなくても良いことまで喋ってくれる辺り、人は良いよな響くん。しかし、今の説明だけで判断するのはいささか早いかもしれないが、響くん、実はシスコンだったりするんじゃないだろうか。いや、別に兄として当たり前の感情なのかもしれない。
「ずいぶんと妹さんを可愛がっているのね。私には姉妹が居ないから分からないわ」
「まあな。あいつはおれに比べてよっぽど常識人だし、どうかこれからもおれを目指さないで欲しいものだ」
妹に自分のようにはなって欲しくは無いらしい。それにしても、響くんの妹でありながら常識人であるとは、一体兄と妹とでどのような教育の違いがでているのだろう。
気にする必要はないか。
「……まあぼちぼちおれの事などおいておこう。そろそろ本題に入るが心の準備はいいか?」
本当に無駄な話をしてしまった。僕は気持ちを切り替えて響くんの言葉に耳を傾けようとする。
「覚悟は決まったようだな。それでは話そう。どこから話したもんか……そうだな、まず、おれから君たちに依頼した鈴木正時の身辺調査についてだが、鈴木正時の身辺自体に特に問題はないようだ」
身辺自体に。という言い方が僕には気になった。それではまるで、鈴木正時本人に破問題があるように聞こえる。
「……尾崎くんは既にそういう可能性について考えているようだね。うむ、その通りだ。君たちが調べたのはあくまで鈴木正時の身辺であって、鈴木正時本人についてはあまり調べては居ないんだろう。それはおれがうっかり身辺調査だと言ってしまったからだが、それが幸いしたようだ、彼はまだなんの行動も起こす気はないらしい。現時点では」
「つまりそれってどういうこと? 鈴木くんが私たちに何かするかもしれないってこと?」
瀬川が響くんに問う。……もしそうだとしても、鈴木くんに何ができるだろうか。からだが弱く、力も無さそうな鈴木くんに。
「その可能性は高い。いや、君たちに限らず、な。現時点では誰一人として鈴木正時の標的にはされては居ないようだ」
「鈴木くんが危険人物だと?」
「あくまで可能性だ。証拠が不十分で断定はできない。もしかしたらおれたちの気のせいだということもある。……まあ、これまでの経験から物を言わせて貰えば、そっちの可能性のほうが低いだろう」
鈴木くんが危険人物、ねえ。とてもそんな風には見えなかったけれど。実の兄を亡くし、両親をも早くから亡くしてしまった鈴木くんの心中は察して余りあるけれど、それでも何かをしでかすような人間には見えない。……まさか兄や両親の死因に関係するとか。だれかに殺されてその復習だとか。
いや、それはないだろう。でなければ響くんの「標的にされる」という表現はおかしい。
「鈴木くんが危険人物である根拠は?」
「どれもこれも不確定な要素ばかりなんだが、一番の要因はとある薬物だ」
「薬物? ドラッグってこと?」
「いわゆる麻薬というやつだ。だがそれは一般に広まっているものではなく、とある人物が個人的な実験のために開発したもので、利益目的ではないから裏社会でよく出回るようなものではないらしい」
その薬物を鈴木くんが服用しているということか?
