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マクラな草子  作者: アヴェ
始まりの草子
11/16

第一章・010

 そして、瀬川とのデートの日。

 僕は緊張をしたのか、いつもよりも早く起き、いつもよりも早い朝食を摂り、しばらく姉さんと会話を交わしてから瀬川との集合場所、十字路へと向かった。

 僕が到着した時点ではまだ瀬川の姿が無かった。早く来すぎてしまっただろうか。約束の時間まで約三十分ほど。個人的には、待たされるのにそれほど長過ぎず、また、短すぎるということもない。僕としては、今日という大事な日に五分前だとか十分前ではなく、心の余裕を平然と保てる三十分という時間は心地よい。

 僕は、日曜日なのでせわしなく走り去る自動車の、商店街へ向かう流れを眺めながら約束の時を待った。

 五分が経過した。故に僕は腕に巻いていた時計を確認する。

 まだ五分しか経過していない。

 十分が経過した。今一度時間を確認する。残り二十分。

 最初に確認してから丁度五分。五分。五分が長い。

 十五分が経過した。やはり時計を見つめると、分針が丁度九時の位置で停止している。

 また五分。五分おきに時計を見てしまうというのは焦りすぎなのだろうか。僕の体内時計の正確さをこの時僕は初めて実感したが、あまり役に立たないものである。

 二十分が経過した。もう時計を見るのにも飽きた。

 やはり五分。瀬川の姿は、まだ、ない。

 二十五分が経過した。

 五分どころか、一分ごとに時計を確認している自分に気がつき、瀬川が歩いてくるだろう商店街の方を向いた。

 瀬川の姿がそこには見えた。

 瀬川は待ち合わせの五分前に僕の前へ姿を現した。

「……おはよう瀬川。時間を設定しておきながらずいぶんゆっくりな到着じゃないか」

「あら尾崎くん、まだ五分もあるわよ。まさか女の子とのデートだと聞いて自惚れ夜も眠れず、緊張のあまり早く来すぎてしまったというわけかしら」

 瀬川の様子は今までの瀬川と大して変わっているようには見えなかった。いつもの瀬川だ。僕は内心ほっとする。もっと難しそうな表情をして現れるものかと思っていたからだ。

「さてね。夜は確かに熟睡とは行かなかったし、多少なりとも緊張をしているから否定はしないよ」

「それを聞いて安心したわ。何も考えないで熟睡できて全く緊張も無いとか聞いたら、わたしなんてそんな程度なのかと思うところだったわ」

「逆に考えても見ろよ。それほど瀬川に対する気持ちが固まっていたともとれるぜ」

「そうね。そういうこともあるかもしれないわね」

 さもどうでもいいかのような反応を見せる瀬川だった。いつもの瀬川はいつもなりで何を考えているのか分からない。

「さて、行きましょうか、尾崎くん」

 と、瀬川は商店街の方へ向き直り歩き出した。僕は慌てて瀬川に追いつき、聞く。

「行くって、どこへ」

「尾崎くん。今日はわたしたちの記念すべき初デートよ。もちろん、デートをするに決まってるじゃない」

「いや、だけど」

「みなまで言わなくてもいいわ」

 瀬川は僕の言葉を遮る。

「あなたが何を言おうとしているかは分かっているわ。けれど、それは後にしましょう」

 瀬川は何も聞かなくて良いのだろうか。不安は無いのだろうか。

「あなたが何を考えているのかも分かっているの」

 瀬川は続ける。

「今日あなたがここに来たということはつまりそれだけで答えになるのよ。だから、このデートの後でゆっくりと聞かせてもらうわ」

