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左の永琉、右の愛琉|連載版  作者: 酔夫人(旧:綴)


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第7話 「永琉、俺は君を探している」

(ここは……)


見覚えのある白が多めの部屋。『どこだ』を思い出す前に――。


「『愛琉』になってあげる」


永琉の声に一真は声のしたほうを見る。そして白無垢姿の永琉を見て驚いた。


「それで我慢してよ、一真さん」


あの日も永琉は一真を『一真さん』と呼んだ。再会してからずっと『高松さん』と呼んでいたのに。


(そしてこのあと……)


「永琉!」


永琉に手を伸ばすのに、手は永琉をすり抜けて触れることができない。永琉が扉に向かう。一真はなぜか足が動かず、その指先は二人の間にある空を切り続ける。


「やめろ! 開けるな!」


永琉は扉のノブに手をかけ、あの日のように永琉は扉を開ける。空けた扉の先には男が一人。


「逃げろ!」


あの日と同じ光景。


「やめろ!」


男が手に持っていた白い花瓶を振り上げる。あのとき永琉の顔にあったのは驚きか、それとも恐怖か。永琉の顔半分が陰って表情が一真には見えない。


バチンッと太いゴムバンドが切れたような音と同時に一真は動けるようになった。


一真は駆け出したが、寸でのところで間に合わず、あの日と同じように花瓶で頭を殴られた永琉は廊下に倒れ込む。絨毯に血が飛ぶ。誰かの悲鳴。スタッフを呼ぶ声。


「永琉!」


ふらふらとその場を離れようとした永琉を追う男。あの日と同じく一真は容赦なく男を蹴り飛ばして永琉に駆け寄る。永琉はくったりとしていて──いなかった。


「どうしたの、一真?」


キョトンとした顔をしていたのは、永琉ではなく愛琉だった。


「……永琉は?」

「なんで永琉?」

「だって永琉がここに……それを着て……」

「なにを言っているの? 一真と結婚するのは私でしょう?』


(……どうして、永琉は知らないはず?)



十和や高松家の女性たちは「妻は夫から三歩下がっているべき」という考えがあり、夫となる一真を呼び捨てにするなどあり得ないと愛琉に注意し続けていた。愛琉は人に言われて考えを改めるタイプではないがあまりに五月蠅かったのだろう。表向きはそれに従い、十和たちの目がないところでは『一真』と呼んでいた。


愛琉にとって永琉は十和側の人間だったから、永琉の前でも『一真さん』と呼んでいた。だから『愛琉』は『一真さん』と呼んでいる。


「……なに言ってるんだ、『一真さん』だろう?」

「なに言っているの? いまは二人だけ、小母さまも永琉もいないよ」


「……永琉。愛琉の振りはやめろ」

「はははっ、なにそれ」

「永琉」

「しつこい! 永琉じゃなくって私は愛琉!」

「……永琉」


愛琉が苛立った顔をする。永琉なら、『愛琉』のときでも決してしない表情に一真はゾッとする。


「永琉、永琉って煩いなあ。そもそも永琉はもういないじゃない』

「……え?」



「だって一真が永琉を殺しちゃったじゃない」



 ◇



「嘘だ!!」


一真は叫びながら飛び起きた。荒い呼吸を繰り返しながら、見慣れた自分の部屋を見回した。


「夢……いや、夢か?」


どこまでが夢なのか。ケタケタと笑う愛琉の気味の悪い笑い声が一真の頭から離れない。


(あれは全部あったことでは? ……そうなら……永琉は?)



一真は急いでベッドから降り、内扉をあけて永琉の部屋にいった。


静かな部屋で耳をすませば、小さな寝息が聞こえる。眠っている永琉も見えた。胸は上下して、息をしている。生きている。


(いや……あれは本当に永琉か?)



チェストに近づき、カード入れの中から免許証を取り出す。ベッドサイドに近づき、仄かな灯りにぼんやりと照らし出された文字を読む。【高松永琉】と書いてあった。顔写真も永琉だ。



「一真さん?」


免許証の確認に必死になっていた一真は永琉が目を覚ましていることに気づかなかった。『一真さん』と呼ぶのは永琉で、一真の中の安心材料が増えた。


「ごめん、起こした」

「ううん。どうしたの?」


永琉がベッドサイドのランプの光量を増やしたので部屋が明るくなった。淡い光の中で微笑むのは『愛琉』で、途端に不安が膨らむ。


免許証は永琉の名前。『一真さん』と呼ぶのも永琉。でも表情が『愛琉』。一真の中の不安が消えない。一真は手を伸ばし、永琉に触れる。右側のこめかみに触れると軽く盛り上がった傷の痕。あの日、振り下ろされた花瓶の装飾で深く切れたためここを縫ったのは永琉だ。


(大丈夫、永琉だ)


――― 永琉はもういないじゃない。


(違う、ここにいるのは永琉だ……永琉なんだ!)