「もちろんこれも証拠は無い。おれ自身薬の現物を見たわけじゃないし、そんな薬のことは寡聞にして聞かない。知り合いの警察になんとなく探ってみても得るものは無かったから、その薬の事は正直に言って半信半疑だ」
「じゃあどうしてその薬の事を知っているの?」
「情報をくれたのは宮大輔さんというおれの知り合いだ。……尾崎くん、もしも君が宮さんに会うことがあれば、おれの存在がどれだけちっぽけか思い知る事になるだろう」
その話に既に信憑性がねえよ。響くんがちっぽけに見えるほどの人間なんて姉さんぐらいしか僕は知らない。いや、これは姉さんが本気になったらの話だが、本気になる姉さんなんてこの世に居ないから、平常モードだと流石にちっぽけには映らないか。
じゃあその宮さんってどんな大人物だよ。
「宮さんの話はいつだって半信半疑に聞いてはいるが、何せあの人は顔が広いからな、おれにくれる情報は大抵真実味を帯びているんだ。どうやら誰かにその情報を話すときには、大体自分自身で裏付けをとってしまうらしい」
「じゃあ今回のことも?」
「他ならぬ宮さんからの情報だ、鵜呑みにはできない」
響くんはどうやら、その宮さんの事を信頼しているらしい。……響くんがちっぽけになるほどの大人物、一度でいいから会ってみたい気はするな。
「その宮さんとやらの情報で鈴木くんが危険人物であることは分かっているんでしょう? 薬物を使っているのなら、それこそ警察に任せたりはできないのかしら?」
「……それはできないよ瀬川」
さっきから響くんが喋ってくれていることは全て不確定な情報だ。証拠は何一つ、ない。証拠が無ければ警察は動けないし、現時点での鈴木くんはなんの事件も起こしちゃあいない。そんな一介の高校生相手に、例え僕たちが警察に訴え出たとしても動いてくれるわけは無い。
「そういうことだ、瀬川くん」
「証拠が無いのなら、鈴木くんを危険人物である前提で話を進めるのはおかしくはないの? いくらその宮さんの情報が信頼できるからって、証拠が無ければ信憑性は無いんじゃないの? 宮さんが嘘を吐いているとか、宮さん自身が偽の情報に踊らされているとか」
瀬川の言うことも最もだ。それはもっともすぎる答えで、僕自身も、響くんが何か決定的な情報を話してくれない限りどうこうしようという気はない。
「……鈴木正時が病弱に『見える』ようになったのはここ最近の話だ。とある生徒が言うには、兄を亡くし、心身ともに疲れ果てていた筈の鈴木正時がある日突然、見違えるほど元気になって登校してきたという。その時の鈴木正時は力があふれ出るようだと語ったらしい。もりもり元気が出て、普段は苦手だったはずの体育でも異常な活躍を見せた。その日以降、鈴木正時の身体は徐々に痩せていったという」
響くんは瀬川の疑問を無視するような形で鈴木くんについて語った。それは僕たちが行ったただの「身辺調査」では知りえなかった情報だ。
「鈴木正時は元々はあんなには痩せ細ってはいなかったらしい。運動こそ苦手だったものの、体力自体は人並みにはあって病気とは無煙だったそうだ。これは中学のときから彼を知る同級生たちから聞いた話で、信頼しても良いだろう」
「それが薬による副作用だと?」
「勿論証拠は無い。そうだとしたら覚醒剤に近い作用を持つ薬なのだろうが、問題なのは、鈴木正時本人に薬物使用者に共通して見られる幻覚や幻聴などといった症状が見られないことだ」
それが麻薬である限り、そういう症状はあってもおかしくはないだろう。……だが確かに、僕たちが話した鈴木くんにそれは見られなかった。響くんが話したような元気のある鈴木くんでもまた、なかった。
「全てが全て、証拠となりえるものはない。だが、何か嫌な予感がするのだよ、尾崎くん、瀬川くん。欅や山田と一緒に調べていくうちに、とある薬物の存在にたどり着いた。これは宮さんが情報を提供してくれたあとの話だ。その薬物が宮さんの言う薬物と同じものかは分からないし、もし同じものだとしたら、今の鈴木正時は『鈴木正時ではない何か』に変貌しているはずなんだ」
その時の響くんの表情は、いままで僕が見たことも無い表情だった。いや、表情自体に変化は無い。その裏打ちされた威圧感はいつもと変わらない。それでも、その威圧感に隠された、響くんには似ても似つかない恐怖めいた感情。……それを僕は感じ取っていた。
「その薬って……?」
「あんなおぞましい薬、思い出したくも無い。その薬を服用した男を俺たちは間近で見ていたが、あんなもの、この世にあってはいけないものだ」
「……どう、なったの?」
「……体中の組織を破壊されて、そのまま死んだ」
「!?」
響くんが告げたことはあまりにも衝撃的だった。薬を飲むと体中の組織が破壊されて、死ぬ。そんなの、最近のオカルトじゃああまりにも稚拙と捉えられてもおかしくない薬じゃないか。悪魔が造った薬だとか、呪われた薬だとか、そんなの麻薬じゃあない。
完全に目的が「殺し」になっているじゃないか!