「……君の考えている答えと僕がこれから言わんとしている事が全くの逆だったとしたら?」

 それでも瀬川は表情を変えずに僕に言うのだった。

「もしそうならわざわざそんなことを聞いてこないわよね。さ、早く行くわよ」

 瀬川の瞳は自信で溢れているようだった。僕の気持ちが本来どうであるかなんて本当は分からないはずだ。それでもこんなにも瀬川の瞳は輝いている。

 ああ、これじゃあたとえ僕がどんな解答を用意していたところで関係ないじゃないか。

 僕がたとえ瀬川の事を嫌いでも。

 僕がたとえ瀬川の事を蔑んでも。

 僕がたとえ瀬川の事を好きでも。

 結局の事、こんな瀬川の瞳を見てしまったら。

 僕のことをこんなにも想っている瀬川の瞳を見てしまえば。

 改めて確認するまでも無く、ひどく、瀬川に惚れてしまうだろう。

 僕はそう思った。

「……やれやれ」

 瀬川に聞こえないように独りごち、僕は空を仰ぐ。この行為にどんな意味があるかなんて僕は知らない。多分。見えない涙が零れないように上を向いたのだろう。

「それで、今日のご予定は? お姫様」

 僕は瀬川の横に並んで聞く。

「そうね。今日のデートはわたしが提案をしたのだからプランについては任せて。月並みだけれど、まずは商店街で軽くショッピングをしてからお昼ご飯を食べて、その後は駅から電車で隣町まで行きましょう」

 ふむ。瀬川の事だからどのようなプランニングをしてくるのかと思ったが案外普通そうで安心した。しかし、瀬川にとっての普通が僕の常識で測れるものかどうかは別問題だ。

「隣町ってどっちだ? 青峠かヨミ浜か」

「青峠よ」

 僕たちが住んでいる町は夢見里という。故に僕たちが通う学校は夢見里高等学校というのだが今はそんなことはどうでもいい。この夢見里という町の四方には当然のごとく隣接する町がある。この町の歴史に関する事で僕もよく分からないのだが、この夢見里及び隣接する四方の町はいわゆる一つの国だったらしい。中心部に位置する夢見里に当時の長が住んでいたのだが、もしも反乱などが起きてしまったとき、四方に囲まれているこの場所では圧倒的に不利な立場であった。そのため、それぞれの町が独立し、中心である夢見里に攻め込み難い構造を造った。つまり、この夢見里から四方の町へ行くというのはそれなりに面倒なのである。いまでこそヨミ浜へは電車で行けるが、電車の無い時代は他の町経由でなければ行く事が出来なかったのである。北の町、杜白は商店街の先から行けるが、昔は夢見里との間に深い溝があり、簡単には渡れなかったのだ。南には大路町があるが、そこは駅の向こう側に位置し、今でも青峠かヨミ浜を経由しなければ行く事ができない。唯一昔から道が繋がっていた青峠だが、峠と名の付くとおり、山があるため徒歩で行くには大変なのだ。

 と、簡単に説明してみたものの、僕はこの町の歴史なんて正直どうでもいいため知識として知っているのはこの程度だ。ただ残念な事は、知ろうが知るまいが隣町へ行くための手間がかかるということである。

「青峠か。そこになにかあるのか?」

「さてね。それは後でのお楽しみよ」

 その後、適当に瀬川と会話しながら商店街に到着する。瀬川はやはり月並みにと言って洋服店やアクセサリーショップなどを見て回った。

「尾崎くん。この服なんて似合いそうじゃない?」

 瀬川が可愛らしいワンピースなどを手にし、僕に聞く。ふむ、いかにも女の子らしいデザインだ。瀬川には似合うかどうか分からないが、案外いけるかも知れない。

「うん、いいんじゃないか」

「なら着てみてよ」

 ……今なんて?