「一真さ……」


一真の目が最後に見たのは驚く永琉の顔。一真は永琉の小さな頭を両手でつかんで固定し、その唇に自分の唇を重ねた。


「……っ」


一真が唇を離せば、この隙にと唇を開いて息を吸おうとする。愛琉とのキスと違う。この不慣れなところは永琉。縋るような仕草も、戸惑い交じりの吐息も、全て永琉。『愛琉』が消えて永琉になる瞬間は何よりも幸せで、そんな永琉に一真は安心と欲望を重ねていく。


(もっと……)


永琉の体から少しずつ力が抜けていく。両手の位置を一真は変える。一つは永琉の後頭部に、もう一つは永琉の腰に添えて。永琉をベッドに押し戻すと、押し倒された形になった永琉が一真を驚いた顔で見て、すぐに抗うように身をよじる。


「どうした?」

「“どうした”って……その、するの?」


愛琉になろうとするから、一真は永琉に覆いかぶさって口づける。舌を差し入れ、体に触れて、永琉の顔に情と欲を灯していく。もう何度も夜を共に過ごしているのに、いまだに戸惑い恥じらう永琉の姿は一真には愛らしい。


「……いい?」


逃げ道を塞げば、蕩けた顔で永琉は頷いてくれる。頷いてくれるのだが――。


「……こんなに、するものなの?」


困ったような声で、顔で、永琉がそんなことを言うから、一真は笑いたくなった。実際に笑った。嬉しくて泣きたくもなったけれど。


「さあ、どうだろう。他の人のことなんて知らない。俺は永琉が好きだからしたい」


一真の『好き』を永琉がどう解釈するかは分からない。『好き』が届くのかすら分からない、なにしろこういうときに紡ぐ睦言は本気にとられない可能性のほうが高い。届いたところで今さらとなかったことにするかもしれない。でも言わずにはいられない。こんなときしか一真の前で全てが永琉のときはないから。



(千回のうち一回でも『好き』が届けばいいんだ)



 ◇



「……限界、か」


カクリと力なく首が振れて永琉は気絶するように眠りに落ちた。汗で濡れた髪、紅潮した頬。泣いて腫れた永琉の目に唇を落として一真は体を離した。


時計を確認したら朝の四時。


もうひと眠りする気にはならず、二階にあるバスルームに行ってシャワーを浴びた。一真の結婚を機に十和と伸二は一階の部屋に移ったから起こす心配はないだろうし、永琉の部屋は近いがこちらも起着る心配はない。ちょっとやそっとじゃ起きないくらい永琉は疲れ切っている。


愛しているからとか、情事のあとで『愛琉』を見たくないからとか、永琉を毎回抱き潰している理由はいくつかある。しかし夫婦の時間を永琉が躊躇するのはこのせいもあって、一真としては悩むところであった。



(そういうことに興味が薄いタイプだと思っていたけれど)


一真はずっと自分は性に対して淡白だと思っていた。


高校時代に一歳年上の先輩から手ほどきを受けるような初体験をしたものの、終わってみると些か拍子抜けした。一真にとってそれは想い出とかにはならず、成長のための通過儀式もしくは保健体育の授業の延長のような経験だった。


だから一真は自分が誰かに対して「抱きたい」という欲を抱くなど想像していなかった。


当時は好きな相手が愛琉だからだと一真は思っていた。頻繁に体調を崩すような体の弱い愛琉に対し、そんな欲望を抱いてはいけないと己を戒めているのだと思っていた。



婚約したあと、愛琉から関係を持ちたいと誘われるようになった。


一真は愛琉が自分に気を使って言っているのだと思い、「体の弱い愛琉にそんな無理はさせたくない」とか「結婚式まで大事にしたい」と言って断り続けた。そんなことが何度か続いたあと、膨れた愛琉に「みんな普通にしているじゃない」と言われて気づいた。


一真にはその『普通』が分からなかった。


愛琉のことは好きだと思うのに、愛琉に対して抱きたいという気持ちが湧かなかった。


愛琉に欲が湧かないのなぜか、愛琉以外にもいろいろなタイプの女性に誘われてもその気にならないのはなぜか。体が弱いから。婚約者がいるから。いろいろな推察ができてしまって、一真には自分がどうおかしいのか分からなくなった。


分からなかったが、それに対して特に悲観もしていなかった。結婚したら頑張ってみて、無理だったら病院に行って、それでも無理だったら家族で話し合う。


そんな風に考えていたが、この楽観的とさえ言える気持ちは永琉に欲情したときに驚愕と共に吹っ飛んだ。


喉の渇きに似た欲望は恋に落ちたと自覚する前にやってきて一真を蝕んだ。そして自覚した恋は一真を絶望させた。今さら永琉に対して好きなど口が裂けても言えなかった。それに、あんなことをしても普通に接してくる永琉の健気さと、仕事のときに自分に向けてくれる信頼感を、『好きだと気づいた』なんて最低な告白で失いたくなかった。


この頃、十和が愛琉以外の女性を娶らせようといろいろ画策していたことに気づいたが一真は愛琉と結婚すると決めていた。


永琉への気持ちに気づいて、その決意は一層強くなった。


愛琉以外を一真が嫁に迎えれば、高松家は梅宮家と白梅庵への援助理由を失う。高松家が手を引けば白梅庵の経営は成り立たない。永琉が大事にしている白梅庵を自分の手でつぶし、永琉にこれ以上嫌われるなど一真には耐えられなかった。


永琉の笑顔を一真はずっと見ていたかった。


一番近くでなくても、それが自分に向けられたものでなくても、永琉が笑っていればいいと一真は思っていた。

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