「おれたちはすぐに警察に連絡し、その事を告げたが、薬の事は信用してもらえなかった上に、おれたちの方が疑われてしまった。司法解剖の結果、その男の体から薬物の痕跡は無かったそうだ。それでも異常な死に方である事は間違いなく、破壊自体も内部から行われていて、一介高校生には無理だろうと、おれたちは釈放された」
「証拠の残らない、麻薬……」
残念ながら、そういうことだ。と響くんは言った。
「おかげでその薬を造った人間が一体誰なのかは分からずじまいだ。おれたちは一旦そこで調査を打ち切り、山田は調査自体を降りた。おれと欅は相変わらずその薬のことを追っているが……、手がかりなんてほとんどない状態で舞い込んできたのが、鈴木正時の件だ」
鈴木くんの、薬物使用疑惑。
「だが、鈴木正時があの薬をやっているのなら、一つ目で鈴木正時は死んでいる。だから鈴木正時はあの薬は使ってはいないのだろう。……それでも嫌な予感はするんだ」
鈴木くんに、他の薬が手渡されているとしたら?
だとしたら危険なのは僕たちではなく、鈴木くん本人なのではないだろうか。
「……これも不確定な情報。おれはさっき、現時点では誰も標的にはしていないと言ったが、標的に定めそうな人物が一人居る」
「誰?」
「……君だよ、瀬川くん」
「……!?」
瀬川が鈴木くんの標的、だって? でも、どうして……。
「ここから先は耳を塞いでくれても構わない」
「……聞くわ」
瀬川は覚悟を決め、響くんの話に耳を傾ける。
「いいだろう。鈴木正時は君に恋をしていたのだ」
「え……?」
「だがそれは猟奇的な恋だった。今美術室に飾られている首なしの絵画を見たことがあるか? あの絵の左手首には、君と同じリストカットの痕が描かれている。君は美術部員だし、鈴木正時とも以前から交友があっただろう? 君の左手首を観察し、その痕を描くなど容易なことだ」
瀬川がその絵に感じた違和感のようなものの正体はそれか。自分の左手首に存在する同じ傷痕を意識せず視界に捉えてしまっていたのだろう。……だがまてよ? あの絵は元々鈴木くんのお兄さんが描いていた物だったのではなかったか。
そんな疑問を響くんに伝えると、響くんは何の迷いも無く答えた。
「そんなもの、兄が死んだ後で自分でいくらでも描き足せるだろう」
「でも、鈴木くんはお兄さんの事を尊敬していたんじゃないのかい? 兄の遺品にそう簡単に手を加えるとは思えないんだけど」
「だから猟奇的だと言ったのだ。あの絵には元々、そんな傷痕など描かれていなかったと、美術部顧問の大森先生は言っていた。」
なるほど。つまり後からいくらでもあの絵を触れる機会のある人間、即ち鈴木くんが怪しいという道理は成り立つ。
「鈴木正時はあの絵に描く人物を瀬川奈々実と重ね合わせた。一度、身体を壊した鈴木正時の家に見舞いに行ったという鈴木正時の友人はからは、その日、彼からは瀬川奈々実に対する想いを延々と語られたそうだ。その時の鈴木正時はなんだか怖かったとも言っていた」
「……なんだよ、それ」
瀬川奈々実が誰かに好かれている。それはそれで喜ばしい事だ。いや、現時点で瀬川の彼氏である僕が考えるような事ではないが、瀬川が誰かに認められるというのは素直に嬉しいと思う。だから今回も、鈴木くんが瀬川に恋心をを抱いていたって別に構いやしないんだ。
それが、人に恐怖を感じるほどの恋愛感情でさえなければ。
響くんの言葉を借りるなら、猟奇的な想いでさえなければ。
瀬川に、嫌な思いをさせるような想いでさえなければ。
「鈴木正時がそんな風になったのも、兄を亡くし、まるで薬でもやったかのような変貌を遂げてからだ。だから、例え物的証拠も決定的な根拠も無くたって、あいつが危険人物であることには変わりは無いんだ」
放っておけば何をするか分からない。響くんは瀬川に対してそう告げた。
瀬川の顔色はよくない。響くんの話を聞いていくうちに、底知れぬ恐怖を感じ取っているのだろう。瀬川の心は繊細だ。ちょっとのストレスを感じてしまうと自傷行為に移ってしまうほどに。今の今まで他人に拒絶されてきた瀬川の心は、多少のストレスには耐えられるように鍛えられたわけじゃなく、積み重なるダメージを受けて脆くなっているのだ。
響くんの言葉はあまりにも、僕にとってはそれほどでもない恐怖でも、瀬川にとっては大変に重くのしかかってくる。