「わたしがこんなの着れるわけないじゃない。それに、これは男の子も愛用できる優れもの……だと思えばいいのよ」

「思いたくねえよそんなこと。つうか瀬川、ここはやはり月並みにお前が試着をしてみるもんだろ」

「なに尾崎くん。そんなにわたしにこれを着せたいの? これを着るとわたしは少なからず恥ずかしいと思うし、これから彼女になる予定の女の子に恥ずかしい思いをさせたいなんてサドなの尾崎くん」

 これから云々はとりあえず聞き流しておきつつ、やはりいつもの調子に戻った瀬川の軽口を聞いて僕は安心する。

「たまにはそういうのもアリかもなあ。いつも僕の方が脅されてばかりだし、なあ瀬川、これは提案なんだが、僕に脅されてみないか?」

「いやよ。……そうね尾崎くん。なんならいつも通り尾崎くんを脅してこれを無理やり着せるというのもできなくはないのよ」

「おまえそんなに嫌かよその服。……意外と可愛いかもしれないぞ」

「うわ尾崎くんが可愛いなんて言った。……どうしよう、貴重な体験をしたわ」

「……いいから着てみろよ」

 本気で瀬川のワンピース姿を見たいと思ってしまった僕は半ば強引に瀬川を試着室に押しこむ。抵抗はされていたが瀬川もやはり女の子、男子の力に逆らえるはずもなく、素直に押し込まれていた。

「……覗かないでね」

「覗くかよ」

 とりあえず着てみるには着てみるらしい。あれだけ嫌がっておきながらとは思ったが、案外気に入っていたのかもしれない。

 しばらくして瀬川がカーテンを恐る恐る開ける。

「…………」

 沈黙する瀬川の姿を黙って見つめる。なんというか、これぞ貴重な経験と言うのだろうか、瀬川の頬が染まっている。

 照れているのだ。

「…………」

「…………」

 瀬川の沈黙に対して沈黙で返す僕。ちょっとした意地悪である。瀬川を掌の上に乗せているようで少しだけ気分がいい。

「……なんか言いなさいよ」

「ああごめん。コメントが欲しいならそういえばいいのに」

 カチカチカチ。

 それは怒りか恥ずかしいのか照れ隠しなのか嬉しいのかどれなんだ瀬川。つか、商品の側でカッター出すなよ。

「……可愛いよ、瀬川。思ったより似合ってる」

「…………」

 僕の言葉を聞いてカッターの刃を引っ込める瀬川。そのままカーテンを閉めてしまう。

 ……気に障ったのだろうか。と心配した僕だが、

「買うわ」

 と、試着室から出てきた瀬川がそう言って会計所にワンピースを持って行くのを見てそうではないのだと安心した。

「ちょっと待てよ瀬川」

 僕は瀬川を引きとめ、瀬川の手からワンピース取り上げる。そのまま手早く会計を済ませて瀬川のところに戻る。

「プレゼントだ、瀬川」

「……余計なお世話よ」

 僕の突然な行動に瀬川はふてくされているようだが、やはり満更ではなさそうだったので僕の気分はより一層良くなった。

「ところで尾崎くんはアクセサリーを身につける人?」

 アクセサリーショップでは瀬川はそう聞いてきた。ガラスケースに入った高級そうなアクセサリーを眺めながら僕は答える。

「いや、見ての通り腕時計以外には身につけてないよ」

「そうよね。どうしてかしら」

「これは僕個人の勝手な考えなんだけど、テレビに出てる婦人とかお金持ちが身につけるアクセサリーってさ、アレは身だしなみって感じはしないんだよね」

 高級なアクセサリーで自分を飾っているという事は、自分はこれだけのお金を使って自分の価値を底上げしていますよと言っているように思えるのだ。

「つまりは自分に自信が持てない人がするようなものだろ?」

「でもアレは、自分の財力を誇示する意味合いでもあるんじゃないの?」

「もちろんそれもあるだろうけど、それだけでは決してないだろうさ。勿論僕の考えがまるっきり当てはまらないって人も居るだろうしね」

 身だしなみに関して言えば、過剰なアクセサリーはそれこそ過剰であり、美しさと外観を損ねるというものだろう。僕はそう考えている。

「なるほどね。つまりこれからも尾崎くんは自分を飾らず今のままの平凡な自分で居たいというわけね」

「嫌な言い方だがそうかな」

 別に一生涯身に着けないというわけでもないと思うけれど。

「瀬川はアクセサリーは……」

「どうかしらね。こういうのとは今まで無縁な人生を送ってきたから」

「……そうだなあ。安いものなら買ってあげれるけど」

 試しに僕は適当なのを手にとって瀬川に手渡してみる。けれど瀬川は難しそうな顔をした。

「いくらデートだからといって何でもかんでも買ってくれなくてもいいのよ? あのワンピースはありがたく貰っておくけれど、今日はまだこれから色々とまわるし、財布が大変じゃない」

「ほら、こういうのってやっぱり男が買わないと格好つかないだろ?」

「誰に格好つかないのかしら。ねえ尾崎くん。そうやってお金で女の子の機嫌をとるだけじゃ駄目だと思うわよ。特にわたしは……あなたと一緒に居るだけで楽しいし、いろいろ貰っている気分にもなれるから」

 最後のほうは俯き加減に瀬川は言った。たしかに軽率だったか。なんでもかんでも金で機嫌をとろうとするなんて、それこそさっきの金持ちと同じになりかねない。

「オーケー分かった」

「それでいいのよ」

 瀬川は僕が手渡したアクセサリーを戻して外へ出た。

 商店街はそれなりにたくさんの店が入っているため、適当に見てまわるだけで時間は経過してしまった。今は最寄の喫茶店で軽食を摂っている。

「……それで、瀬川」

「なあに、尾崎くん」

 僕は改めて、僕の気持ちを瀬川に伝えようと考えていた。

「僕は瀬川の事、好きだよ」

 打ち明けた。僕の本心を。

「嬉しいわ、尾崎くん」

「それでだ、瀬川と付き合うというのに異存はない。けどさ、僕は今、とある女の子について悩みを抱えているんだ」

「例の占い師の子ね」

 言わずもがな、大地獄沢雛である。

「昨日その子と話して、彼女はもう昔のことはどうでもいいし、僕のせいじゃないって言ってくれたんだけど、僕はそれだけじゃ納得なんてできないから、いつか僕自身が納得できる形で彼女を救いたい」

「それで? それを私に告げてどうだというの?」

 瀬川の反応は至って平常そのものである。

「え? いやだから、もしかしたら瀬川のこと、片手間になっちゃうかもしれないし、いつも瀬川の側に居てやれる保証もないわけで」

「ねえ尾崎くん。貴方にとってその子の存在がどれほどのものなのかはわたしは知らない。けれど今尾崎くんは言ったわよね。わたしのこと好きだって、言ってくれたわよね」

「ああ……」

「わたしの事とその子との問題は全く関係のない問題だしわたしがこういうのもなんなんだけど、だったら尾崎くん。わたしはわたしなりの方法で尾崎くんに尽くしたいと思うの」

 僕は瀬川の言葉を黙って聞く。

「わたしにも手伝わせてくれないかしら。今すぐにとも言えないけれど、これは尾崎くんの問題で、わたしが関わるべき問題じゃないのかもしれないけれど、尾崎くんの彼女としてのわたしなら、何かできることがあると思うの」

 瀬川のその言葉と決心は確かなようだった。瀬川が持つ瞳の輝きが、僕の心に強かな気持ちを、僕の背中を後押しするだけの力を与えてくれるようだった。

「……ちょっと考えればわかる事なのにな」

「え?」

「ごめん瀬川。僕は君という素晴らしい彼女が居ながら君に手を貸してもらうという考えを持てなかった」

「……無理もないわよ」

 だってわたしは……と瀬川は俯く。……そうか、今までの瀬川のことを考えると、瀬川が僕と付き合って、挙句、雛の事に関しても手伝うと言ったのは瀬川にとって革命的なことなのかもしれない。だとしたら僕は、そんな瀬川の気持ちを無下にはできないし、そして、瀬川の事も……。