「瀬川」
僕は瀬川の肩を抱いた。……震えている。
僕が支えてやら無いと。
「……すまない。もう少し気を遣うべきだった」
響くんがそんな瀬川の様子を見て申し訳無さそうに言った。
「いいさ。無用な気遣いは返って瀬川の負担になる」
「……しっかり支えてやるんだ、尾崎くん。……今日はもうよそう」
響くんが立ち上がる。僕は震える瀬川を支えながら、響くんの後についていく。
瀬川は必死で耐えているようだった。……同じ美術部員である鈴木くんの瀬川に対する想い。それに対する戸惑いもあるだろう。鈴木くんの真意は僕には知れない。その感情が本当に猟奇的に走っているのかはわからない。けれど、瀬川をこんな風にさせた罪は、重い。
「瀬川」
「……尾崎くん。そうやって私を押さえつけていてね。じゃないと私……」
「分かってる」
やはり。瀬川のストレスは既に最高潮だ。自傷行為をしないと瀬川のストレスはたまるばっかりで、瀬川の理性が整ってきたとき、その解消役として僕がなんらかの酷い目に遭うのは目に見えているが、それでも構わない。
瀬川にこれ以上、自分を傷つけて欲しくないから。
瀬川の代わりに僕が傷つこう。
全部の痛みを背負えるわけじゃないけど。少しでも瀬川の気持ちが楽になるのなら。瀬川の傷を癒せるのなら。
僕の心がズタズタになるまで、僕の心を殺してくれて構わない。
校門に着いたとき、そこで待っていた欅と山田さんが心配そうに僕たちの方を見る。僕は心配ないよと二人に告げる。僕は響くんとこれからのことを話し合おうと思い、一旦瀬川の事を二人に任せた。
「さて尾崎くん」
三人から離れた位置で響くんと向き合う。
「明日から瀬川くんは学校に来るべきではないだろう。……鈴木正時がすぐになんらかの行動を起こすとは思えないが、俺の見立てでは、明日にでも瀬川が危険にさらされる確率というのは、実はかなり高いんだ」
「……どうしてそう思うんだ?」
「今日は鈴木正時に会ったか?」
そういえば会っていないな。今日は七海さんと久家さんのことで相談をし、その後で生徒会室に向かった。……しまった、結局図書室に行っていないじゃないか。
いや、それは今は良い。あとで七海さんに謝ろう。
「鈴木正時は今日、学校に来ていない。学校には連絡は来なかった。奴は今のところ無断欠席をしても、体が弱いからという理由で学校側も深くは追求をしてこない状態だ」
「ただの欠席じゃあないのか?」
「今日、三ツ星くんが学校を休んだだろう? 実は昨日の夜、鈴木正時と三ツ星くんが会っているのを目撃した人物が居る。別になんでもない、ただ普通に会話をしているように見えたらしい」
三ツ星くんの欠席理由は分からない。結局学校には連絡は来なかったらしい。……もしかして、三ツ星くんに何かあったのか?
「大丈夫、三ツ星くんは無事だ。家で引きこもっていた。……おびえていたよ。一体何を見たのかは話してはくれなかった」
「えっと、昨日の夜、鈴木くんは三ツ星くんの目の前に居たんだよね? もし三ツ星くんが鈴木くんの『何か』を見て怯えていたのだとしたら、三ツ星くんは今頃……あ、逃げ帰ってきたとか?」
鈴木くんが三ツ星くんに何かをしようとしても、三ツ星くんの運動神経なら逃げられるだろう。……だけど、鈴木くんには突然活発化する薬をやっている可能性があるからな。
「実際には、会話も何もしていない。言っただろう? 目撃者はただそう『見えた』だけなんだ。そもそも三ツ星くんと鈴木正時に面識はない。おそらく、鈴木正時が『何か』をしているのを見てしまったんだ。幸い三ツ星くんは鈴木正時には気付かれなかったらしいが、もしかしたら、という恐怖感を抱いてしまっているんだ」
……鈴木くんの危険人物である可能性が急上昇したな。
「だがそれでも見間違いという事もある。如何せん夜だったし、三ツ星くんは自分が見た相手が誰だったかは分からなかったらしい。目撃者の方は鈴木正時と誰か、という認識だ。二人の話を照らし合わせた結果、そこには何かをする鈴木正時と、それを見た三ツ星くん。そして、おそらく目撃者が鈴木正時の話し相手に見間違えた誰かが、そこにはいたということになる」
その誰かは、鈴木くんに何かをされたと見るべきなのだろう。その人が無事かどうかは分からない。三ツ星くんが恐怖を抱いてしまった何かをされたのだ。
或いは、鈴木くんがされた……?