 いつか周囲に認めてもらえるように。

 支えていかなくてはいけない。

 瀬川を支えられるのは。

 今は僕だけだ。

「瀬川。僕の方からもお願いするよ。手伝ってくれ」

「……うん」

 その後僕たちは喫茶店を出て駅まで歩いていく。道中瀬川の機嫌も直り、いつものように軽口を言い合って駅に到着する。

「それで、青峠には何があるんだ?」

「そうね、あなたって結構歴史に疎そうだし、教えてあげるわ」

 まあ疎いけど。

 僕たちは青峠までの一駅分の切符を購入し、ホームへ入る。

「歴史というよりも伝説ね、この場合。青峠には見ての通り峠、というよりも山があるのは分かるわよね。その頂に祠があるのよ」

「祠?」

「そう。この夢見里を含む五つの町にはそれぞれ祠が一つずつあって、それぞれがそれぞれの神様、或いはそれに近しいモノを信仰し崇拝していたらしいの」

 なるほど。ありがちな話だ。

「その青峠の祠もそういった神様を祀っているのだけど、その神様というのが、つまりは恋愛成就に近しい神様、らしいの」

「ありがちだな。それにしても、近しいってどういう意味だ?」

「その神様が別に、恋愛成就のために奉られているわけじゃないからなのよ。厳密に言えば、人間の心の安息、安泰。幸、不幸。心情的なモノを豊かにしてくれる神様、ということらしいわ」

 それで恋やら愛やらはその神様が一番関係あるかもしれないという、その程度の信仰ですか。

「月並みだけれどね。興味はあるじゃない」

「まあな」

 そうこうしている内に電車がやってきたので僕たちは乗り込む。空いている席に座り、僕は再び瀬川と会話をする。

「ところで、青峠以外の四つの神様にはどんなものが居るんだ?」

「そうね。まず夢見里の神様は夢を司る神様、というか、巫女らしいわ」

「巫女?」

 巫女は神様に仕えるもので、奉られる対象にはならないのではないだろうか。

「変な話よね。まあそれはさておき。その巫女は夢の世界を管理しているらしくて、その世界では妖怪も神様も人間も、みんなが平和で暮らしていると聞くわ」

 まさに夢の世界といった趣だ。

「その夢の世界はこの夢見里の現実と隣り合わせに存在するらしくて、その世界への入り口も、夢見里のどこかに在るって聞いたわ」

「でもそれはやっぱり伝説なんだよな。そんな世界がもし本当に存在したら……」

「面白そうよね」

 妖怪や神様が住んでる世界なんて怖くて行きたくはないが。まあ、伝説は伝説だ、特に気にする事もないだろう。

「他には?」

「ヨミ浜は黄泉の世界へと続く浜、すなわち死後を司る神様がそこに奉られているらしいわ」

「そのまんまだな」

「怖くて誰も信仰をしないという噂」

「だめじゃねえか」

 信仰をもらえない神様って。

「大路と杜白についてはよく分からないわ。特に杜白は、それこそ意味の分からないモノを祀っているらしいし」

「伝説は伝説だし、気にする事はないか」

「まあね」

 それにしても、夢見里を中心とした国家はそれなりの信仰心があったのは確からしいな。興味が沸いたら詳しく調べてみるのも良いかも知れない。

 それにしても夢の世界と、それを司る、管理する巫女か。夢と言えば、夢見る占い師、大地獄沢雛という知り合いが居たっけな。実は雛もその世界の住人で、彼女の占いの的中率もその辺りに要因があるのかもしれない。……なんて、馬鹿なことを考えている僕だった。

 しかし考えてみれば、伝説というのは例え伝説であっても、その伝説が成立するに至る何かが確かにあったはずだ。それは歴史を紐解かなければ分からない事だから、今の僕がそれを知る由もないのだけれど。

 青峠の駅に到着し、青峠の頂を目指す。といっても、登山をするわけではなく、もとよりそんなに険しい山道というわけでもないが、頂上へのゴンドラがあるため、それに乗ることにする。

「このゴンドラは夢見里方面からは乗れないのよ」

 と、瀬川が説明をしてくれた。

 ゴンドラの長さはさしてない。もののニ、三分で頂上に到達する。頂上はそれなりの広さがあり、どうやら件の祠以外にも見所があるらしい。

「今はシーズンじゃないから人も少ないわね」

「へえ。ここはある種の観光名所なのか」

「そうよ。それじゃ、行きましょう」

 瀬川が指し示す方向へと歩いていく。歩いていく中、朽ち果てた神社がちらほら伺える。

「こんなにも神社があったのか」

「成れの果てね。その昔、この辺りには神様がたくさん居たらしいけれど、みんな人間に愛想をつかして何処かへ行ってしまったのね」

 瀬川はな何とはなしにそう言った。

「こっちよ」

 瀬川が僕を誘導すると、そこは茂みで隠れた小さな獣道が存在した。

「ここを行くのか?」

「ええ。今は青峠に住んでいる人でも知っている人は僅か」

「それをなんで瀬川が知っているんだ」

「言わなかったかしら。わたし、青峠の生まれなの」

 なるほどね。ここは瀬川の遊び場でもあったわけだ。

「さ、誰かに見られる前に早く行きましょう」

 見られて困るわけでもあるまいに、瀬川はそう言って獣道の中を分け入っていく。僕もそれに続き、少し進むと、多少広い空間に出た。

「ここは……」

「ようこそ、秘密基地へ」

「落ち着くな。ここだけ世界が隔離されているみたいだ」

 外から聞こえてくるはずの人のにぎわいも聞こえない。確かにこれなら独り占めをしたくなるのも分かる。

「祠はあっちよ」

 瀬川が先へと進む。すぐに、朽ち果てた社と、何かを模した偶像が置かれた祠が姿を現した。

「多分、ここの事を知っているのは多分わたしと、尾崎くんだけね」

「そうなのか?」

「うん。昔からここには人が来なかった。この祠もわたしが手入れをしていたのだけど、全然駄目ね。きっとここにいた神様も何処かへ行ってしまったのね」

 神様が居なければこうも荒れ放題になるのか。それも仕方がないのかもしれない。

「ここはわたしと尾崎くんだけの秘密の場所ね」

「……もしかしてそれが言いたかっただけか」

「素敵じゃない。そういうの。所謂ロマンというやつよ」

「まあ、いいけどな」

 瀬川がポケットから紙を一枚取り出す。その紙に自分の名前を書き、僕に手渡した。

「昔はこうして一枚の紙にお互いの名前を書いて二人の未来の幸せを祈ったらしいわ」

 言われたとおりに僕は渡された紙に名前を書く。瀬川はそれを確認し、二つに折って祠の中にそっと置いた。

「これでいいわ」

「うん。月並みだな」

「それでいいのよ。それが一番。というわけで尾崎くん。これからもよろしくね」

 瀬川がそれまでに見たことのない飛び切りの笑顔を見せてくれた。そうやって笑っていてくれればどんなに可愛いかと僕は思ったが、まあいいだろう。

 どんな瀬川だろうと僕は瀬川が好きだ。うん。改めて確認するまでもないな。

 僕は始めから瀬川の事が好きだったのかもしれない。

 だとすれば、僕は何を迷っていたのだろう。何に迷っていたのだろう。

 分からないが、分かる必要もないのかもしれない。ともすれば、瀬川のこれからも、僕のこれからも、二人のこれからも、きっと未来は明るいものになるのだろう。

 と、やはり月並みにそう思った。

第一章これにて閉幕。

それでは次回以降は第二章へと移ります。

次のページは第二章の登場人物紹介であります

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