……僕の頭の中に、何かが引っかかった。池の中に小石を放り込んだような波紋。その波紋は大きな波を立てることなく儚く消えた。
「……つまり、今日鈴木くんが学校を休んでいるのは」
「何か行動を起こす一歩手前、嵐の前の静けさ、なのかもしれない」
いよいよ持ってまずいな。鈴木くんの標的が瀬川に向かっている可能性が高い以上、確かに学校に来るのはまずい。
「……いや、学校の方が安全という可能性もあるかもしれない」
「それは駄目だ。明日以降瀬川には学校を休んでもらう。……今の精神状態を見てみろ、そんな状態で学校に来て鈴木正時に付け込まれてみろ」
恐怖の対象を目の前にした瀬川の精神が完全に崩壊してしまうかもしれない。……肉体的な危険よりもそっちの方が危ないか。……だけど。
「明日以降、瀬川にずっと家に居ろって言うのか? それも危険だ」
「だからお前が居るのだろう?」
……あ。
「お前が側に居てやれ。今日のところはひとまず俺たちも一緒に瀬川を送ろう。お前はそのまま瀬川の家に泊まって、明日以降瀬川の側に居てやるんだ」
……女子の家に泊まるなんて酷く気が引けるのだが。
「……これはお前のためでもある。おまえ自身、鈴木正時の標的になる可能性が高いんだからな」
「なぜだ?」
「好きな女子と付き合ってる男だぞ。狙われる理由としては十分だろう? 今の鈴木正時にとっては」
瀬川と付き合うだけで命を狙われるなんて、どんな下手な昼ドラだよ。まあ確かに、瀬川のことばかりに頭が回って僕自身の安全なんて考えちゃ居なかったな。
そもそも僕は鈴木くんなんかに遅れをとるつもりはないし。例え不意打ちされたって避ける自信がある程度には、姉さんや和久井との喧嘩で実力をつけている。鈴木くんがなんらかの薬でパワーアップしてたって、元が弱い鈴木くんだ、その程度はたかが知れている。
「……油断はするなよ、尾崎くん」
「それを言うなら、いらんこと嗅ぎ回ってる君たちも危ないんじゃないか?」
「とっくに肝に銘じてるさ。まあ、実際やりあったらおれたちより君の方が強いだろうがな」
それはあるかもしれない。響くんが学校中で恐れられているのは喧嘩の強さじゃなく、飛びぬけたカリスマだからな。というか、響くんが喧嘩をしたという話は聞かないので実力の程は分からないが。
和久井より上だなんてことはないだろう、流石に。
欅は見ての通り細身、余裕だ。
「山田には調査自体を降りてもらったから危険は少ないだろう。……まあ明日以降、縁が合ったらまた会えるだろう。……もしもきみたちが鈴木正時と相対し、奴を打ち負かす事ができたなら、君はやはりおれと対等と認めるべきだ」
……どうだか、ね。たかが鈴木くんだろう? 薬でどれだけパワーアップするんだか知らないが、いざとなれば和久井と手を組むし、負けるなんてありえない。もし僕や和久井が負けるんだったら、それこそ姉さんの出番だが。
「考えておくさ。……あんまりみんなを待たせるのも悪いし、明るいうちに帰ろう」
「そうだな」
僕は欅と山田から瀬川を受け取り、瀬川は完全に僕に体重を預けていて歩き難かったが、僕たちは瀬川の家へと向かった。